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2009年9月24日木曜日

「こころ」夏目漱石

5連休はいかがお過ごしでしたか?
僕は19日が娘の運動会でした。20日からは2泊3日で
乗鞍高原の無印キャンプ場へ行ってきました。
帰路は、みなさんご承知のとおり中央道の大渋滞にはまり、8時間以上
ハンドルを握っていました。車降りてもしばらく体が揺れてましたよ。
恐るべし、1000円の威力。この先、無料になったら一体どういうことになるのでしょうか?
さて、今日は民主党政権への文句ではなく、
タイトルの通り夏目漱石の「こころ」についてです。

今年の春からいずれ娘にも読ませようと思い、ちくま文庫の「夏目漱石全集」を
買いそろえています。僕はもう全集読破も目前となりました。
ふと思いましたが、娘が夏目漱石を読む頃はもう、「本」ではないかもしれませんね。
田村さんや関根さんが心配するごとく・・・。

夏目漱石や森鴎外といった明治の文豪が学校の教科書から消えて久しいですね。
一体、国語で何を習うのでしょうか?僕が夏目漱石の「こころ」を読んだのは、
16歳のころ、釧路~東京間の船中でした。30時間の長旅の無聊を、それでしのいでいたので
明確に覚えているつもりでした。しかしながら、ついこの間読み返した時に、
ほとんど内容を忘れていたことに愕然とさせられました。
また、29年間前に16歳だった今の自分の年齢にも非常に大きなショックを受けました(泣)

皆さんは読んだことがありますか?
漱石の小説は、そのほとんどが男女関係を中心に描かれていますが、
「こころ」はその集大成かもしれません。要は人間の「エゴイズム」についての話です。
この年齢になって再び読み直すとは思いもしませんでしたが、
実に深い内容です。むしろ、若造だったころは何もわかっていなかったかも知れません。
比べるつもりなど毛頭ありませんが、僕も「矛盾」な人間ですので、
漱石が生涯かけて悩み続け、外見だけを欧化して取り繕っているかのような社会に対して
抱いていた嫌悪感の一端がわかるような気がします。

漱石はその苦悩の果てに「則天去私」という一つの境地に達したと言われてます。
達したというより、それを無理やり作りだしたのではないかなと僕は思います。
言葉で理解してもそれを実際に行動に移せない、自らの行動原理にならないという
矛盾を痛いほど感じていたのではないかと思います。

漱石の臨終時、傍で泣く娘に、漱石の妻が「泣いてはいけません」と叱りました。
その際の漱石の言葉は

「いいんだよ、泣いても」

だったそうです。

好むと好まざるにかかわらず、「近代」という時代の中に突然放り込まれ、
それをさらりと受け流すことのできなかった、真面目すぎるほど真面目で
純粋であった夏目漱石が、彼が背負ってしまった「近代」という魔物から
最後に開放された言葉であったと僕は思っています。

2 件のコメント:

  1. 「こころ」を初めて読んだのは高2の教科書(抜粋)でした。
    当時の(今も基本的に同じですが)私は文章を把握するのに時間がかかり、まず最初の1時間で読んで感想を書けと云われ、はたと困ったのを覚えています。

    「先生」の考え方というか人生観と云うか生き方と云うか...
    かなり尖っていて凄く限定した人にしか心を開かない、厭世癖の塊だった高校生の私とあまりにも重なるのが怖くて、何を書いても自分の事を云う事になるのが怖くなりました。
    (確か、抜粋部には先生が自殺した事までは書いてなく、後で全てを読んだ時には再度驚愕しました)

    確か、意味不明の感想語句をオートライティングの如く絞り出したのですが、一連の授業を終えて何となく意味が分かった後にふとその感想を読んで怖くなったような記憶が(非常に的を射た事を意外と書いていたので...)。

    漱石で読み返すのは「こころ」と「我が輩は猫である」の2冊で、何年周期かで繰り返し読んでいます。
    ちなみに最近の新潮社だったか、カバーが青春漫画みたいになってて大変に興醒めですね。

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  2. 「こころ」はまさに驚愕の結末で終りますね。
    ただ、あれも見方によっては、主人公の青年が、先生の遺書を読み終えた感想等が一切ありませんので、ある意味唐突な終わり方かも知れません。「片付いていない」のかなと・・・。

    そう、私も出版社までは覚えてませんが、太宰の「人間失格」の文庫表紙が、レディコミみたいなものになっていてがっかりした記憶があります。あれは頂けないですねぇ・・。

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