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2011年5月31日火曜日

Tシャツ・Jeans

考えてみたら、僕は22歳からこれまでの間、ネクタイ・スーツ姿で仕事というのは合わせても4年ほどしかない。ずっとTシャツにJeansで通してきた。何もスティーブ・ジョブズのようにと思ってたわけではない。ただ、ホリエモンが騒がれた頃にはちょっと閉口した。彼のスタイル・センスと比べられるのはちょっとねぇ・・・。

僕も最初からそういうスタイルだったわけではなく、最初はずっと襟付きの長袖シャツで通していたのだが、そのうちTシャツでもクライアント先へ行くようになっただけ。まあ、プランナーという肩書もあったので、ある程度は自分のセンスも売っていたわけであるが、クライアントはおそらくそんなセンスなどちっとも理解していなかったと思う。どうでもいいことなんだ、そんなもの。

スーパークールビズとかいうものの浸透が図れるか否か・・・。そんな言葉はどうでもいいですが、「ポロシャツで商談できない」とかいってますが、頭が固いな。思い込みに過ぎないでしょ。服装規定なんてあるのが僕には考えられない。

今日はこれまで。
 

2011年5月30日月曜日

亡くしたもの

グアム島はリゾート地として多くの日本人が訪れる島、かつてそこは玉砕を禁じられた島であった。

米軍上陸1週間後の7月27日(昭和19年)、大本営から重要電が届く。
貴官ハ万策ヲ尽クシテタトヘグアム島ノ一角ナリトモ可及的長期ニコレヲ確保サレタシ
米軍は7月29日に星条旗を掲げて以降掃討戦にはいる。この時、日本軍の兵力約5千人。遊撃戦に奮闘するも8月12日に

ここに内地との連絡を絶つ

という決別電を送ることになる。組織的戦闘の終焉である。敗残の兵1千人は、二手に分かれて更に戦い続けた。一方は、昭和20年9月4日に停戦に肯んじたが、残る一方にはその時でさえ300名を超す人間が投降を拒否し続けた。

昭和35年5月に、最後の日本兵二人が投降した。

しかし、最後ではなかった。昭和47年、横井庄一氏が生還したのである。

恥ずかしながら帰って参りました

これが帰国後の第一声であり、当時の流行語にもなった。
当時の社会に与えた衝撃は相当のものだった。

さて、その横井氏が帰国後初めて靖国神社へ参拝した時に発した言葉が

天勾践(こうせん)を空(むな)しゅうすることなかれ
時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず

であったという。「天は勾践を見放すようなことはしない、必ず范蠡のような忠臣が現れて助けてくれる」といった意味か。児島高徳がひそかに桜の幹に書き記して、後醍醐天皇に奉った詩の句とされる。

横井氏がどんな心境でこの詩を読んだのかわからない。天皇陛下を勾践となぞらえたのだろうか。だとしたら、まこともって絶妙なものであると言わざるを得ない。幼き日に学んだ児島高徳の事を思い出したのだろう。彼は高等教育は受けていない当時の大多数の日本の庶民である。

これを諳んじている人間が今どれほどいるだろう。
僕らの国は、ホントに実に多くの言葉を亡くしてしまった。

今日はこれまで。

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2011年5月29日日曜日

憧憬

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとめるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に来り石投げて遊びくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしを思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそなくべかりけれ 
萩原朔太郎

僕の好きな詩なんですが、文語というものの持つリズムや言い回しが、到底今の僕には使いこなせないものなのであこがれみたいなものを感じてしまいます。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりにも遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

これは、当時の広い世界に対するあこがれが 胸にスーッと入ってくる。最早、当時の人々のその気持ちは僕らは持ち得ません。

今の世が幸福なのか不幸なのか。
どっちなのか・・・。

本日(28日)の日経最終面に歌人佐々木幸綱が「詩歌に賞味期限はあるか」ということを書いていました。中村草田男の

降る雪や明治は遠くなりにけり

が、高校の教科書から「遠くなりすぎた」という理由で削除されたらしいのですが、それについての違和感を記しています。前にもここで書いたかもしれません。この句は昭和6年に詠まれたものなので、ちょうど今(平成23年)になって「昭和」を偲ぶような、そんな時間間隔です。その時間間隔への草田男の哀しみは、「20世紀少年」をみて昭和を懐かしんだ世代と共通しているかもしれません。懐かしさは、時に胸を締め付けるような哀しみになりますからね。

さて、とするならば詩歌に賞味期限なんぞあるわけではなく、 その削除に賛成した検定委員の人びとの判断には疑問符をつけざるをえません。


今日はこれまで。

2011年5月28日土曜日

原発 日本不信ぬぐえず

本日(28日)の日経1面。

「原発日本不信がぬぐえず」 が記事タイトルに踊ります。正鵠を得た内容で溜飲を下げました。サミット開幕前の25日の日仏首脳会談の様子を次のように伝えています。

「原子力か、原子力なしか、という議論は適切ではない」。25日の日仏首脳会談。太陽光などを柱に育てると意気込む首相を、サルコジ仏大統領は突き放した。「フクシマ」を脱原発につなげたくないというのがフランスや米国の思い。それが伝わらない。

以前、ここでも書きましたね。福島原発の事故処理に対するもたつきは、同じく原発を抱える各国の国益を損なうことになる。日本に対する支援の申し出は必ずしも日本を心配してだけのことではないと・・・。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/4.html

こんな当たり前のことすら認識していたとは思えないですな、この国の総理は・・・。記事によると、サミット開幕の冒頭でその人は、自然エネルギーの割合について、「俺は2030年に30%といいたい」と官僚に注文を付けていたらしいですよ。官僚には「数値の根拠がない」、「国会答弁に耐えられない」とたしなめられて、予定通り「20%」となったらしいです。

僕がその官僚だったならば、たぶん怒気を含んでこう言ったと思います。

世界が今日本に望んでいるのは、 そんな将来のことではなく、今この原発の問題をどう処理していくかがである。そして原子力の信頼、安全を日本の技術力がどう担保していくかということのはず。将来の20%が30%になろうと、今は大した問題でない。それにこだわることは脱原子力というイメージを世界各国に与えてしまう。それでは各国が黙ってませんぞ。日本の国益だけでなく、世界の国益を損なうことになる。

とまあ、こんなことを言えなかったのでしょうかねぇ。近視眼も極まれりですな。記事にはこうもあります。

ほかの先進国が歴史的な近く変動とも言える中東・北アフリカの民主化や、政府債務の信認危機といった新たな変化とリスクに向き合うなか、日本は取り残された。

自国だけのことにかまけて世界全体に目を向けずに、それについての何の発信もできない。これは今の政権だけのことでなく、古くは第一次世界大戦後のパリ講和条約時にもみられたことなので、どうも日本という国の限界かもしれませんね。この話はいずれ書きましょう。

今日はこれまで。



2011年5月27日金曜日

海軍記念日 空気

5月27日、本日は海軍記念日です。これは「日本海海戦」大勝利をおさめた日を記念したというわけで、同じように陸軍記念日というのもあって、こちらは「奉天会戦」が行われた3月10日です。どちらも日露戦争での出来事で、あれにより日本が世界列強の中に入って行ったわけですので、それを記念顕彰しようというのはよくわかります。

しかし、その後の歴史をみると日露戦争での日本の勝利は多くの弊害を残したように思います。たとえば、「精神力偏重」ということでしょう。勝利の原因を日本軍人の艱難辛苦によく耐える精神力としたわけですからね。

日本海海戦で一躍国民のヒーローとなった東郷平八郎もは、彼我の物理的戦力量を正確に認識していたからでしょう、その不足を補うために猛烈な訓練を施します。そのこと自体はいいのですが、後に

百発百中の砲一門、能く百発一中の砲百門に勝る

という事を言い、「月月火水木金金」といわれるもう訓練を海軍に遺しました。極めて精神的なもので、戦力というもののもつ物理的・精神的要素のうち、物理的なものを捨象したようなものですね。砲は1門より100門の砲がいいに決まっている・・・。

日露戦後は、陸海軍だけでなく政府、一般国民のうちにもこういった「空気」を蔓延させました。誰も言葉で言ったわけでないのに、いや言葉でないからこそ否定できないもの、それが「空気」です。

もう言葉にしたくないですが、原発注水の中断問題。今になって注水中断はなかったとか新聞報道にありますが、そこで目にした記事に「官邸はそんな空気ではない」ということが、東電に伝えられて東電はそれにあたふたしたと・・・。

またもや「空気」か・・・。

この国は何にも変わっていない。何にも変わっていないこの国が、なぜかつてのこの国の歴史を否定したりできるのか・・・。目くそ鼻くそを笑うと同じようなものです。

今日はこれまで。

追伸)山本七平に「空気の研究」という本があります。名著だと思います。日本人の集団の中で、それがいかに大きなものなのかがわかると思いますよ。












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2011年5月26日木曜日

戦艦大和ノ最後 初出テクスト

昨日、ちょこっと書いた吉田満の「戦艦大和ノ最後」は、格調高い文語体で綴られた鎮魂の賦だが、現在世に出ているその本(初版)の最後の文章は

「徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米 今ナオ埋没スル三千ノ骸 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」

で終っている。

「この作品の初稿は、終戦の直後、ほとんど一日を以て書かれた」と。著者は初版あとがきで述べている。これは日本が独立した直後昭和27年に出版 されたもの。実はこれの公刊が試みられたのは昭和21年12月に発行された雑誌「創元」であり、占領軍の検閲にひっかかり、日の目を見ないで葬られた。

その後、昭和23年には吉田健一(吉田茂の息子で英文学者)→吉田茂首相→白洲次郎経由で、占領軍の検閲解除を諮ったがこれも叶わなかった経緯もある。

二度の公刊を妨げられた著者は、それでも諦めず、昭和24年文語体を口語体に改めて書き直し、「小説戦艦大和」として初めて世に問うた。内心忸怩 たるものがあったことが容易に想像できるが、これを著者は「約三年前、或る特殊事情のために、本篇は極めて不本意な形で世に出ることを余儀なくされた」と 前出初版あとがきで述べている。何故「特殊事情」を「検閲」と書かなかったのだろうか。

昭和21年、彼が公刊を試みたその作品は、初版本とはかなり異なっており、最後の数行は以下のようになっている。

サハレ徳之島西方二十浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體四裂ス 水深四百三○米 乗員三千餘名ヲ數ヘ、還レルモノ僅カニ二百數十名 至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ」

作品の掉尾、僅か数行だけでさえ作者のメッセージは大きく変わっている。これに比べると、現行流布版の初版と題されたものでさえ、通俗的な「戦争 は嫌だ」「戦死者は可哀想」的なものになってしまっていると僕は感じる。著者の胸中にいかなる変化があったのか、今となっては知る術もない。

この初出テクストを米国メリーランド大学付属図書館から発掘した江藤淳は、それを「敗北」とみている。何にか。「戦後思想」にである。

「(前略)このような敗北が吉田氏のみならず、いかに多くの人々の内部で起ったか。それをわれわれは、敗北とは名づけず、”平和”と”民主主義” の獲得と呼んだ。もしそうであるとすれば、この場合、”平和”と”民主主義”は作品の決定的な価値を犠牲にすることによって、はじめて「獲得」されたのである」
出所:「1946年憲法その拘束/江藤淳/文春文庫」

今日はこれまで。

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2011年5月25日水曜日

平安

僕と同い年の友人。

彼は一人っ子で、確か中学生の事に父親を亡くし、母親一人に育てられた。その母親も3年前に亡くなり、彼の新築の家の仏壇に今はお二人ともおさまっている。

先日、仏壇にまいっているときに、彼の若い父親は、年をとってから亡くなった彼の妻(友人の母親)をどんな顔で迎えるのかなと考えたりして、なかなかその前から立つことができなくなった。死者は永遠に若いままだ。


故人老いず生者老いゆく恨みかな

という菊池寛の歌を以下のようにもじった人がいた。

故人老いず生者老いゆく痛みかな


吉田満。「戦艦大和の最後」の著者といえばわかってくれるだろうか。吉田にとって故人とは、亡くなった戦友であり、自らは生き残ったことへの負い目を「恨み」より「痛み」というもっと強い言葉で表現したのだ。

ホーキング博士が「死後の世界などない」と断言して、宗教界から抗議の声があがっているらしい。博士は、宇宙の誕生もすべて物理法則で説明できるため、神はいらないと言っているが、僕は死後の世界はあるかないかで考えるべき問題ではないだろうと思っている。そうではなくて信じるか信じないかの問題なのだ。この僕は、死後の世界というより、魂の不滅を信じているので、その魂の出会う場所が「死後の世界」というところならば、それはきっとあるのだろうと信じている。 そして、なによりもそれによって心の平安が保てるなら、そう思ったほうがいいだろうとも思っている。

死者に向かって「また逢いましょう」と声をかけるのは、いずれ自分もそこへ行く身だからということを確認する大事な儀式のような気がする。

というようなことを仏壇の前であれやこれやと考えていた。

今日はこれまで。

2011年5月24日火曜日

領域

今年四歳になる娘には「ちちうえ」と呼ばせている。特に理由はないが、「パパ」より「おとうさん」より、僕にはその方がいいと思ったまで。

世にたったひとりの僕を呼ぶ声が、昔読んだ寺田寅彦の随筆を突然思い出させた。
大学の構内を歩いていた。病院の方から、子供をおぶった男が出てきた。
近づいたとき見ると、男の顔には、なんという皮膚病だか、葡萄くらいの大きさの疣が一面に簇生していて、見るもおぞましく、身の毛がよだつようなここちがした。
背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
そうして「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。
(大正十二年三月)

余計な講釈はいるまい。



2005年の僕の年賀状の文章からとりました。

この時4歳だった娘は早10歳になろうとしつつあり、幼女から少女へと成長しています。男親だからなのか、その成長が少々複雑です。ずっと幼女のままでいればいいのにと思ってしまう気持ちがあるからです。その気持ちは何ともいえぬものです・・・。

さて、寺田寅彦。
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年明治11年)11月28日 - 1935年昭和10年)12月31日)は、戦前日本物理学者随筆家俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身(出生地は東京市)。(出典:Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AF%85%E5%BD%A6)

物理学者でありながら、彼の随筆は非常に豊かな文才が溢れています。「柿の種」という随筆集が出ており、僕はそれを読んだわけですが、「寺田寅彦全集」も出ていることから考えても、彼の本職が物理学だとは到底思えないほどです。


天災は忘れたころにやってくる

と言ったのは、確か彼だったと思います。記憶が不確かですけど・・・。

かつての帝国に住んだ日本人は、学者とはいえ専門バカになることなく、実に深い教養というか、文学的素養を身に着けていたのですね。領域が非常に広くかつ深い・・・。そして、その感性もこの短い文章を読むだけで素晴らしいものだとお分かりになるはず。
それと比べると今の時代の人たちは実に狭量な知識の上でしか物事を書いていないことがよくわかります。もちろん僕自身も含めてです。

今日はこれまで。 



2011年5月23日月曜日

いい加減にしろ!その2

あきれ果てて心底厭になる・・・。

海水注水を中断した事を巡っての記事です。名指しで挙げられた斑目とかいう人が「名誉棄損だ!
私の原子力専門家としての生命にかかわる」とか言って激怒したらしいですが、心底激怒し、許しがたいと思っているのなら、その事を表明したうえでさっさと政府の専門委員を辞職したらいい。それをしないで、あ~だこ~だ文句をつけても所詮は、政府の御用学者としての報酬か名誉か、どちらかしりませんが、それについて執着しているのでしょう。往生際が悪いわ・・・。政府の対応を批判して先日辞職した政府委員がいましたが、そちらの方がよほど立派・・・。

一方、政府の方はといえば「危険性」を「可能性」に訂正したりしてその委員の激怒をなだめすかしているようですが、問題は政府の指示で注水を中断させたかどうかということでしょ。政府はそれを認めておらず、すべて東電がやったこととしたいようですね。何とまあ情けない。責任のなすりつけ合いは見苦しいの一語につきる。

このような政権に、ホントに日本を任せられるのか?

今日はこれまで。

2011年5月22日日曜日

いい加減にしろ!

本日(22日)の日経の社説。

またもやTPPのこと・・・。参加決定を先送りにした菅総理を「平成の開国が泣く」とかいっています。 いや、ホントにいい加減にしてほしいよ。

僕の意見が間違っていて、日経の記事が正しいのかもしれません。正誤の問題ではないのです。意見の対立はあって当然です。とやかくは言いますまい。何度も言っているのは、「平成の開国」などという中身のない嘘の言葉を使うなということ。社会の木鐸が聞いてあきれる。

そういう二項対立の幼児の世界観を持って国策を論じる愚かさを知れ!


今日はこれまで。

2011年5月21日土曜日

今さらそんなことを言われても

東電格付け、7段階以上引き下げの可能性も

格付け会社ムーディーズ・ジャパンは19日、記者説明会を開き、金融機関が東京電力向けの融資の債権放棄をした場合、現在「Baa3」となっている東電の長期格付けを7段階以上引き下げる可能性があることを明らかにした。(読売新聞)

5月19日のYahooニュースの記事です。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/credit_ratings/?1305810341

社会主義者の枝野官房長官は、東電には「無限の責任がある」と公言しました。その「無限の責任」を負っている会社に、投資する人間などどこにもいないと考えることが極めて自然なことです。格付けが下がろうが今さら何の関係もないですよ。社債や株式の発行など当面は不可能でしょうからね。

と僕は思ってしまうのですが、違うのかな。

今東電は叩かれまくってますが、震災前は超優良会社として生保やら、国の基金やらが運用先として重宝していた会社でしょ?超安全株として。東電株を持っている多くの会社も、かなり決算時には評価損を出しますね。もう売っちゃったのかなとも考えますが、どうでしょう。

しかし、国が完全に後ろ盾についているのに、純粋な民間会社という定義は何でしょうね?国は厄介な原子力発電所というものを、すべて民間会社を矢面に立てて自らは頬かむりしていたわけですよね、これまでは。考えてみたらずるいことです。これからはそうはいかなくなる・・・。

今日はこれまで。



2011年5月20日金曜日

管直人内閣総理大臣殿

という書き出しで始まる一文を、西岡武夫参院議長が読売新聞に寄稿しました。

菅首相、貴方は即刻、首相を辞任すべきです。

とストレートな物言いで始まり、彼にはこの国難を乗り越えるにに必要な「必死さも、決意も、術もなく」と一刀両断に斬って捨て、最後は以下のように締めくくられています。

私は、いま、己の長い政治経験と、菅政権を誕生させた責任を感じ、断腸の思いです。
読売新聞によれば、三権の長である参院議長が、行政府の長たる首相の退陣を求めるのは極めて異例とのことらしいですが、ホントにそうですね。よほど腹にすえかねたのでしょう。

しかしながら、この西岡なる人も本当に責任を感じているのなら、せめて自ら職を辞すくらいは必要ではないか?「責任を感じ、断腸の思い」であるなら、その責任は一体どう果たすつもりなのか?

その決意もないくせに、ただその言葉を口に出されても「口先だけ」と思われる。そしてますます「言葉」の重みが喪われていく・・・。そのことの弊害も、菅総理が辞職しない以上に大きいことを忘れてはいけません。

もっと言うなら、教養のかけらも、彼の断腸の思いも、そんなものはみじん感じられぬ文章なのには驚いた・・・

今日はこれまで。

2011年5月19日木曜日

佐倉惣五郎

4年生の娘には毎日「音読」という宿題がでます。昨日テンポよく読んでいたのは

一番はじめは 一のみや
二は 日光の東照宮
三は 佐倉の惣五郎・・・と十まで続くもの。


さて、佐倉惣五郎。

江戸時代、4代将軍家綱の時代1650年前後の人です。戦前に学校教育を受けた人ならほぼ間違いなく知っている名前だと思いますが、戦後教育の中では完全に抜け落ちた人の一人です。彼は「義民」として語られる人で、下総国印旛郡公津村の名主でした。今でいう千葉県佐倉市です。

領主の過酷な圧政に苦しんでいる村の人びとのために、その窮状を藩に訴え、それが功を奏さないとみるや、将軍に直訴までした人物です。将軍に直訴した罪で彼は磔の刑に処され、その妻子までも同様に処刑されてしまいます。しかしながら、彼の命をかけた訴えによりその領内での藩主の圧政はやんだと言われます。

何ともすさまじいほどの「義」を貫いたわけですが、後に福沢諭吉は彼をこのようにいっています。

人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉惣五郎あるのみ。
「学問のすすめ」第七編にある文章です。この第七編は「国民の職分を論ず」と題されたもので、政府がその分限を越えて暴政を行うとき、人民の分として為すべき挙は3つのみとして以下を挙げています。

節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対するか、正理を守りて身を棄つるか

そして、次のように言います。
以上三策のうち、この第三策をもって上策の上とすべし。
この第三の策は、
正理を守りて身を棄つるとは、天の道理を信じて疑わず、いかなる暴政の下に居ていかなる過酷の法に苦しめらるるも、その苦痛を忍びてわが志を挫くことなく、一寸の兵器を携えず片手の力を用いず、ただ正理を唱えて政府に迫ることなり。
ということなのです。ですから、福沢は佐倉惣五郎を前述のようにいうわけですね。

ちなみに佐倉惣五郎は、その実在が疑われた人物でもあり、当然のことながらその義挙も本当にあったことなのか否かに疑問符が付いているようです(実在は確からしいですが・・・)。それが事実が否かはあまり重要なことではなくて、この義挙がたとえ作り話であっても、江戸時代からずっと「人」の生き方として伝承されてきたということに大いに価値があると僕は思っています。

今日はこれまで。

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2011年5月18日水曜日

今日もいいたいこと2つ

福島原発では、既に3月11日の段階で炉心のメルトダウンが始まっていたことが今になって明らかにされました。すなわち、震災直後にです。

今でも明確に覚えていますが、枝野官房長官は会見でそれを否定していました。

ところが、アメリカGEの技術者たちはそれを見抜いていて、その危険性を助言していたんだとか!正確にいえば、その可能性が高いということを日本政府にも言っていたらしい。月曜日のTVタックルで知ったことです。なるほど、だから諸外国の大使館員たちは一斉に東京から逃げ出したのか・・・。今になってその理由がわかりました。

一体、日本政府は何をやっていたのか?とんでもないことです。なぜ、アメリカの意見を素直に聞かなかったのでしょう?言語道断です。

新聞にも盛んに書かれていますが、東電だけに責任を負わせて国の責任は一体どこにいったのでしょう?原発は国の政策にのっとって進められていることで、その安全基準なりなんなりはすべて国がお墨付きを与えているわけでしょ。そしたら、国の責任が免れうるわけがない。


さて、二つ目。大阪府の橋下知事が、「国家斉唱」で起立しない教職員を免職することを定めた条例を議会に提出するのだとか・・・。ソースは読売新聞。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110517-00000478-yom-pol

極めて当然のことですね。大体、思想信条の自由とかいって個人のわがままが許されてきたこと自体が問題だと思う。これまでは極めて軽い訓告といった処分でしかなかったことが不思議です。世界中、どこに「国歌」に対しての不敬が思想信条の自由として許される教師がいる国があるのか、この知事の提案に反対する人は示してほしい。そんな国は皆無ですよ。この国の極めて特殊な「戦後」の空間が作り出したアホな空気以外何ものでもない。

今日はこれまで。


2011年5月17日火曜日

季節

あまりタイムリーではありませんが、銀杏の葉も見事に復活してきてます。銀杏は12月までその葉を黄色くしながらも残していますから、春の息吹もかなり遅いのですね。なんかそんなことを初めて考えました。春から初夏への移り変わりを気にしているということです。

今年の4月は例年と比べて少し寒かったような気がします。5月になってからも急に気温のさがる日があったりと、どうも妙な感じです。そしてもうすぐ入梅だし・・・。

年が明け今日で137日目。時間の経つのは実に早い・・・。

月日は百代の過客にしてゆきかう人もまた旅人なり

今日はこれまで。


2011年5月16日月曜日

5・15事件

昭和7年(1932)の5月15日。

今から79年前の昨日は、ご存じのとおり5・15事件の起きた日でした。前に、同事件に関しては書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/11/blog-post_13.html


あの事件の処理は非常にめちゃくちゃで、国を覆うかのような事件実行犯に対する共感の嵐で法の執行が曲げられたような、そんな感じです。一国の首相を殺害した事件に関わらず、事件首謀者への懲役15年が最も重い量刑で、従犯である民間人のもっとも重い量刑が無期懲役というもの。

殺害された犬養毅の娘が「まるで殺害された方が加害者」であるかのようだったと当時のことを述べてもいます。

「気持ちはわかる」

が、一般国民だけでなく軍の上層部、あまっさえ裁判の判士までの共通の言葉で、被告の陳述に涙を流すといったふうでした。

この事件の裁判は、法律にのっとった公開の裁判でしたので、被告の陳述のすべてを国民は知ることができ、事件実行犯らの思いに涙を流して共感した国民は減刑嘆願書を送るようになります。その数何と100万通!被告らの思いは存分に披歴することができたからです。

後の2・26事件裁判は非公開でしたので一切が閉じ込められ、被告らの声は国民に届くことはありませんでした。

そんな彼らの弁護人。僕が2・26事件ついて書こうと思った理由の一つにはそれがあります。

今日はこれまで。

2011年5月15日日曜日

正気ではない・・・その2

以前、日経社説の「TPP参加を急げ」をここで批判しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/blog-post_23.html

TTPについては、朝日・毎日は知りませんが、日経・読売ともに「参加」を是とし、反対者をまるで頑迷固陋、もっといえば既得権益にしがみつく守旧派のような書きっぷりをしています。選挙制度改革の熱病の時と同じですね。冷静な議論とは思えません。

本日15日(日曜日)の読売社説はこう始まります。

自由貿易を拡大し、経済成長を実現することが東日本大震災の復興にも欠かせない。政府は、米国や豪州など9カ国が交渉中の「環太平洋経済連携協定(TPP)」への参加を速やかに決断すべきだ。

明らかな論理の飛躍があります。ここで言っているのはTPPへ参加すべき理由として、「自由貿易を拡大することが経済成長の実現と復興にも欠かせないから」ということですね。 ということは今現在の日本では、自由貿易ではない、もしくは自由貿易度合いが足りないということになります。これは真っ赤なウソですね。これがつっこみの第1点。

正確を期すなら、「自由貿易」という言葉の定義からすべきですが、おそらく社説のは、関税なき貿易ということをもって自由貿易としているのでしょう。ですが、そんな国は皆無ではないでしょうか?自由貿易に対立するものとして保護貿易というものを持ってきていると思いますが、もともとこの2つは対立するものではないですね。どこの国にでも自由貿易を掲げながら、関税をかける品目は必ずありますから。

読売に限らずマスコミは、こうやって意図的に対立の図式を作り出しているとしか思えない。言っておきますが、こんな風に簡単に図式できることなど幼児の世界観でしかない。

今の日本は世界に比しても堂々と自由貿易国家であると主張できると思います。

つっこみの第2点は、自由貿易を拡大すれば、それが「経済成長の実現」と「震災復興に欠かせない」としていることです。本当にそうなるのか? 自由貿易がバラ色の打ち出の小槌だと勘違いしているのではないか?その根拠を示してくれといいたくなります。


社説にはこうもあります。
(参加表明の)決断が遅れると交渉に参加できず、将来、日本に不利な貿易や投資のルールを押しつけられることになりかねない。

おいおい、それをいうなら、そもそも交渉国の中で日本と利害が一致するような国はあるのかないのかをよ~く考えるべき。それらの国のうち、日本のような製造品の輸出国は日本のみですよ。他はすべて農産品の輸出国。もともと日本とタッグを組んで有利なルールを作ろうとする国などないのです。ということは、そんな中に入って日本の言い分が認められることはまずないと考えるのが自然でしょう。多数決で決まるのでしょうからね。

これもおかしな主張で、つっこみどころ満載です。

さらに続けましょう。

社説は、被災した東北地方は農業が盛んな地域であることから、ここをモデルとした大胆な農業改革を実施したらどうかと投げかけ、それを全国規模に拡大して貿易自由化に耐えられる強い農業に転換させていくべきだろうと主張します。

おっしゃる通りだと思います。後継者問題や生産性の低さなど日本の農業を取り巻く課題は山積かつ深刻です。しかし、それと貿易自由化に耐えられるのかどうかはまた別の問題と思いますね。為替の問題、あるいは賃金格差の問題をどう考えているのでしょうか?日本の製造業がいかに合理化を進めてもコストの削減には限度があり、激しい価格競争にさらされる多くの製造業が海外に工場をシフトしていった事実を考えると、生産性云々で貿易自由化に耐えられるなどと考えるのはどうにも疑問符がつく。

TPPは、工業品の輸出を伸ばし、国内産業の空洞化を防ぐためにも極めて重要だ。

TPP参加賛成論者は、きまってこのようにいいます。ホントに教えてくれ、9カ国のうちどこが今以上に日本からの工業品の輸入を伸ばしてくれるのか。米国くらいのものでしょう。他の7カ国は農業国ですからね。7カ国合計で日本の40%しかないんですよ、GDPは。だったら、米国とだけ二国間の交渉をすればいいんですよ。韓国と同じように。

産業界は、震災の影響に加えて、円高や電力不足にも直面している。

社説はこう書いた後、トヨタ幹部の「一企業の努力の限界を超えている」という言葉を紹介したあと、

日本でのモノ作りが不利にならないよう、TPPを活用して競争力を強化しなければならない。


と記事を結んでいますが、円高や電力不足はTPPとは何の関係もないですね。もっといえば、円高の問題は、社説のいう産業品の輸出増大を危うくるするもの。そしてモノ作りとTPPの関係も記事を読んだだけではさっぱりわかりません。

オバマ政権は政策の柱として米国産品の輸出の拡大を謳っています。とすると、この円高は米国が狙って仕掛けたものとも考えることができるでしょう。米国にとっては好都合ですし、もっといえば、日本をTPPに参加させ、農産品にかけられている関税を0にできれば、米国産品の輸出は急激に拡大します。米国にとってTPPとこの円高は国益に沿うことなのです。日本にとっては大打撃ですね。とうより国を滅ぼすもとになる・・・。もっとましな議論をしてくれといいたい。

TPPについては、ここで何回か書いています。以下ご参考にまでに。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/01/tpp_25.html 

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/01/tpp.html 




大体世の中、声の大きい奴があげている声は間違っていることが多いもんだよ。これは僕の経験からだけど。


今日はこれまで。






2011年5月14日土曜日

言いたいこと2つ

昨日13日の読売新聞夕刊の記事によると、環境省では「スーパークールビズ」と称して、省内で執務する時に限りJeansとTシャツ、サンダルでも認めるんだとか。まあ、当然でしょうね。僕は常々日本の夏の気候にネクタイなんぞとんでもないと思っていましたし、ましてやこの夏の強制的な節電の中ではできるだけ涼しい格好を認めるのも当然でしょう。

で、気になるのがテレビ局のアナウンサーです。 照明で気温は相当に高いはずなのに、ネクタイ、ジャケット着用で涼しい顔をしているのは、よほど冷房が効いているからでしょう。彼らもネクタイを外すことをして、率先して「時代がかわった」ことを知らしめるべきだと思います。

2つ目。
国民の理解が得られない
というセリフを枝野官房長官が使いました。金融機関は東電向けの債権を放棄せよという発言ででてきたことです。金融機関にとっては「?」でしょうね。その根拠として国民みんなが我慢しているのに、金融機関だけは何もせずでは・・・といってそのセリフが出てきたのです。

彼はやはり仙石の子分だけあって、その心性は根っからの社会主義者なんですね。とにかく巨大な私企業の正当な経済活動までをも、ただ利益が巨額だからという理由で憎んでいるように思います。

彼ら=民主党は、国民の理解が得られていない「こども手当」だとか「高速道路無料化」だとかの政策を金科玉条のようにし、はっきりとはひっこめてこなかったではないですか。そのことと、自身の言ったセリフをどう整合させるのか。明らかな二枚舌です。アホ!

もっと言えばですよ、「国民の理解が得らない」とかいうセリフを使うのならば、世論調査で半数近いひとが「衆院解散」を望んでいるのは明らかなのに、それをしないのはまさしく「国民の理解がえられない」ことにならないか?

書いているうちに、心底腹が立ってきたので、今日はこれまで。

更新途切れる・・・トホホ

昨年の9月6日から毎日書き続けていたこのブログですが、昨日13日の金曜日はブログが更新できないのみならず、12日木曜日にアップした文章も途中で落ちてしまって、2日間空いてしまったことになりました。Google Bloggerのメンテナンスによりアクセスできなかったことによります。12日の分も落ちてしまったことが悔しいなぁ・・・。

何ともあっけない・・・。僕の努力と記録は一瞬にして途切れてしまいました。


今はこれまでにしておきます。

民尊官卑

官尊民卑だといって、官僚やら役所を責め立てる人がいますね。未だ公務員を税金ドロボーという人もいるのでびっくりします。この心性は怨望以外のなにものでもないと感じています。

しかしながら、この国ではタイトルのごとく民尊官卑なのではないかと思います。正確にいうならば、「私権を制限できない公権」の危うさを言っています。そもそもそれができない公の権力とはいついかなる時に発揮すべきなのかがわかりません。



話は直接的にはつながりません。

自衛隊のイージス艦と漁船の衝突事故で、事故当時当直士官だった2名が無罪となりました。僕は刑事告訴されているなどということく知りませんでした。既に海上自衛隊は非を認めていますね。海難審判とかで、護衛艦の過失を認定したわけです。

刑事告訴された2名の、この判決理由をみると、検察が決め手とした衝突事故直前の航跡図を、「信用ならない」としています。また検察がやってくれたと思いましたね・・・。全く酷い話だ。

それと、漁船で亡くなられた遺族の関係者が記者会見で言っていたセリフ

100%向こう(護衛艦)が悪いとは思わないけど、無罪はないだろう

これが気に障って仕方ありません。そしてこれをニュースとしてそのまま流すマスコミの姿勢・・・。

これは刑事裁判ですので、有罪か無罪かでしかありません。過失割合をとうものではないからです。疑わしきは罰せずの原則もあるし、挙げられた証拠の信憑性に疑問符がつけば無罪にせざるを得ないのです。遺族関係者としての感情はわかりますが筋がとおらない。 もっといえば間違っています。

これを流すマスコミは、公=権力はいつも悪で、民はいつも被害者であるといった図式なのでしょう。もういい加減にしろ、というのが僕の気持。さっさと「戦後」の思想から抜け出さないと、いつの間にか世の中に置いていかれるぞ・・・。

今日はこれまで。

2011年5月11日水曜日

恩返し

前に、「東北・関東で大地震 番外編」としてパプアニューギニアからも義援金が届けられたことをご紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/04/826.html

ソースは読売新聞なのですが、その記事を読んだ71歳の男性がその恩返しとして30万円を現地へ寄付したことが、パプアニューギニアで話題になっているとのこと。

10日の読売新聞に出てました。

この男性は、「日本国民からの感謝としたい」と、氏名の公表を拒んでいるらしいです。何とも清々しい話です。政治や社会の混乱も、この男性のこうした心根の前ではもうどうでもいいことのように思えてしまいます。

30万円は現地では児童100人以上の年間教育費に相当するのだとか。現地の学校では驚きと感謝の声が上がっていると記事は伝えています。

パプアニューギニアは、大東亜戦争中約20万人の日本人が斃れた地です。そのほとんどが餓死だったとされている痛ましい地なのですよ。パプアニューギニア東部に上陸した日本軍は、人跡未踏のジャングルで覆われた山岳地帯を抜けて西部の連合軍の拠点ポートモレスビーを攻略しようとしたわけですが、 何と彼らには詳細な地図がなかったのです。縮尺の大きな地図を渡され、ただそこに線が引かれて、その距離から作戦日数を決められるという、むちゃくちゃもここに極まれりといった命令で、多くの日本兵が敵と戦う前に餓死と熱帯特有のマラリヤなどの病気で死んでいったのです。

ちなみに山本五十六連合艦隊司令長官の乗機が撃墜されたブーゲンビル島はパプアニューギニアの領内にあります。

この国に国軍ができて以来、九州と東北の兵隊は強いというのが定説で、事実それに恥じないような強さを見せていました。

「剛毅朴訥仁に近し」とは論語の言葉ですが、定めし東北人はその典型かもしれませんね。

今日はこれまで。

2011年5月10日火曜日

英断なのか?

6日の金曜日の夜でしたか、菅総理は突然浜岡原発の運転休止を要請したとの記者会見を行いましたね。ニュース速報でながれ、一体何事かと思いました。

記者会見では、87%の確率で想定されるM8クラスの地震に伴う津波対策が不十分なので、当面の間原発をとめると・・・。まあこんな趣旨でしたかね。


僕の第一印象として、活断層の上だか何だかしらないが、そのリスクはそもそも建設する時に分かっていたはずで、それを承知の上で建設したのだから、今頃高確率の巨大地震に備えて云々では、今まで説明してきたことと矛盾するだろうということ。

さらに言うなら、福島原発の事故は津波による電源喪失で原子炉の緊急冷却機能がすべて失われたことによります。想定される東海沖地震よりも強いM9の地震による揺れで、福島の原発は見事に緊急停止したわけです。しかし、その後の対策がお粗末だった・・・。この責任はきつく問われるべきでしょう。

したがって、浜岡原発に限らず国内すべての原発での安全対策を点検するのなら、津波による電源喪失の危険性があるや否やで、もしある場合には、防潮堤をつくることではなく、緊急電源を津波から守るための建屋の補強だとか、そういうことになると思うのだけど。違うのかな?

原子力反対を唱える人びとは、これで完全に勢いづくし、もし彼らが日本国中の原子力発電の即時休止を裁判沙汰にしたら、浜岡原発だけは特別だという政府の言い分を、法律の専門家は認めることができるのだろうか。

新聞情報しか知らぬ素人の僕でさえ、パッとでてくるこんな素朴な疑問、それが出るような決断を果たして「英断」と言えるのだろうか?


2011年5月9日月曜日

カナヘビ再び

昨日は、2日遅れの立夏といった気候でしたね。
午前中、家の窓からアジサイの葉の上で日向ぼっこをしている2匹のカナヘビを見つけました。


娘に見つかってしまったのが運のつき・・・。

さっそく網で捕まえられてしまい、今は2匹とも土を敷き詰めた水槽のなかです。
2年ほど前に、写真つきでカナヘビのことを書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2009/06/blog-post_28.html

ここで、「恐竜の子孫」という言い方をしたのですが、これ間違いですね。
姿かたちは似ていますが、恐竜とトカゲは「種」としては全く別物でした。

さて、今年のカナヘビはどのくらい生きてくれるのやら・・・。

今日はこれまで。

2011年5月8日日曜日

公職選挙法

違反で、僕の選挙区でトップ当選した市議会議員が書類送検、その議員は既に市議会議長に辞表を提出したとか・・・。何でも選挙の告知前に選挙運動をした、具体的には投票をお願いしますという文書を有権者に郵送したことが違反になるとのこと。

何ともアホなことを。というのが僕の感想です。僕はその彼には投票しませんでしたが、彼の主張していることはすべて正しいと思っていました。主張というか、もっぱら市の政策の批判でしたけどね。そうそう、彼は現職議員として2期目の当選を目指していたのです。トップ当選したことから、彼の主張してきた批判に賛同する人が非常に多かったということでしょうね。

ただ、彼の欠点は人の政策の批判ばかりして、自らはどうしたいのかを一切語らなかったこと。政治家としては致命的ですね。誰もそれを助言するブレーンがいなかったのでしょうか?

さらに言うなら、彼は落選して捲土重来を期しながら、地元のタクシー運転手をやって庶民の暮らしがいかに大変かを身にしみて実感したと。その思いから当選後の歳費の何割かはすべて福祉関係に寄付していると自らの選挙公報に出していました。彼はその「市民目線」が売りの一つだった。これなども、どうもなぁ・・・と思わざるを得ませんね。その市民目線なるものが果たして正しいのか否かを疑うこともなく、それがまるで金科玉条のようになっている。彼のいう「市民」は群れをなせば「大衆」というものに堕することは明白なのにね。

もっと勉強してほしいわ、まだ若いんだから・・・。

今日はこれまで。

2011年5月7日土曜日

怨望の人間に害あるを論ず

福沢諭吉によれば、タイトルのごとく、
およそ人間に不徳の箇条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし
だそうで、
貪吝、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きに素質において不善なるあらず。
らしいです。なるほどそうかとうなづくことしきりですが、幸いにして僕はそれが「不徳」となるほど強いものではないことに救われていると思います。ことさら僕が特別だとは思いませんが、世の中の多くはこの「怨望」についてあまり考えることがないのではないかと思えます。
怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。
さらに、次のように続けます。
譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足の法を求めずして、かえって他人を不幸に陥れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。

東電は、巨額の賠償金を支払うために役員報酬の半減を決めたそうですが、それでもなお役員報酬が多いとマスコミは言っています。したり顔で報酬は「0」でもいい等という人たちもいますが、僕にはどうもこういうことを言わしめる心性には、「怨望」が働いているのでは?と考えてしまいます。
他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。
と福沢が言っているようにです。あまり美しい振舞ではありませんね。

今日はこれまで。

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2011年5月6日金曜日

することもなく

ものさびしいので、日がな1日硯に向かって、心に浮かんでくる随想を、あれこれと書きしるしていると、妙に気持ちが高まってもの狂おしいことだ。


徒然草の序段の現代語訳です。


やはり、現代語で感じるものと、兼好が書いた文章そのままを読んだときに感じるものでは何か異なるような気がします。

それと、こんな拙文でも書き連ねていると、彼の心持がわかるような気がしています。

つれづれなるままに日暮らし硯に向かひて、心に映りゆくよしなしごとを、
そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ

今日はこれまで。

2011年5月5日木曜日

ドラマ三昧

肌寒いこどもの日になりました。


昨日は、家で一人で留守番してまして、8時間ほど撮りためてあったドラマをみました。ここでもご紹介したことがあったと思いますが、アメリカのテレビドラマ「CSI」と「クリミナルマインド」の2本です。

かけているお金のせいだけではないと思いますが、アメリカのテレビドラマは非常に完成度が高く、日本のドラマと比べるとその違いに悲しくなるほどです。

CSIは全米視聴率No1のドラマで、今ではスピンアウトした作品CSIマイアミとCSIニューヨークの2本があって3作品あり、現在はWOWOWでラスベガスとニューヨークが放映されています。とにかく面白いので、皆さんも機会があればレンタルビデオ屋で借りてみてください。

今日はこれまで。

2011年5月4日水曜日

雪国

4年ぶりに家にいるGWです。

5月の風薫る中、何と川端康成の「雪国」を読み進めています。有名な冒頭な書き出しだけは知っていますが、中身を読んだことがない。というわけでどんなものなのかを知りたくなったわけです。

いろいろ、興味は際限もなく広がり、そうして自らの知らぬことの多さにいつも恥じいる・・・。そんなことの繰り返しでここまで来たような気がします。

実はここ2カ月ほど、活字に食傷してまして久しぶりに読み進める本なのです。

つくづく思いますが、日本でも世界でも名作と称される文学は、いずれも『悲劇」であったり、人生、人間の不如意を扱っているものが多いと思うのですが、どうして生きている人間はそれを考えないようなふりをするのか・・・。僕にはそれが不思議です。すべてがバラ色の人生など、何の価値もないでしょう。

9.11の後、日本のアホな文学者たちが「テロに反対する」とかいう声明を出しました(と記憶があります)。僕はその意味がわからなかった。彼らは自ら文学者といっている以上、人間やら社会やらの実相、その深層、暗部までをも、筆の力で表現しなければならない。 人間は素晴らしい一面、どうしようもなく身勝手で、醜悪な面を持っていることを表現しなければならない。行為だけでみれば「テロ」を肯定する人間などあろうはずもない。しかし、貧者、貧国が超大国アメリカと戦うためにはああいった手段しか残されていないのは事実だ。これが国際社会の現実であり、それを「人命尊重」のみで一切を否定したら、どこに文学が生まれるのだろうか・・・。文学者と名乗りながらも実は政治主義者なのですね・・・。

かつて小林秀雄が、「支那事変に向かう文学者としての覚悟如何」と記者に尋ねられ、

「文学者としての覚悟なんてものはない。あるのは日本人としての覚悟だけだ」

というような事を返しました。もうおわかりかもしれませんが、 この小林と先のアホな文学者との間には絶望的な断絶があります。

今日はこれまで。




2011年5月3日火曜日

憲法記念日だと・・・

昨日5月2日、ビンラディンを殺害し、オバマ大統領は「正義がなされた」と高らかに宣言しましたね。

アメリカのいう「正義」は、特に中東諸国にとっての「悪魔」なんですね。双方にそれぞれの「正義」があるわけだから、テロ組織との戦いはこれをもって終わることはない。無限に続いていかざるを得ないものかもしれません。

オバマ大統領のいった「正義がなされた」という言葉。

仮にオウム真理教の麻原彰晃が、警察によって殺害されていたら、時の村山総理は同じようなことを言ったでしょうか?おそらく言えないでしょうね。そして今も、誰が総理であろうと間違いなく言える言葉ではないですね。石原慎太郎ならいえるかもしれません。

9.11にしろ、オウムのサリンにせよ、 あれは明確な市民社会秩序の破壊者であって、それをなしたものを排除した時でさえ、「正義」という言葉を使えなかったらその言葉を使うことができなくなるし、そもそも「正義」とは何かがわからなくなる・・・。

しかしながら、未だにこの国はおそらく使える状況ではない。その意味でやはり「敗戦」と「占領」の呪縛は続いていると言わざるを得ません。相変わらず「戦後」だと・・・。

いろんな人にいってますが、僕はこの国の思想的な混乱の源はすべて現憲法と、それを押し戴いて奉っている勢力にあると思っています。徐々にその勢力は頽勢になっていますが、テレビ・新聞のマスコミは未だにその勢力の旗振り役である始末・・・。

毎年、この憲法記念日になると、NHKは必ず「憲法を守れ」と標榜する「市民団体(僕は愚民だと思っている)」の僅か数百人クラスの集会の模様を伝えます。アホか・・・。

だいたい、この憲法はGHQが押し付けたものでしょう。それをなぜ「記念」する必要があるのか・・・。日本の歴史も文化も伝統も知らないGHQの職員が、僅か7日間ほどで作ったのがこの憲法なのですよ。しかもその中には法律の専門家は確か1人しかおらず、他は左翼かぶれの職員であった・・・。そんなふざけた憲法をなぜ後生大事に守っているのか。もういい加減に「記念」なんていう言葉を冠するのはやめよう。僕に言わせれば「国辱」の記念日なのに・・・。

今日はこれまで。





2011年5月2日月曜日

思想的な意味で考えるべきこと

阪神大震災の時のニュース映像で未だに鮮明に覚えていることがあります。多くの家屋が崩壊した中に立つ若い20代くらいの女性が「誰が責任とってく れるのやろ」とつぶやいた映像です。自然災害ですので、責任をとる主体なんぞいるわけがない。それなのに何でもかんでも人のせいにするというのは一体いか なる料簡なのでしょう・・・。僕にとってそれは非常に厭な記憶として残っています。その一方で、高齢の男性が崩壊家屋から助け出されて避難所に連れてこら れ、「こんなにしてもらってありがたい」とお礼を言っていた映像。この両者に当時の僕は非常に大きな世代間の断絶を感じました。

中国から支援に駆けつけた緊急援助隊が、テレビのインタビューにこたえて「自然災害は人類の敵」と言っていました。本当にそうでしょうか?それは人間の傲慢 にすぎず、もっといえば自然を征服できるという錯覚をもたらした「近代」というものの誤謬でしょう。少なくとも日本人にとってそれは「敵」ではなかったはずです。

「火事と喧嘩は江戸の華」

という言葉があります。「華」かどうかは別 として、江戸という都市にとって「火事」は日常茶飯の事でした。だから、すぐに焼けてしまうものに対して執着せず、家具や生活調度品も非常にシンプルで、 すぐに持ちだす事ができるような、外国人からみればまるで「おままごと」のような暮らしぶりだったのです。火事はその大本は「人災」かもしれませんが、一 端燃え広がればもはや「天災」ともいえるもの・・・。「地震・雷・火事・親父」という言葉がそれをよく表しています。だから、それに向き合ってきた江戸の 人びとは、それに適した暮らしをしてきたわけです。決して「敵」なんかではない。勝てるはずがない相手を「敵」としてしまったら、ただ空しいだけでしょ う。

人智は自然には決して勝てない

この自明の理を、たかだか150年を超えたくらいの「近代」というものが覆い隠してしまったわけです。いや、錯覚したのでしょうね、勝てるはずだと・・・。

こ れは、僕だけの思いかも知れませんが、多くの人が不慮の死を遂げるような事故やら災害があると、どうも「運命」とか「天命」とかいうことを考えてしまうの です。520名もの死者を出した日航機の事故の時も、僕はひそかにそれを感じていました。誰もがそんなことの起きるはずがないと、その飛行機に乗り込んだ わけで、その機を選んだのはほんの偶然でしかない。逆にいえば、本来その機に乗ることになっていた人が、たまたまその機に乗り遅れたということもあるかも しれない。 その個々の人生を考えるとき、そこに何かしらの人智を超えたものを考えてしまうのです。

個々の人生だけ はなく、その集合体としての「国家」を考えても同じことです。国家にも運命やら天命はあるはずです。今回の大震災の「災後」、その思想的な位置づけを考え るとき、この「天」というものを考えることは極めて重要のような気がしています。もっと言うなら、やみくもに突っ走ってきた明治維新以後のこの国の「近代 化」という歩みを、もう一度考えるべきだと思うのです。

今日はこれまで。

2011年5月1日日曜日

聞き捨てならん

昨日の新聞記事によると、3月16日に放射線安全学の専門家として内閣官房参与起用された小佐古敏荘氏が政府の原発対応を批判して辞職したとか・・・。

同氏の辞職理由に「小学校などの校庭の利用基準」があり、現在政府が決定した「年間20ミリシーベルト」が緩すぎるというもので、氏は「自分の子どもには安全とはいえない」とまで言ってます。そして、学者としての良心にしたがったのだとか・・・。

これが「聞き捨てならん」ことです。一体どちらを信じればいいのでしょう?

ちなみに、娘の小学校からも資料が配られました。その基準は当然のことながら20ミリシーベルトが上限となっており、まあ、さいたまですのでそこまでに届くことはないのでしょうけど、より原発に近いところは深刻な問題です。一体何を信じればいいのか?政府の決定した数値に拙速なものははなかったのか?その決定基準は?などなどいろいろと考える(疑う)ことが多いです。これは危機管理としては最悪でしょう。

一体何を信用すればいいのか?

今日はこれまで。