人気の投稿

2010年8月30日月曜日

アボガド発芽

アボガドの芽はいきなり「木」のようだ。土に埋めてから約2カ月かかったゾ・・・

第30回終了

 第30回が先週26日に終了しました。
 
 5月に「226」について話して以来、久々に出席して話してきました。
僕にとってはかなり思い入れのあるテーマなので熱が入りましたよ。


この国の今の在りように多大な影響を与えてしまっている「東京裁判史観」なるものの欺瞞と、半世紀以上にわたってそれに束縛されてしまっているこの国のでたらめさが少しでもわかって頂けたら幸いです。


 物事をきちんと仕分けすればわかる事なのですが、「戦争」というとどうもそれが出来なくなるようです。講義の中でも話しましたが、「アンネの日記」という、ユダヤ人少女の迫害の物語が反戦の文脈の中で語られることがいかにおかしいことか、もう一度説明します。


ナチスドイツはユダヤ人を計画的に抹殺しようとし、実際にそれを行いました。第二次大戦中にそれが最も大々的に行われました。これは戦時下において行われた「殺人行為」であり、「戦争」とは一切関係ありません。ですから、それが「反戦」の文脈の中で語られることはおかしいのではないかというのが僕の主張です。


 それともうひとつ。根元的なことですが「戦争(=争い)」は絶対になくならないということについてです。政治討論番組を見て下さい。双方が自らの主張を言いあうのみで、いつまでたっても平行線でしょう?その主張において絶対にわかり合う事はないです。そうなった時、「討論は無用」と当然なりますね。討論が無用となった時、両者の関係は「無視」するか、もう一つは肉体言語ともいうべき「腕力」の行使という二つの選択肢しかありません。それを実際に行使するかどうかについては、相手に全て任されてしまいます。ですから、可能性としての「戦争=争い」は絶対に自己と他者の間に残るのです。僕のいう事は、こう云う事です。


 この国には「平和教育」とかいう言葉が普通に使われていますが、それは一体何のことなのか・・・。その反対は「戦争教育」?それも意味がわかりません。


 
 どんな「殺人行為」でも、結果だけでなく必ずその行為の原因となった事がらは必ず明らかにされます。そして、その原因(=動機)によって、情状酌量の場合もあります。これが不当だという人はいないでしょう。それが、なぜ過去のこの国の行為だけは、その原因を明らかにしようともせず、一方的に悪かったと言わされることを不当だと言わないのでしょう?


その状態について何とも思わないのでしょう?


それが僕には不思議でたまらないのです。








 
 


 

2010年8月25日水曜日

知ってか知らずか・・・笑止千万

本日(8月25日)付の日経社会面に、 「命のビザ」で有名杉原千畝よりも2年前にユダヤ人を救った旧陸軍軍人の記事が出ていました。国連難民高等弁務官事務所からの情報だとのことです。

 「埋もれた救出劇 再評価の動き
  国連が紹介準備」

 昭和12年、シベリア鉄道経由で満州国に流れてきたユダヤ人難民を旧陸軍軍人が救ったというのがあらましです。この軍人は樋口季一郎、当時陸軍少将です。満州国ハルピンの特務機関長だった彼は、ソ満国境のオトポールで満州国に入国できずに困窮しているユダヤ人を救い、外国への移住の道を開いたのです。救った難民の数は5千人~2万人とも言われ、はっきりはしていないそうですが、新聞記者の不勉強でしょうね。樋口の名はイスラエル建国の父として、ゴールデンブックにその名を刻まれています。そのことは記事には出ていませんでした。

 さらに言うならば、この樋口の行動は当然軍上層部にも政府中央にも知られましたが、彼は処分は一切受けませんでした。ドイツから強硬な抗議があったのは言うまでもありません。既に日独伊防共協定は締結されていました。ドイツとの友好の維持は重要ではありました。それでもユダヤ人を救ったこの樋口の行動にお墨付きを与えたのは、満州国をその強い支配下に持つ日本の関東軍にあって、参謀長を務めていた東条英機です。東条はドイツからの強硬な抗議を「日本には『八紘一宇』の精神がある」と強硬に突っぱねたといいます。調べれば当然わかるこのことを知らずに記事にしたのか、もしくは知っていて東条英機は無視したのかよくわかりません。

 浅田二郎の新作「終らない夏」は、終戦3日後、8月18日に占守島(北方領土)の日本軍守備隊と、突然攻撃をしかけてきたソ連軍との死闘を小説にしたものらしいですが、この部隊の上級司令部の軍司令官がこの樋口季一郎でした。武装解除後、ソ連は樋口を戦犯として逮捕しようとします。多大な被害を受けた仕返しでしょう。しかし、ソ連のこの動きを察知し、世界中のロビイストを動員してアメリカに樋口逮捕の中止をソ連に働きかけるよう圧力を与えたのは、全米ユダヤ教会でした。彼らは樋口に救われた恩を返したわけです。

記事にいう「埋もれた」など、笑止千万!今ではWikiにも詳しく出ているですがね。

 正しく言えば「知られたくなかった」でしょうね。この記事を書いた記者氏は、「知られたくない」という日本悪玉論一辺倒の思潮をただ知らなかっただけだと思います。仮にも記者ならもっと勉強しなさい。

とはいえ、僕にとっては嬉しい記事でした。

2010年8月20日金曜日

不思議な光景です

 昨日、鳩山由紀夫の別荘に民主党議員が160人が集まったとか・・・。
盛んにニュースで取り上げられてます。
新聞によると、鳩山グループなるものは50人くらいいるんだとか。


 何度もここで、彼の御仁については批判してきました。
僕とは思想上の正反対にいるのだろうと思います。いや、彼には「思想」などないと思っています。
その時々で中身の空っぽな言葉を羅列しているだけだと思うのです。


 今日言いたいのは、その思想でも言葉でもいいんですが、その是非ではありません。
その彼のもとに集って来る人々についてです。


 派閥の長というのは、要するに「親分」です。政治信条を掲げて集って来る人々を束ねる。
当然、「子分」の面倒もみるでしょう。お金もあげるのでしょう。それについては、とやかく言いません。
かつての自民党の派閥がそうでしたね。派閥の長を総理総裁に担ごうと、子分はいろいろ動きました。
鳩山由紀夫が総理になって、子分はそれまでの苦労が報われたと思ったでしょうね。
「これで、我々の政治信条の実現ができる」と・・・。志をもって政治家になったのなら、当然そう思ったはずです。


 しかし、実際はどうでしたか?普天間を巡るごたごたは、彼の総理としての資質ではなく、僕は人間としての資質、厚み、教養の欠如等々があからさまにでたことだと思います。プロセス上の齟齬でもないですね。しかも「勉強すればするほど沖縄にいる海兵隊の抑止力の重要性がわかった」などと言ったといいますから、空いた口がふさがりません。


 そんな人間のもとに、なぜ変わらず50人も集っているのかが不思議でならないのです。
自分の信頼してきた人間が、実はまったくの見かけだおしだと気づいたら、普通は離れていくものではないのかな。
僕には、やはりお金目当てだろうと思わざるを得ないのです。しかし、それが50人もいるというのが驚きというか、不思議なのです。集って来る議員たちは、政治理念や信条の実現はどうでもよくて、ただお金をくれるからなんでしょうね。それ以外の理由が何かあるのか、僕には見当もつきません。


 あれ、結局彼の御仁の話になってしまいましたが、普天間の代替地を探る場として全国の知事を集めた会議がありました。石原慎太郎に、東シナ海でもめる中国との領土問題の意見を問われ、「中国と協議して・・・」と答えて、石原慎太郎に「馬鹿」呼ばわりされてました。同じ問題では大前研一にも「あんな馬鹿みたことない」とまで言われてました。


 漢字の読めなかった元総理も「馬鹿」とよばれましたが、それと領土という問題を認識できない「馬鹿」、総理としてどちらが大罪なのでしょう。


 彼の御仁は東シナ海を「友愛の海として云々」と放言しましたが、それをいうなら、160人もの人が集えるその軽井沢の別荘地を「友愛の地」として、付近の人々に開放してから言ってほしいと思います。




 

2010年8月18日水曜日

65年前の終戦記念日を思う 補筆

 本日(8月18日)日経社会欄に、釈放された「A級戦犯」らの陳述書が載せられていました。
秦郁彦(近代史、戦史を専門とする学者)が、それへのコメントをだして、


「責任を感じていないような気がする」と・・・。




 さて、巷間「戦争責任」という言葉が流布していますが、果たしてそれは何を意味することなのでしょうか?


特に昭和天皇崩御の辺りには、非常に論壇を賑わしていました。曰く、「天皇の戦争責任はある」と。


 僕は、「戦争責任」という言葉の定義もせず、それを論議するのは「馬鹿」の所業だろうと思っています。


 それは「戦争を起こしたことの責任」でしょうか?戦争という行為が、いかに感情的に忌避されようと、国際法上はきちんと認められている以上、それを「起こす」ことへの責任などあるわけがない。もしかしたら、それは「敗戦」の責任のことをいっているのでしょうか。「敗戦責任」、この国を敗戦に導いた責任は、当時の軍部をはじめとする政策の意思決定者にはあり過ぎるほどあります。それは、日本国民に対する責任です。供述を残した件の人々が負うべき敗戦の責任です。ただし、中には「敗戦」という責任を負わせるほどの地位にあったとは思わない人も多かったのは事実です。


 おそらく、「政治責任」という言葉もそれに包含されるでしょうね。「敗戦の政治的責任」ということではないでしょうか。


 
 大日本帝国憲法の3条に「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」とあります。大日本帝国下の戦争は、すべてこの憲法下で行われたことになりますので、この条文がある以上は国政上「天皇に一切の責任」はないということになります。よく、会社の不祥事でトップが経営責任を感じて辞職することがありますが、それと天皇の地位を結び付ける議論があります。しかしながら、会社のトップは、経営に関して全責任を負っているわけですから、「不可侵」である天皇とは全く異なりますね。物事をよく考えればわかることです。




 ところが、厄介なのが「責任」というものはいわば「道義」の上からも問われることが多いことです。例えば、僕が好きで始めたこの「3と1の会」ですが、曲がりなりにも30回という節目を迎え、毎月集って来る人を考えれば、最早僕が勝手に「や~めた」とは言えないでしょう。つまり、「始めた責任」が僕にあるということになります。僕個人は、それを十分に感じているつもりです。


 そのような「責任」を「道義的責任」とするならば、天皇にもそれは確かにあると思います。昭和天皇自身もそれはよく感じていました。「東京裁判」で起訴された被告たちを「自分が退位することで救う事はできないだろうか」と側近に漏らした事はよく知られています。また、「彼ら(戦犯の被告)は、国内法では罪人にあらず。かつての忠臣が裁かれるのは誠に忍びない」という言葉も知られています。


 おそらく、その「道義的責任」を日本国民の誰よりも感じていたのが昭和天皇であったと思います。








 
 「だってつぎはぎの服は決して恥ずかしい事じゃないって院長先生がおっしゃってたもん」


 この通りのセリフではなかったと思いますが、これは昭和天皇の学習院初等科時代のエピソードです。穴のあいた服を棄てようとする女官に対し、「つぎはぎをしてくれ」と言ったといいます。この院長先生は乃木希典のことです。昭和天皇は、幼少の頃、この老将軍から受けた薫陶を最も印象的であったと語っています。


 古今東西の元首の中で、幼いとはいえこのような事を口に出した元首は、昭和天皇ただお一人ではなかったでしょうか。
僕は勝手にそう思っています。





2010年8月16日月曜日

65年前の終戦記念日を思う その9 最終回

65回目の終戦の日も、猛烈に暑い日でしたね。


とうとう、現職閣僚がただの一人も靖国神社へ参拝しないという事態となりました。
国の命令で命を捧げた人々を、一定の宗教的儀式によって慰霊することを拒む国が、
他にどこにあるのか教えてもらいたい。


全国戦没者慰霊式典の模様が記事に出ていました。
最年少の参列者は4歳だとか・・・。
その4歳の幼児のインタビューも載せてましたね。
「戦いはこわい」とか。


なぜこの国は「戦争」となると、情緒的で感情情的な物言いしかできないのでしょうか?
それが不思議でたまりません。「戦争」が嫌かと問われれば、誰でも「嫌」と回答するでしょう。
そんなことは、ことさら取上げる必要はないと思うのは僕だけでしょうか?


悲惨さばかり強調され、その命を捧げたほどの献身、勇気については一向に触れられる事がありません。
泉下の日本人たちは、いかなる思いで後生の日本でくらす人々を眺めているのでしょうか?
そう、思うと暗澹たる思いになります。


「かくばかり みにくき国となりたれば
ささげし人の ただに惜しまる」







2010年8月11日水曜日

65年前の終戦記念日を思う その8

「常に国家をこの世の地獄たらしめたものは、
まさしく人が極楽たらしめようとしたところのものであった」
18世紀 ドイツの詩人ヘルダーリン


 僕は寡聞にして知らないのですが、古今東西の世界のどこに、かつての植民地支配を謝罪する国があるのでしょうか?
イギリスはインドに謝罪したのでしょうか?オランダはインドネシアに謝罪したのでしょうか?はたまた、フランスはベトナムに、スペインはフィリピンに謝罪したのでしょうか?


 今の価値観で、かつての事実を断罪することに何の意味があるのでしょうか?


 朝鮮半島の例をいうならば、その半島は日本にとって国防上、大変重要にありながら、時の朝鮮政府は近代国家ではなく、朝鮮政府にそれを任せる事ができないから、併合したまでのことです。半島の政治的安定は、イギリス、アメリカなどの列強も等しくそれを認め、国際法上きちんと進められたことです。


 もちろん、今の時代なら到底許される事ではありません。ただ、20世紀初頭ではそれが極めて普通のことでした。なぜそれがわからないのでしょう?僅か10年前ほどの映画を見ても、街中で歩き煙草をする主人公は多く出てきます。今ならできそうにないことです。なぜ、10年前はそれができたのかを問えば、「その当時はそれが普通だったから」と回答するでしょう。今はできないけどと・・・。


 
 さて、現内閣の閣僚は、今年は一人も靖国神社へは参拝しないそうです。菅首相も明言してますね「参拝しない」と。何でも「アジア重視」だとか・・・。彼の言うアジアは具体的にどこのことを指しているのか明らかにしてほしいですが、靖国参拝にいちゃもんをつけてくる国は、韓国と中国しかありません。その2カ国をもって「アジア」などと、人を誤らせるような言い方は謹んでもらいたい。なんでも、参拝しない原因は「A級戦犯」が祀られているからだと・・・。即ち、「侵略戦争の責任者」が祀られているからだということが原因だというのです。


 A級戦犯として裁かれ、終身禁固刑を受けた賀屋興宣という、近衛、東条の両内閣で大蔵大臣を務めた人がいます。彼は、1955年に仮釈放されたあと政界に入り、池田内閣では法務大臣を務めています。昭和30年代ですね。彼が法務大臣として、日本国政府の閣僚となったのを、韓国や中国は問題視しませんでした。もちろん、日本国内でも問題視する声など皆無・・・。同じく重光葵(禁固7年)は、鳩山一郎内閣で外務大臣を務めています。鳩山一郎は、ご承知の通りうつろな目の御仁の祖父です。重光葵は、鳩山一郎と共同で日本民主党を結成した人物でもあります。うつろな目の御仁は、自身の祖父が「A級戦犯」とともに政党を結党したこと、外務大臣として「A級戦犯」を起用したことを、きちんと説明できるのでしょうか?


 昭和20年8月15日に、日本国軍隊は無条件降伏し、9月2日に停戦条約が結ばれました。日本の戦争状態が国際法上正式に終ったのは、昭和27年「サンフランシスコ平和条約」が発効した4月29日です。つまり、日本は停戦後7年に渡り国際法上は戦争状態にあったのです。その平和回復後、生き残った人々は極めて真っ当な感情を抱きます。それは、「戦争は終わったのに、未だ帰国できないシベリア抑留の人、戦犯裁判で裁かれ未だ獄中にある人を救いたい」と。また、戦犯とされて処刑された人の遺族は、公的扶助(恩給)の資格がなく、困窮にあえいでいることを救いたいと・・・。


 これは全国で4000万人もの署名が集められ、国会で正式に議決されることになります。即ち、「戦犯裁判で刑を受けた人は国内法の犯罪人とみなさない」「恩給支給の対象者とする」と、至極妥当な議決です。ですから、戦「犯」などと、「犯」という字を使うのは本来なら憚られることなのです。靖国神社では彼らを「法難者」「昭和殉難者」としています。


 こういう、事実をきちんと大新聞は報じてもらいたい。




 大新聞といえば、日経で「戦争と言論人」とかいう特集記事が組まれ始めて本日で第4回でした。初回は石橋湛山でしたね。東洋経済新報社を創設したジャーナリストで、当時から「小日本主義」を標榜して日本の大陸進出には批判的な人物でした。そういう人間をこの国の大マスコミは崇めますね・・・。しかし、その記事を書いた日経の記者は、石橋湛山が東京裁判において「日本が受けた経済的圧迫」と「貿易なしでは生きられない日本の姿」を弁護側の要請によって提出した事は知らなかったと思います(ちなみに、この資料は裁判所に却下されました。連合国に不利だからです)。本日の「菊竹六鼓」の説明記事には、「彼は植民地主義を認めていた」と石橋湛山と比較して彼を非難する一節があります。どうでも、この国の過去を断罪しないではおれない、しかも断罪してそれを謝罪させなければならないという、妙な感情とは一体何なのでしょうか?


 と、つらつら考えると、冒頭のヘルダーリンの言葉になったわけです。







2010年8月6日金曜日

65年前の終戦記念日を思う その7

 今日は、広島での平和祈念式典の日ですね。初めてアメリカから駐日大使が出席し、国連事務総長や、イギリス、フランスからも出席があるそうです。何れも初めてのこと・・・。何故、今この時期に初の出席となるのか?その真意はどこにあるのでしょうか。


 広島にはかつて仕事で延べ連続7日間の滞在を4回ほど繰り返したことがあります。仕事といってもほとんどがアルバイト管理だったので、昼間はよく市内をぶらぶらしてました。これ幸いとばかりに、こっそりと江田島の旧海軍兵学校まで足を伸ばしたこともあります。


 瀬戸内特有というのでしょうか、空気の重さが感じられるほどの蒸し暑さには閉口しました。


 広島平和記念公園内に、「安らかに眠ってください。あやまちは繰り返しませんから」と刻まれた碑があります。フィリピンはルバング島から30年ぶりに帰還した小野田さんが、それをみて「これはアメリカが書いたのか?」と発したのは有名な話・・・。


 8月6日に広島、9日に長崎とアメリカは2発も原爆を落とし、一瞬にして20万人以上の一般市民を虐殺しました。


 戦争はより多くを殺した方が勝利を得るという、およそこの世で考えられる中で一番残酷なものですが、それでもその中にはルールがあります。例えば、捕虜の扱い方や一般人の殺害を禁止するなどです。いわゆる戦争犯罪といわれるものは、このルール違反を問われたものです。


 東京裁判では、昭和12年12月から1月にかけて日本軍が国民党政府の首都南京で軍民20万人以上を虐殺したといわれる「南京大虐殺」なる事件が裁かれました。今では30万人以上と犠牲者の数が増えているようですが、これは大変不思議な事件で、当時日本軍と一緒に行動した日本の100名以上の報道関係者のほぼ全員が、現地で大虐殺があった事など、見た事も聞いた事もないと証言しています。しかしながら、裁判で集められた検察側の証拠は、すべて取り上げられたにもかかわらず、弁護側が提出した証拠はほとんどが却下され、しかも証人への反対尋問も完全に認められませんでした。


 仮にそれが事実だったとして、その年の7月から12月まで激戦を繰り返してきた軍隊の、狂気ともいえる見境のない殺人と、上空から投下レバーをひいて原子爆弾を落とした殺人に違いがあるのでしょうか。原子爆弾の投下だけにとどまらず、東京で一夜で10万人を殺害した東京大空襲も、同じように一般市民の殺害で戦争犯罪に問われるべきなのです。


 
 さて、フランス人でエマニュエル・トッドという学者(社会学者かな?)がいます。かなり日本でもその翻訳が出版されていますが、出版社は左翼系の藤原書店で、かなり反米的要素が強い本だと思います。僕は彼の著作を未だ読んだことはありません。最近、ネットで知ったのですが、その彼を朝日新聞が招いて講演してもらったらしいのですが、呼ばれた彼はこう言い放ったそうです。


「日本は唯一の被爆国として、世界で唯一の核保有国になる権利を有している。なぜ核を保有しないのか」


 朝日新聞は慌てたでしょうね・・・。


 

2010年8月5日木曜日

僕の国家観とマッカーサー証言

 本日の日経記事によれば、任期わずか6日間の参議院の当選議員に1か月分の歳費が出るのはおかしいとの声に、日割りで支給するという案が出されたそうですが、驚くことにすんなりとは決められなかったようです。当選新人議員の中には、「前の衆院選では任期2日で1カ月分が出たのに不公平ではないか」という声もあがったそうです!なんというあさましさなのでしょうか?そういう人間は実名を出してほしいと思います。「修身治国平天下」という言葉を知らないのでしょうね?そんな人間にこの国のことをとやかく言ってほしくないと思うのは、僕だけではないでしょう・・・。
 結局、今国会で成立したのは、「自主返納できる」ということになり、日割り計算を法案化することは次回の国会に持ち越されたそうです。大マスコミ様には、誰が自主返納し、誰が自主返納しなかったかを実名で報道してほしいと思います。




 さて、本題。


 今日は僕の考えている国家観みたいなものと、それに関連したマッカーサーの証言を紹介してみたいと思います。


 参院選の後にも思ったのですが、この国の政治家に限らず、言論一般は非常に内向きになっているような気がしています。外に関わり合う程の余裕が国内にないからでしょうか?景気は先行き不透明、国家財政は破綻しそう等々の内憂は、外へ向けての思考の回路を閉ざしているかのようです。そんな中で僕はこれからの日本はどのような国家であるべきなのかを、漠然とですが次のように思っています。


 私欲の為に弓矢は取らぬ。
 ただ筋目を持っていずこへも力を貸す」

 この上杉謙信の言葉は以前、ここでも紹介しましたが、僕はこの国はこうであるべきだろうと思っています。世界中のあらゆる困っている国々に援助の手を差し伸べる。軍事力の行使すらタブー視はしない。いうならば「道義国家」こそが、この国の理想像だと思っています。誤解のないように言っておきますが、「軍事力の行使」はある種の警察力の発動の一種だと考えて下さい。例えば、デンマークはアフガンへ兵力を派遣してます。非常に少数ですがね。「テロ根絶」は国際社会の務めだと思っているからです。僕は、日本もそうあるべきだと思っているのです。その基準は「筋目」、即ち「道義」でしょう。必要な国には医療も、食糧も、物資だけでなく人間もどんどん派遣して助けてあげればいいのです。国連が介入する紛争地域での停戦監視団には、どんどん自衛隊を出すべきでしょう。グラミン銀行みたいなものも、日本政府が出資して多くの貧しい国に作ってやればいい。そしてこの国の学校教育は、初等教育時から「道義」という、ようするに道徳観念を教えればいいのです。「人の役にたちなさない」と。僕は、教育というもの、特に初等教育においては、どんな国であるべきなのか、どんな国民であるべきなのかということが定まっていなければならないと思っています。

 この国に生きる1.2億人は、自国市場だけでその生存を賄えないのは、昭和初年からかわっていません。かつては、主食であるコメの自給率も低く、国外から輸入せざるを得ませんでしたから。海外から食糧を輸入するだけでなく、「一番」であるはずの「ものづくり」ですら、材料が輸入できなければ形にすらならないじゃないですか。ということは、世界が平和で経済・貿易に対する協調主義が世界のコンセンサスにないと息の根をとめられてしまうのです。かつてあった「貿易・関税に対する一般協定」通称GATTは、第二次大戦前の各国の保護主義的な経済政策が戦争の惨禍をもたらしたとする反省からつくられたのですよ。だから、世界の平和を担保するため、もうひとつは困っている国、人々を助けるという、道義に立脚した外交政策が、日本には必要だろうと思っています。もちろん、困っている国、人々を助ける裏には「資源外交」もあります。将来の資源を確保するためでもあります。

 さて、ここまで来てようやくマッカーサーの証言についてです。朝鮮戦争時、中国北部(かつての満州国)への進行と、原爆投下を進言して、トルーマン大統領に首をきられた彼は、帰国後米国議会の上院軍事外交合同委員会で次のように証言します。

「潜在的に日本の擁する労働力は量的に質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。(中略)これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし、彼らには手を加えるべき原料を得ることができませんでした。日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」

 もう少し説明しますと、マッカーサーは、日本の経済的事情から、あの戦争は自衛戦争だったと証言したのですが、もうひとつ重要なことがあります。彼は、朝鮮戦争で怒涛のように押し寄せてきた中国軍を完全に押し返し、半島全体を共産主義から守るにためには、半島の根っこである中国東北部、かつての満州国の領土にまでおしださないと、安全が担保されないと軍事上の必要を認識したわけです。ちなみに、満州を日本が領有したのも、当時は日本の領土だった朝鮮半島をロシアから守るためというのがその理由の一つです。

 マッカーサーの証言した当時の日本の姿と、今の日本に大きな違いはあるでしょうか?本質的には何も変わっていません。変ったのは日本をとりまく世界の方です。ならば、このせっかく変わってくれた世界の、戦争の無い状態を未来永劫続けていくために、そして、世界が保護主義に走ることなく、自他共存できる経済環境の存続と発展にあらゆる努力をこの国はすべきだだと思いませんか?それは「核廃絶」を願うなどということとは全くの無縁のことです。



 

2010年8月4日水曜日

東京裁判について

 毎年8月15日になると、政治家の靖国神社参拝の記事がマスコミを賑わします。新しいところでは「8月15日に参拝する」と明言した小泉純一郎でしたね。確か、その前日にこっそり参拝したのではなかったですかね。


 マスコミがことさら「それ」を騒ぎたてる様になったのは、1985年の中曽根康弘総理時の中国の干渉が始まってからのことです。それ以前の歴代の総理大臣は、例外なくきちんと公式参拝をしてます。中国と韓国が「A級戦犯が祀られているから」という理由で、総理の参拝を許さないとかいういちゃもんをつけ続けてますが、A級戦犯の合祀は1978年に行われ、翌年に発表されています。それから1985年までの6年間は、その両国は黙ったままです。それが急に1985年から、不当な干渉を言い募るようになるのです。もう、25年間です。四半世紀にもわたる期間、この国のある意味、民族感情、宗教意識といっていいと思うそれを、外国にかき回され続け、きちんとその主張をしようともしない。もううんざりします。


 「政教分離に反する」とかいう声がありますね。靖国神社に総理や閣僚が参拝する事は、それに違反しているというのです。そういうことを言い募る人々は、この国の1兆円を超す税金が、キリスト教や、仏教を教育の柱とする大学などへ私学助成金として支払われていることになぜ反対しないのでしょうか?教育の根本に宗教があることは、世界中の常識ですね。新渡戸稲造が「武士道」を著したのも、「あなたの国の教育に宗教教育はないのか?それなら、人間教育をどうやって行うのだ?」と外国人に尋ねられ、「日本の人間教育は武士道によってなされると発見してからだと、冒頭に書いてあります。


 国際基督教大学は名前のとおりキリスト教をその建学の精神に置いています。専修大学は「専修念仏」という浄土宗の言葉でしょう。教育の根本に、宗教があるのは極めて自然なことだと思いますが、政教分離と声高に叫ぶ人々は、そういう教育機関への公費支出を反対しないのは論理矛盾ですね。支離滅裂・・・。


 僕は、総理大臣が参拝するのは当然だと思っていますし、その事について他国にとやかく言われる筋合いのものではないと思っています。ごちゃごちゃ言われるその原因が東京裁判でのA級被告云々だそうですが、その東京裁判自体が、いかにでたらめで、不公正で、不正義なものなのか、次回の3と1の会で皆さんに紹介して共に考えて頂きたいと思っています。


 次回第30回は8月26日です。