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2009年11月22日日曜日

憂国忌



我々は4年待った。最後の1年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと30分、最後の30分まとう。共に起って義の為に共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない、日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち共に死のう。我々は至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

昭和45年 11月25日 檄


2009年11月14日土曜日

さて、本日はある作家の話

豊田穣という直木賞作家はご存知だろうか?

海軍兵学校第68期生で※艦爆乗りのパイロット。昭和18年4月、作戦飛行中、南太平洋ソロモン海で撃墜されて捕虜になった人物である。 彼の乗機は2人乗り、漂流する二人をニュージーランド海軍の哨戒艇が発見し引き上げようとした時、部下は彼にこう言う
「※分隊士、まだ死なんでもいいですか?」
彼はただこう答えた
「待て」と。
彼等2人は戦後昭和21年に帰国する。

その後、豊田は新聞記者から作家へ、その部下は航空自衛隊に勤務し、三等空佐で退官。
その間、幾度となくかつての上官であった豊田を訪ねていた。
独身を通したその部下は、退官後温泉地でマッサージ師として暮らしていたが、
警官をして「実に見事な割腹自殺です」と言わしめる程の自決を遂げる。
しばらくして豊田は、その部下が生前「多くの戦友が戦死しているのに、捕虜になって生き残って申し訳ない。
今度事があったら立派に死んでみせる」と語っていたのを知り言葉を失う。
独身を通したのも、戦地へ出る前に結核で死のうとしている婚約者に「生涯結婚はしない」を約束した事、それに「捕虜になって生き残った人間が人並みな生活を送っちゃあいけない」と思ったからだという。
豊田は、その事を書いた「割腹」という本の中で次のように述べている。

「世間の大部分の人は、幸せに生きる事に専念している。しかし、中には不幸になろうと希って生きてきた人間もいたのである・・・。
私は孤独を味わっていた。海上に漂流する浮舟の上の二人のうち、一人が突然別れのあいさつもかけずに消滅し、自分だけが浮舟の上に取り残されたのを意識した。」

その豊田については、「捕虜だったくせに大きな顔するな」などの投書も多く、彼の作家としての生涯は旧海軍の中でも賛否両論があったと聞く。死の前年に著わした「戦争と虜囚のわが半世紀」の中で、心臓肥大の病気に苦しむ毎日を送りながら次のように書き記す。

「そのように苦難のとき、私は自分の捕虜経験にぶち当る。戦死すべきところを生き残った自分は、もっとも惨めに死んでゆくであろう・・・。(中略)そのようなとき。私は天を仰ぐ。南緯十度、ソロモンの海面で仰いだ南十字星がそこにあった。私の生涯でもっとも印象的な星がそこにあった。あの星の下で今も多くの同期生が、自分を待っているのだ・・・そう考えると私は平安を取り戻した。」

1994年、豊田は74年の生涯を閉じる。最後の瞬間、南十字星は希望の星の如く彼を導いたに違いない・・・。

※艦爆:艦上爆撃機(空母からの離着陸ができるような爆撃機)2~3名乗りが普通
※分隊士:分隊の一番上が分隊長、その下が分隊士

2009年11月12日木曜日

振る舞いを考える

ここのところ、どうも政治ネタが続いています。今日も障りはそれですが、言いたいことは別にあるのでお付き合いください。

行政刷新会議なるものが喧しい。事業の仕分けをして予算から無駄を省くためだそうです。
その意気やよし!ただ、仕分け人なる人の品位は何とかならんか?
まるで弱い者いじめのような光景がテレビで映しだされていますね。
一体、おまえら何さまのつもりだ!と怒鳴りたいですね僕は。
まるで担当の官僚を苛めているようにしか見えないのですが、皆さんは違いますか?
世の中には、自分の立場が上となると、極端に下の者を見下して、横柄でぞんざいな
言葉づかいをする人間が多いですが、あの光景はまさしく、それですね。見ていて非常に気分が悪くなります。

意気やよし!ただ振る舞いは最低!

自分の立場が上だからこそ、下の立場を思いやるのが当然でしょう!
なぜ彼の仕分け人なる人たちはそれができないのでしょうね。
品性下劣。オルテガの言うまさしく「大衆」の見本のような人たちです。

先日、仕分け人の人選(外国人がはいってる)に亀井静香が文句を付けましたね。
あれは正論でしょう。公権力の行使に何故外国人がはいっているのか?
やはり民主党を疑いますね、僕は。

さて、その外国人。かなりテレビにも出ていて日本語が堪能で証券会社だったっけな?
経済調査部長らしいです。

仮にも知識人のはしくれなら、遠慮しろよ!というのが僕の感想です。
「選ばれたのは光栄ですが自分は外国人ですので、日本国の公権力の行使にかかわるのは、
どうかと思います」くらいは言って、民主党に渇を入れてほしかった、と思うのはないものねだりですかね。

良識、常識ある大人の振る舞いをしましょうね。
もとい、カッコいい振る舞いをしましょうね。
言葉づかいも、所作動作もすべて。

しかし、たった1時間の話し合いで廃止やら何やらを決めていいものか?
緊急には必要ないかもしれないが、長期的にみて必要なものまで
廃止してるんじゃないのか?
みなさん、どう思う?

今日は以上です。




2009年11月4日水曜日

決心つかず・・・

死ぬまでには絶対読破しようと思っていた本がありまして、その中の一つが「失われた時を求めて/マルセルプルースト」です。文庫で全10巻!それもみんな600頁くらいの厚さです。この春よりずっと小説づいていたので、その勢いを借りて「いよいよか」と気負いましたが、いざ読み進めようとすると、ページを繰る手付きが鈍ります。つまりは、決心がつかないのです。

この本の内容ははっきりとはわかりませんが、題名の通り人間の記憶を通した物語です(だと思います)。
不惑を越えると、「忘れっぽい」ことが非常に多くなってきていて、先日は「なぜあれを思い出せなくなるのか」など言う本を読んでしまいました。ほんとに記憶の強さが薄れてきているようです。

にもかかわらず、何故人は「思い出したくもない嫌な記憶」を簡単に消すことができないんでしょうか。そういった記憶こそ真っ先に勝手に消失してほしいのですが、それがある故にくら~い気分になったり、怒りに胸がかきむしられるようになったり、心が乱れることがあります。

というようなわけで、人間の記憶に関する物語である、冒頭の書を読んでみようと思い立ったわけですが、それをその記憶が邪魔をするという、何ともいいようのない状況になっています。

さて、明後日は久々の三と一の定例会です。そろそろ12月の忘年会についてもアイデアを出さないとだめですね!
それでは明後日にお会いしましょう。