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2011年5月4日水曜日

雪国

4年ぶりに家にいるGWです。

5月の風薫る中、何と川端康成の「雪国」を読み進めています。有名な冒頭な書き出しだけは知っていますが、中身を読んだことがない。というわけでどんなものなのかを知りたくなったわけです。

いろいろ、興味は際限もなく広がり、そうして自らの知らぬことの多さにいつも恥じいる・・・。そんなことの繰り返しでここまで来たような気がします。

実はここ2カ月ほど、活字に食傷してまして久しぶりに読み進める本なのです。

つくづく思いますが、日本でも世界でも名作と称される文学は、いずれも『悲劇」であったり、人生、人間の不如意を扱っているものが多いと思うのですが、どうして生きている人間はそれを考えないようなふりをするのか・・・。僕にはそれが不思議です。すべてがバラ色の人生など、何の価値もないでしょう。

9.11の後、日本のアホな文学者たちが「テロに反対する」とかいう声明を出しました(と記憶があります)。僕はその意味がわからなかった。彼らは自ら文学者といっている以上、人間やら社会やらの実相、その深層、暗部までをも、筆の力で表現しなければならない。 人間は素晴らしい一面、どうしようもなく身勝手で、醜悪な面を持っていることを表現しなければならない。行為だけでみれば「テロ」を肯定する人間などあろうはずもない。しかし、貧者、貧国が超大国アメリカと戦うためにはああいった手段しか残されていないのは事実だ。これが国際社会の現実であり、それを「人命尊重」のみで一切を否定したら、どこに文学が生まれるのだろうか・・・。文学者と名乗りながらも実は政治主義者なのですね・・・。

かつて小林秀雄が、「支那事変に向かう文学者としての覚悟如何」と記者に尋ねられ、

「文学者としての覚悟なんてものはない。あるのは日本人としての覚悟だけだ」

というような事を返しました。もうおわかりかもしれませんが、 この小林と先のアホな文学者との間には絶望的な断絶があります。

今日はこれまで。




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