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2011年1月31日月曜日

祝アジアカップ優勝

いやあ、ハラハラしっぱなしの試合展開でしたが、勝てて良かった!

W-CUPから半年後に再び日本中を沸かしてくれるとはねぇ。

しかし、日本代表はこんなチームでしたか?W-CUPの時よりも進化してますね、確実に。やはり新監督の力なのか。特に決勝戦の後半から、長友を上にあげて攻撃的な高いポジションをとらせますが、あれで長友の切れ込みが一段と鋭くなって、結果的にゴールを生んだわけでしょう。見事な采配ですね、脱帽しました。

また、決勝ゴールを決めた李も、僕は全く知らない選手でしたが、これまでの日本代表の選手ならあそこはかなりの確率でふかしてたと思うのですが、よくぞ決めてくれましたよ。素晴らしかった。

本当に良いチームになったと思います。

「個々の技術では世界に負けるから、日本は組織力で戦わなければならない」

とは、日本代表について回る言葉ですが、今回も「チームの団結力」とか、「ベンチとの一体感」とか盛んに言われてます。北清事変の際の籠城指揮官柴五郎大佐や、彼を支えた数少ない日本軍、そして多くの義勇兵の姿は、「全く日本人の組織作りというのはすばらしい」と英国の青年をして感嘆せしめたのですから、これもある種の国民性といえるのでしょうね。

今日はこれまで。


2011年1月30日日曜日

正義の話をしよう その2

仏像の鑑賞が若い女性の間でブームだとか・・・。ちょっと前の話ですがね。

本尊を守るように配置された仏像がありますね。彼らは皆武器を持っているのをご存知ですか。そして足元は天邪鬼を踏みつけているのです。つまり、仏法を守るためには力の行使をも辞さない姿勢と、その姿を表しているわけです。例えば四天王というのがそうですね。持国天、増長天、広目天、多聞天です。あと、十二神将とか・・・。

東大寺南大門の金剛力士像の憤怒の表情を思いだして下さい。あれは仏敵が入り込むことを阻止しています。

僧が持つ法具も、もともとは武器でした。

「破邪顕正」の為には力が必要だという自明の事が、どうもこの国では通用しないような気がします。警官の発砲が新聞記事になるなど、世界広しといえどもこの国にしかないのではないでしょうか?戦後がもたらした「ヒューマニズム礼讃」の原理主義国家、それがこの国のような気がします。

今日はこれまで。

2011年1月29日土曜日

わが胸の燃ゆる思いに

霧島山新燃岳の噴煙の映像はすごいですね。

タイトルは、維新の志士平野国臣の詠んだもの。

「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し桜島山」

彼は福岡藩士だったと思いますが、薩摩の西郷らと親交がありました。薩摩を訪れたさいに詠んだものでしょう。噴煙よりも濃い「思い」というのは、一体どれほどのものだったのでしょうか・・・。

火山といえば、子どもの頃習った3つの分類があります。活火山、休火山、死火山。ところが、今はその分類ではないのだそうです。活火山の一つのみで、その活動度合いによってA~C、及び対象外の4種類なのです。Aというのは桜島や浅間山などの、頻繁に噴火活動をするものです。休火山として習った富士山はBランクに位置付けられています。

日本の活火山は全国で108あり、Aランクは13、BとCが36、対象外(データや記録が不足しているもの)は23だそうです。

まさしく火山列島ですね。ちなみに関東地方には19の活火山があります。

今日はこれまで。

2011年1月28日金曜日

正義の話をしよう

 検索ワードを意識したようなタイトルですが、昨日書いた「ヒーローものの主題歌」で述べた「正義の味方」ということについてです。

僕は昔のそれには「『型』があった」と書きました。正義の味方というのは、よく考えると不思議な言葉で、「正義」そのものではなく、その「味方」というのですから、つまり「正義」というのは外部に、厳としてあることを表します。「ない」ものの味方などできませんからね。

「正義」といえば、「これからの正義の話をしよう」でも取り上げられているジョン・ロールズですが、ここでいうそれは、「社会正義」とか「社会的公正」という意味ですので、ヒーローものの体現する「正義」とは異なりますね。ヒーローの正義とは「勧善懲悪」「破邪顕正」、その行動を意味します。これはアメリカの「スーパーマン」や「スパイダーマン」でも同じですね。

そう、今の時代のヒーローにはその四字熟語が欠けているような気がする。確かに「悪」を「懲」らしめるのだが、それを昇華させてこの世の理想を追い求めるような、そういう求道的(?)なもの「勧善」や「顕正」がないのだ。僕にはそう感じられる。だから、変身して悪をやっつけても、人間に戻ると普通の青年になったりして、「正義の味方」らしくないのだ。

おそらく「正義」というのが相対的になり、人の数だけその定義があるような風潮では、それは「ない」も同然で、したがってその「味方」などできようもない・・・。そんなところかな。

今日はこれまで



2011年1月27日木曜日

「ヒーロー」ものの主題歌

僕の世代にとって、「仮面ライダー」というのは絶対的なヒーローだった。

仮面ライダーは僕が2年生の頃に始まった。それからおそらく4年生くらいまではかかさず観ていたと思う。

そういう正義のヒーローが、地球やら世界の平和を守るために悪の組織と闘うストーリーは、間違いなく小学校時代に夢中だった。

今の子供たちは、それを小学校入学前に卒業するらしい。娘をみているとそうだし、娘の友達もそのようだ。僕なんか3年生の頃の写真をみると、「変身」ポーズをとっているのが多いが、今の小学生でそんなことをしている子はほとんどいないのではないか。つまり、昔は変身ベルトは小学生のものだったが、今は幼稚園児のものだということ。


昔は、「正義の味方」という「型」があった。その主題歌にもそのエッセンスが流れていたように思う。

「赤い太陽 それより赤い 胸に正義の血潮が燃える」

これは「紅三四郎」という漫画の主題歌だが、今でもこの歌を聴くと何かしら心が疼く。「正義の血潮」という歌詞にだ。仮面ライダーもショッカーと戦うのは「世界の平和を守るため」だと主題歌にある。

正義のヒーローとは異なるが、いわゆるスポ根ものの代表である「巨人の星」。その主題歌の歌詞は「思いこんだら試練の道を ゆくが男のど根性」。今流行りのタイガーマスクにいたっては「ルール無用の悪党に 正義のパンチをぶちかませ」だの「フェアープレイで切り抜けて 男の根性見せてやれ」だのだ。僕なんか「いい歌詞」だなあと今でも思う。ちなみに娘には幼稚園の頃にその歌を教えた。


今のヒーローものの歌には「正義」などという言葉は一切出てこない。なんか「正義の味方」でもないのだ。今の仮面ライダーは仮面ライダーオーズというのだが、その主題歌は大黒摩季が歌っている。とても正義の味方を讃えたり、鼓舞したりしている歌ではない。普通の歌である。そういえば、篠原涼子が歌った「いとしさとせつなさと心強さと」は、ゲーム「ストリートファイター」の為に作られた歌らしいが、あのような格闘ゲームの歌ならば、昔ならば必ず「根性」という歌詞が入ったはずである。

一体、いつからこのような歌に変わってしまったのかを仮面ライダーを例にさくっと調べてみた。

昭和の終りの仮面ライダーブラックの歌は、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲というもので、その中には「時を超えろ 空を駆けろ この星のため」とか「君はみたか 愛が真っ赤に燃えるのを」とかが入っていて、変身する主人公も「正義の味方」らしかった。

次いで昭和最後となる「仮面ライダーブラックRX」の主題歌も「光のオーロラ身にまとい 君は戦うひとになれ 傷つくことを恐れたら 地球は悪の手に沈む」と始まり、最後は「Wake Up Theヒーロー 太陽よ 愛に勇気を与えてくれ」となって「仮面ライダー」の連呼で終る、

歌詞が変わりつつはあっても、まだ「正義」とか「勇気」とかが讃えられている。これは正義の味方の歌である。

その後仮面ライダーは10年間ほど休止し、2000年に復活する。仮面ライダークウガとなって。そしてこの歌になると、かつての「正義の味方」の歌ではなくなるのだ。続く仮面ライダーアギトも同様で、完全に普通の歌となり、正義だの平和だのは一切出てこなくなる・・・。

とまあ、こういう次第です。子供対象の正義のヒーローものからも「正義」が消え、「正義の味方」という型も消えたことになります。

これは、間違いなく時代の空気を表していますね。よ~く調べたら面白いと思うな。

今日はこれまで。


2011年1月26日水曜日

100万通に3通

お年玉付年賀はがき。

今年は何と2等賞があたりました!その確率はタイトル通り100万通に3通しかないものだそうです。素晴らしい。とはいえ、商品はしけてます・・・。

1等のテレビが当たるはずだったのですが、残念です。

そういえば、よく宝くじ売り場で「この売り場から1等がでました!」という張り紙をよく見る。なんでも高額当選の出やすい売り場というのがあるらしいのだが、それは本当か?ただ単に売れた枚数が多いだけのことではないのかな・・・。どうも意味がわからん。

宝くじはめったに買わないが、10年くらい前に5万円当選したことがある。それくらいだな、当選して喜んだのは。

アインシュタインは「神はサイコロをふらない」といった。量子的宇宙論の偶然が支配するということへの反論だった。でも、おそらく今はアインシュタインのそれは間違いらしいということが確かめられていると思ったが、僕のその記憶は確かではない。

今日はこれまで。

2011年1月25日火曜日

TPPについて4回目

前にも書きましたが、このトップ頁には週単位のアクセス数トップ3が並びます。ここのところ、「再び食糧安全保障 TPPを巡る日常」が上位にランクインされていて、間違ったことが書いてあるので非常に恥ずかしいのですが、そのままにしてあります。

そこで、僕は日本は「貿易立国である以上」云々という文章を書きました。これは食糧を含めた原材料の輸入が無ければ生きていけないということを表現したまでです。そうしてその背景には、海上交通路の安全を担保しうる海上兵力の保持と、そこに関係する地域の平和の実現に対して積極的に関与すべきであるという僕の考えがあります。


TPPについては、わが家の購読する日経も読売もみな「賛成派」になっている。「反対派は未来に目を向けなければならない」と。どうも新聞はミスリードしてるような気がしてならない。ならば農業関係者らの反対派は、未来に目を向けず、既得権益を守ることに汲々としているような守旧派のイメージとなる。これは正しい見方なのだろうか?

思えば僕等の明治の父祖たちは「関税自主権」を獲得するために、つまりは国の真の独立を勝ち取るために非情な苦労をしてきた。今その不肖の子孫たちがこぞってそれを開け渡そうとしている。何と歴史の不思議なことよ。

世界の食糧価格は高騰を続け、統計を開始してからの20年間で最も高い数値を記録しています。ロシアの干ばつによる小麦の輸出禁止措置を思い起こしてください。食糧供給は天候を相手にせざるを得ない以上、非常に不安定なものです。一方の需要の方は、世界人口は急速な伸びで拡大する一方です。食うや食わずの国が、一斉に普通に「食える」国となったら、需給バランスは崩れる事必定のことのように思います。そうしたら、「野菜は安い国から買えばいい」なんて言っていられなくなる。

と、これは「赤旗」の記事(1月19日 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-19/2011011901_02_1.html)の要約です。僕にはこれが間違った意見だとは思えない。

しかも、本日(25日)の日経1面にも、国連食糧農業機関の事務局長が「世界は新たな食糧危機に近づいている」と警鐘をならしたと出ている。とはいえ、この記事は、「補助金や関税障壁による先進国の自国農業保護策が『需要と供給の不均衡を増幅している』とも批判」と、その事務局長の言葉を紹介しているが・・・。

疑り深く言えば、日経は自身の論調の正しさ(TPP賛成)を、この事務局長の口によって言わせたただけで、もしかしたら発言のつまみ食いをしているのかも知れないとまで思ってしまう。本当にこの人の云う通り、先進国がその不均衡を増幅させているのか?仮にそうだとしたら、まず責められるべきはEU諸国であって日本ではない。EUは、域外との自由化についてはどのようなスタンスなのだろうか?もしも、挙げてそれに関与するようであるならば、まさしく日本を含め世界全体は「開国」しなければならなくなるが・・・。

TPPは安易に賛成だとか言っている場合ではないと思うんだけど、天下の大新聞はそうは思っていないことが不思議である。

これまでの経験から、大多数の意見の方が間違っていることの方が多いような気がするのは僕だけかな。かつての政治改革騒ぎでも、改革派は正しくてイメージ操作された守旧派は間違っているというムードの結果、「自民党はだめ、ここは民主党に一度政権とらせよう」というムードの結果・・・。それをもう一度考えてみたらいい。

変化だとか、改革という言葉に騙されてはいけない。

それによって失うものは明確だが、得られるものは不確かなのである。そんな「賭け」の果てがどれほどの惨禍をもたらすかは、大日本帝国の滅びによって身にしみてわかっているはずではないか。


今日はこれまで

2011年1月24日月曜日

エコノミストではない人の経済の本

小室直樹という人をご存じだろうか。

「誰?」という人に即答すべき回答に苦労するのだが、超一級の頭脳、アカデミズムの中でも比肩しうるものないずば抜けた頭脳を持った評論家、というのが僕のイメージ。

昭和7年生れで昨年(平成22年9月)に亡くなられた。京都大学で数学を学んだことを皮きりに、その後理論経済学、計量経済学を学び、MIT、ハーバードで世界的な経済学者から指導を受け、その学問領域は、広く社会科学一般に及ぶものであった。彼はまさしく「天才」と呼ぶにふさわしいと僕は思う。そのせいかどうか、彼は一般人が「眼を細める」ようなことも平気で書く(だけではなく、テレビ出演しても言ったらしく、それがもとで以後のテレビ出演はなくなったらしい)。例えば、「田中角栄を有罪にした裁判官、検察官は死ね」とか、「政治家は賄賂をもらってもいい」とか・・・。彼の理屈ではそれが正しいのだが、それをズケズケと言うのだ。

彼の経歴についてはWikiに詳しい。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9


本棚にある彼の著作「日本経済破局の論理」。平成4年に出された本であるが、当時の流行語「複合不況」にあえぐ日本経済を理解するためのもの。彼の文体は独特である。漢籍からの言葉が多くちりばめられており、その該博な知識にも目を見張るものがある。とはいえ、あまりにも話ポンポンと飛び過ぎて、結局何をいいたいのかわからないという箇所にも出くわしてしまう。

この本では「GNPがわかれば経済がわかる」となっていて、当時はGDPではなくGNPが使われている。一体、いつからGNPがGDPに変わられたのだろう・・・。

この本の中にこんなフレーズが書いてある。

「日本の職業的経済学者が、いかにグータラで無能か。『日本の代表的エコノミスは誰ですか』。巷の人に聞いてみるとよい。長谷川慶太郎、大前研一、唐津一、牧野昇。多数の人の口に出てくるこの四人。一人として経済学部出身者はいない。みなエンジニアである。」


 これが書かれた約20年前を知る人は、まさにこの通りだと思うだろう。そしてそれは今でも変わっていないかもしれない。

彼は、極めて明快にこう言い切る「GNP=消費+投資」なのだから、消費が落ち込んだ時は投資を増やすしかない。消費が落ち込んだ時に投資を増やすことができるのは「政府」しかない。第一次大戦後のドイツが僅か数年でハイパーインフレを退治したのみならず、世界と戦争できるだけの軍備を持てたのはなぜか。それはケインズを知らなかったヒトラーが、ケインズの唱えたことと同じことをやってのけたからだ。そしてそれに国民が目がくらんだ、そしてナチスの独裁が生れた・・・。


さて、今日はこの本を紹介するのが本意ではなく、エコノミストではない人の経済の本をご紹介すること。「恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることできるのか」。



著者は中野剛志という42歳の人。この本が出た2009年には経産省の官僚でした(今は京都大学の先生かな)。東大で国際関係論を専攻し、その後エジンバラ大学大学院で政治思想史を学び、そこで社会科学の博士号を取得するという人物。 

彼は立てつづけに本を出していますが、そのほとんどがアマゾンでは在庫切れ状態です。ちなみに僕は図書館で彼の全著作を借りようと思いましたが、ほとんどが予約待ち状態です。

新聞の書評で取り上げられたのかな・・・。僕は知らなかった。

彼は、ここで経済思想を語っています。思想とはいえ、彼は「ヴィジョン」というシュンペーターという経済学者(不断のイノベーションこそが経済を発展させると説いた人)が好んだ言葉を使って、同書を書き始めます。

シュンペーターの言う「ヴィジョン」とは、科学的な理論や分析の暗黙の前提となっている先入観のことである。


ヴィジョンとは、知識の前提となる「前知識」であり、分析の前提である「前分析」である。科学者は、あらかじめヴィジョンをもっていなければ、観察することも分析することもできない。科学がヴィジョンの基礎になるのではなく、その反対に、ヴィジョンが科学の基礎になるのである。


ある種のヴィジョンあるいは思想に従う人々の行動様式の総体が、経済制度や経済現象を形作る。そう考えるのならば、経済システムとは、その根底に、何らかの世界観や思想があるとわかる。確かに「資本主義」といい「社会主義」といい、それはある特定の経済システムのことを指す言葉であると同時に、「資本『主義』」あるいは「社会『主義』」という、ある特定の主義主張や価値観のことでもある。
 二○○八年九月に勃発した金融危機以降、一般に「金融資本主義が破綻した」と言われている。その意味するところは、「金融資本主義」という経済システムが壊滅したのと同時に、それを支える「金融資本『主義』」という思想あるいはヴィジョンが崩壊したということだと言ってよい。
 要するに、現在、世界が直面しているのは、経済の問題であると同時に、思想の問題でもあるということだ。金融資本「主義」に代わる「主義」が問われているということだ。本書は、この「主義」すなわち「ヴィジョン」をめぐるものである。



著者は、80年代のバブル経済以降の日本の状況を、以下のように注記で述べています。

80年代のバブル経済は、アメリカの内需拡大要求などにより、好景気時にかかわらず積極財政や低金利政策を実施したことによる。いわば「インフレ時のデフレ退治」の結果であった。要するに、平成不況とは、80年代後半のマクロ経済政策のミスが引き起こしたものなのである。しかし、構造改革論は、平成不況の原因を、マクロ経済政策のミスではなく、日本の産業構造や社会システム、ひいては国民性にまで帰し、その変革を訴えるものであった。かくも貧困なヴィジョンの錯誤が、10年以上に圧倒的な支持を受けたというのは、恐るべき事態としか言いようがない。

まさしく、この通りでしょう。この頃からですよ、これまで日本的企業の美質とされていた「終身雇用」や「年功序列賃金」が叩かれはじめ、やれ「実力主義」だ、「評価制度」だとアメリカ企業のまねをしだしたのは。

著者は、崩壊した「金融資本主義」に代わる新たなモデルを構築するよすがとして、20世紀初頭の時点で、その崩壊を見通していた5人の経済学者の思想を紹介するのです。その五人とは
ハイマン・ミンスキー、ソースタイン・ヴェブレン、ルドルフ・ヒルファーディング、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョセフ・アロイス・シュンペーターです。

ここで取り上げられた5人は、必ずしもその経済思想は一致していません。しかし、「資本主義というものは本質的に不安定である」という点のみを共有していたといいます。

そして、いずれも、資本主義の不安定性を封じ込めるためには、長期的に持続する取引関係、組織、制度そして政府の積極的な役割が必要であると考えた。彼らは、立場や見解を異にしながら、資本主義の危機という同じ問題と格闘し、ほぼ同じ結論に達していたのである。

この5人が、いかなるヴィジョンを語っていたのかは、同書をお読みください。僕自身にとってみれば、この本は非常に面白かったというのが感想です。

そういえば、以前ここで紹介した「競争の作法」という本も、昨日の日経に「重版完了」と広告が出てました。売れているようですよ。日本の経営者はそれを読んで反省するといい。

今日はこれまで。



2011年1月23日日曜日

この人らを見よ!

米倉経団連会長のTPPを巡る「アホ」な発言に憤慨してましたら、またもう一つ「?」な発言を知ってしまいました。

法人税減税の話です。

要するに、彼は経済界を代表して企業活力を取り戻すために、国内の法人税の減税をしろと要望したわけですね。日本の法人税は海外に比べて高すぎると・・・。

背景は知りません。ただ、米倉会長は記者に囲まれた時にその持論を一席ぶって、記者にこう質問されたらしいのです。


「減税で企業活力が戻って、雇用はどのくらい増えますか?」

米倉会長答えて曰く

「資本主義社会なのだから、そんなことはわからない(答えられない)」

これが事実とすれば、この人はホントに「アホ」ですね。彼の言う「資本主義社会」とは、何を意味してのものかわかりませんが、そもそも「日本経済団体連合会」というのは、その「資本主義社会」に必要なものか?圧力団体でしょうが・・・ある種の。企業を代表して政府に陳情するというのは、彼のいう「資本主義社会」にあっていいのか・・・。

仮にも「公徳」というものに思いを致す人間ならば、「数字は言えないが、雇用を増やすよう努力する」とかなんとか、言うべきではなかったか?「資本主義社会」云々は関係ないだろう。記者を労働団体か何かと勘違いしたのかな。それにても、大方の人が企業の法人減税について興味があるのは、それによって雇用が守られたり、増えたりということを考えるからでしょう。企業の利益などにはステークホルダー以外はほとんど関心がない・・・。その件の新聞記者は、それを代弁して質問したのだと思うのですがね・・・。

この会長、老人は老人ですが、1937年生れといいますから、昭和12年生れですね。戦後教育を受けた人間ですので、そういう発想がないのかな・・・。ここに挙げた明治生れの経済人の爪の垢でも煎じて飲んだらよい。もう、まるで比較になりませんわ・・・。老人が老人で尊敬受けたのは、戦中派世代までかも知れませんね。もうほとんどこの国からは姿を消しました。

政治家だけがアホかと思ってたら、経済人にもこんなアホがいたとは驚きました。

日本企業の凋落の原因は、まちがいなくその経営者にあります。ここでも韓国のサムスンと日本の家電メーカーの利益の話をしましたが、一体日本家電メーカーの経営者は何をしていたのか。

18日火曜日の日経に、「時価総額世界の上位1000社」の記事がでてました。あらためて驚愕し、かつ悲しくなりました。

ソニーの時価総額は2.9兆円、純利益は637億円で、時価総額で世界で225位です。一方、サムスンの時価総額は9.9兆円で世界で37位、純利益は5,896億円ですよ!まったく比較になりません。何と云うことなのでしょう。

まあ、このことまで「競争の土台が同じではない」などと責任を外部に押しつける人はいないと思いますが、どうも「法人税減税」云々をいう人は、その心底に業績の悪化を他人のせいにしているような、そんな心性があるように思えてしまいます。

冒頭に挙げた本、その個々の代表的なエピソードを取り上げただけだとは思いますが、実に魅力的な人間が多いことに驚きます。今の経済界を代表する人で匹敵する人はいないのではないでしょうか?前にも書きましたね、日本の高度経済成長をけん引した企業の経営者は、ほとんどが創業者ではないか?と。これは不確実なことですが、ただ確かなことは、その名経営者のほとんどが明治生まれで、この国が大日本帝国だった時代にその人格形成を終えた人だということ。これだけは確かなことではないでしょうか。

そうであるとするなら、かつてあって、今は亡くしたものを真剣に考えるべき時ではないでしょうか。

今日はこれまで。



2011年1月22日土曜日

江戸の習俗(混浴)

江戸時代までの日本の風俗として、男女混浴であったことをご存じの方も多いと思います。これは事実で、多くの外国人がその驚きを書き記しています。

以前紹介した「逝きし世の面影」は、外国人の目から見たこの風俗を紹介しています。

それによると、日本での入浴が男女混浴であるということは、外国人同士の間ではかなり有名な好奇の(男からして当たり前)事象で、公衆浴場の場所がどこそこにあるという情報が伝わっていたらしい。

この風俗を目の当たりにしたある外国人の感想はというと、当初は皆驚きかつ当惑するのです。驚くのは、日本は自ら(西洋)と同じような文明を持った国であるのに、その風俗だけは未開の国のようなふるまいであるからです。これが、彼らからみて日本も未開の国であったら、何等驚く事はないでしょう。それが、日常のそれ以外のふるまい、礼儀正しさ等からはとても想像のつかない「野蛮」なことと感じられたからです。特に宣教師からみたそれは「日本ほどみだらな国はない」とまで憤激にも似た感情を日記に書かしめるほどです。

「老いも若きも男も女も、慎しみとか、道徳的に許されぬことだというはっきりした分別をそなえている様子をまるで示さず、恥もなくいっしょに混じりあって入浴している。人前で見境もなく入浴するこうした慣習を、原始的習慣の無邪気な素朴さとみなし、国によって道徳的によいことと悪いことには非情な差異があると説くことによって、弁護しようとする人がいる。こういった寛大な理屈に対する明白な答えは、日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだということだ」


ピューリタン的な倫理観とは相容れない風俗だとは思いますが、この傲慢な言い方はどうでしょう。かといえば、ハリスのように

「私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる

と、正直に戸惑いを記す人もいます。一方、次の様にそれを弁護する人もいます。

「風俗の退廃と羞恥心の欠如との間には大きな違いがある。子供は恥を知らない。だからといて恥知らずではない。羞恥心とはルソーが正当に言っているように『社会制度』なのである。・・・各々の人種はその道徳教育において、そしてその習慣において、自分達の礼儀に適っている、あるいはそうではないと思われることで、基準を作ってきているのである。率直に言って、自分の祖国において、自分がその中で育てられた社会的約束を何一つ犯していない個人を、恥知らず者呼ばわりすべきではなかろう。この上なく繊細で厳格な日本人でも、人の通る玄関先で娘さんが行水しているのを見ても、不快には思わない。風呂に入るために銭湯に集るどんな年齢の男女も、恥ずかしい行為をしているとはいまだ思ったことがないのである。」


 僕らの文化的コードが完全に変わっていまった過程に興味が出てきました。

今日はこれまで。

2011年1月21日金曜日

またまた「アバター」の話

 再び「アバター」の話を・・・。

娘を車に乗せて2人だけの時、突然娘がこういい出しました。

「大人になったら、アバターに出て来たカッコイイお姉ちゃんみたいになりたい」

「?」

僕は、ナビ族のヒロインかと思い、びっくりしました。

ところが、よく聞いてみると、映画に出てくる海兵隊の女性パイロットで、ナビ族の味方をして海兵隊を敵に回して戦う女性なのです。撃墜されて死んでしまうのですがね・・・。

その女性兵士ををカッコイイというとは・・・。

僕は不思議な感慨にうたれました。まだサンタクロースを信じている子が、その兵士の行動に何ほどの思いを感じたのかわかりません。ただ、ただ僕は驚きました。

その理由を尋ねようと思いましたがやめました。

「ナビ族を助けたから」

という単純な理由だとは思いますが、その彼女の結末をも受け入れてそう言ったのならば、もう父親としての役目は終えたも同然ですね・・・僕はそう思いました。

今日はこれまで。

2011年1月20日木曜日

心は即ち理なり

本来ならば、昨日書こうと思ったこと。主観・客観の話の続きです。


「陽明学」というのは大方の人が知らない言葉でしょうね。学校の教科書にはおそらく出てこない・・・。
これは、中国明代の王陽明という人の唱えた学問体系です。それまでの正統、官学であった「朱子学」へのアンチテーゼとして生れた学問体系です。

朱子学といい、陽明学といい、その根本は「人は如何にしたら聖人となり得るか」ということに尽きると思います。ここでいう「聖人」というのは人格的に立派な人くらいに考えてもいいと思います。それぞれの身分によって、例えば国王がそれを修める必要があるのは立派な君子になるためであり、仁政を布くためというように、学問というのは身分差に拘らず、「聖人」になるための方法論ということです。

さて、陽明学の有名な言葉に「山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し」というのがありますが、陽明学とは自らの心の主体性に重きをおき、認識と行動の一致を求めます。人は生まれながらにして善なるものを持っており(天理)、それが行動に移せないのは、私欲がそれを邪魔するからだという見方をとるのです。したがって、「天理を存して人欲を去る」という心構えを通じて、認識と行動の一致を求めます。これが「知行合一(ちこうごういつ)」といわれるものです。即ち「知ったからには行わなければならぬ」という、行動を促すためのものと言っていいでしょう。なぜなら、それが人の心に備わってる善の心=天理の発露に他ならないからです。

日本では、17世紀の中江藤樹、熊沢番山が陽明学者として名高く、教科書で習うはずの「大塩平八郎の乱」の大塩平八郎は陽明学徒でありましたし、佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛、河井継之助もその学徒でした。松陰がアメリカ密航に失敗して捕えられた時に詠んだとされる「かくすればかくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」という句などは、陽明学の「知ったからには行わなければならぬ」という哲学を、まさに表しているといえるでしょうね。

前置きが長くなりました。今日は陽明学の紹介ではなく、王陽明とその弟子の問答を紹介したかったのです。

山深く人跡未踏の地において、弟子が岩間に咲く花を指さしながら、師である陽明にこう尋ねるのです。

「先生は天下には心の外に物はないと言われますが、この花木などは、深山の中で自然に咲き自然に散ってゆきます。われわれの心とどうしてそれが関係ありましょうか。」

陽明答えて曰く

「君がまだこの花を見ない間は、君にとってはこの花は存在しなかったし、この花も君の心と一緒に静寂に帰していた。しかし君がここに来て、この花を見たとき、この花の色はたちまち明るくはっきりとしだであろう。つまりこれでこの花が君の心の外に在るものではないということが分るではないか。」

これは、一昨日のボーアとアインシュタインの論争を彷彿とさせるではないですか。しかも、その前の主観と客観ということにもつながって来る。陽明は、「心を離れて事物は存在しない」と言い切っています。

驚くことには、陽明のその言葉が「科学」という実証世界の中にあっても確からしい事実としてあるということ。一体、この「世界」の存在とは何なのでしょうか・・・。

今日はこれまで。

2011年1月19日水曜日

もう一回TPPについて

「主観」と「客観」についての話を続けなければならない本日ですが、ちょっと別のことを書きます。 

以前、ここでTPPについて2回書きました。勉強していないので賛成、反対は留保すると書きました。





お恥ずかしい、大変お恥ずかしいことにひどい事を書いてしまいましたので、訂正したいと思います。こう書いたのです。↓

壊滅するかもしれない品目は「チーズ」が浮かびますね。自由化になったらフランス産のチーズが安く買えるわけですから、僕なんか飛びつきますね。先日のブログではないですが、生産技術の伝統が違いますからね。日本の乳業メーカーがつくるチーズとは比べ物にならない・・・。市場から駆逐されるでしょう。しかし、それが世のならいです。

アホみたいですね。TPP環太平洋云々にフランスなど入っていないです。大馬鹿な文章でした。だから、僕が望む安いチーズなど入ってこない。本当にごめんなさい。ご容赦ください。

と、その参加国、交渉国をあらためて調べたのですよ。

シンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージランド この4カ国で始められたものに、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが参加を表明したと・・・。これで9カ国になります。日本が入れば10カ国になります。韓国は不参加を表明し、アメリカとの二国間FTAで行くらしいですね。

韓国は世界の孤児になるつもりなのか?

それよりも、ちょっとこの参加国を見て下さい。ほとんどが農業国で経済規模も小さい。これらの国とそれを結んで、経産省や財界が声高に叫んでいる日本の輸出額は増えるのか?単純な疑問です。

ジェトロのWeb(http://www.jetro.go.jp/theme/wto-fta/basic/tpp/)にデータが出ています。TPP参加交渉国の世界貿易に占める割合です。以下、引用します。

TPP交渉参加9カ国は、世界人口(67.3億人、2009年)の7.4%、世界経済(57.8兆ドル、2009年)の27.7%、日本の往復貿易額(1兆1,323億ドル、2009年)の25.2%、日本の対外直接投資残高(7,404億ドル、2009年末)の40.6%を占める。

この数字をみると、無視できない数字であることがわかりますね。まさしく、参加せず国を閉ざしたら、「世界の孤児になる(米倉経団連会長の言葉)」ことが心配されます。

やはり、「開国」せねば!明治の開国に次いで、平成の開国だ!!

というのが巷の議論になっていますが、これ果たして本当でしょうか?

このデータですが、「参加交渉国」となっているのがトリックです。なぜなら交渉国の一つ「アメリカ」が入っているからです。その数字からアメリカを除いてごらんなさい。恐らく数%ですよ。そんな経済規模の国々と、関税を撤廃する様な協定を結んで得するのは、日本への農産物や鉱物資源の輸出を増やしたい国々だけです。日本の製造業はそんな国に輸出などできませんよ。そこを相手に今以上に日本の輸出が伸びるのでしょうか?たかだか、9カ国の協定に参加しないことが、「世界の孤児」?とんでもない嘘八百ですね。


ちなみに、参加9カ国のGDPを調べてみました。統計局HPからですがブルネイは載ってませんでしたので、別口で調べました。全て2008年データです。前述ジェトロの数字とは異なります。

・シンガポール:1,800億ドル
・ベトナム:900億ドル
・マレーシア:2,200億ドル
・チリ:1,700億ドル
・ペルー:1,300億ドル
・ニュージーランド:1,300億ドル
・オーストラリア:1兆ドル
ここまでの計:1兆9,200億ドル

・アメリカ:14兆ドル
・日本:5兆ドル

7カ国合計でも日本の40%のGDPしかない国と自由貿易になったとして、その日本のメリットは一体何なのか教えてほしいわ・・・。そんな国々に一体日本の何を輸出したら、日本の経済成長を促すもととなるのかな。

※ブルネイは統計局の同じ資料にはGDPが記載されていなかった。「世界経済のネタ帳」(http://ecodb.net/country/BN/imf_gdp.html)とかいうところで調べたところ、140億ドルでしたので、完全に無視できる数字です。

ここで、韓国の不参加の理由が明らかになるのです。この参加交渉国の中で韓国が今より輸出したいのは米国です。他の国ははっきりいってどうでもいい、今の貿易協定で十分なのでしょう。だから、米国だけとの2国間交渉なのです。他の国々は米国、日本、韓国に輸出したいと当然考えます。そうすると、米国だけと自由貿易をしたいだけなのに、TPPに参加したら必要のない国とまでそれをしなければならなくなる。それを避けたのです。極めて真っ当なことですね。ちなみに韓国のGDPは9,300億ドルです。

これらの国で日本と利害が一致しそうな工業製品の輸出国は皆無です。ということは、日本は自身に有利なルールを作るということが不可能ということです。だって、仲間がいなければ多数決で勝てない。

さて批判の矢面にたっている日本の農作物の高関税・・・。前にも書きましたね「コンニャクイモ」の1706%!しかしよく調べてみると、日本の農作物の平均関税率というのは11.2%でしかなく、EUの20%よりも低いのですよ。アルゼンチンやブラジルは30%を超えてますし。

このソースは「赤旗」なんですが、どうも、共産党は非常にまともな事を言っているなと感じてるのですよ、最近は。親米保守の新自由主義を振りかざす人よりは、日本という国家をよく考え、よほどまともな事を言っていると思います。赤旗はTPP参加は日本の農業と地方を滅ぼし、潤うのは自動車産業と電機産業だけだと言っているのですが、この後者は間違っているかも知れませんね。

しかし、どうですかこのTPPの実態・・・。

巷では長期的な「中国包囲網」とかいう意見もあるようですが、包囲網が完成する前に日本がなくなる・・・。

それにしても、米倉住経団連会長はきちんと物ごとをわかって言っているのでしょうかね。ご自身の住友化学のみに大きなメリットがあるからだとしか思えない。チリ、ブルネイ、ニュージーランドも鉱物資源が豊富だぞ・・・。なんて、痛くもない腹を探られますぞ。もう少し、まともな発言をしてもらいたい。

食糧安全保障だとか、自由貿易の拡大発展だとか、そういう背景は関係なく、こんな日本だけが狙い撃ちされるような協定に拙速で臨んでは国を滅ぼすことになる・・・。

今はこんな風に思っています。


今日はこれまで。

※参考は以下。必見です!
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20101218

2011年1月18日火曜日

実在は実在ではない・・・

およそ20年前のこと。

不確定性原理というものを知りたくて、熱心に量子力学の解説本を読んでいました。こまかい内容までは理解できなかったことは言うまでもありません。ただ、一つだけ驚いたことは量子的な見方では「実在は実在はでない」ということ。観測者が「観察」という行為をすることによって実在するのであり、その行為がなければ「実在」しないということ。

昨日の「歴史とは何か」のからみでいえば、純粋なる「客観」「客体」は存在しないということになりますね。

これ、ニールス・ボーアとアインシュタインという、物理学者の論争にまでなったことです。


ボーア
「それは私の観測によって創造された実在体験なのだ。私がみるまではそれは存在しなかったのだ。」

アインシュタイン
「それは実在する粒子であって隠れた秩序にしたがっている。ただわれわれがその完全な秩序をしらないだけなのだ。」

と、こんな具合です。この論争の決着はついたのか未だつかずなのかわかりません。この論争はまるで「認識論」の世界です。哲学のようですが、正真正銘の量子物理学の範疇での論争です。ある実験結果を巡っての論争なのです。

学問の世界とは、実に面白い。そして恐ろしい。果てがないように思えるから。

この認識論についてのつながりはまた明日。


今日はこれまで。

2011年1月17日月曜日

歴史とは何か

8月の三と一の会「東京裁判」で、その内容は忘れましたが、関根さんに質問されました。その時の僕の回答が

「歴史とは現在と過去との対話ですから。視点が変われば歴史も変わり得ます。」

でした。例えていったのは「石田三成」の評価です。江戸時代、彼の評価は最低でした。「徳川」に弓を引いたわけですからね。それが明治になると、その再評価が行われ、あくまでも秀吉に忠義を貫いた忠臣として世に定着します。



非常にいい回答だと自分でも関心したのですが、これ大昔に読んだ本の記憶からの言葉でした。先日書棚からとった本に、そう書いてありました。

「歴史とは何か」という岩波新書。著者はE・H・カーという歴史学者です。この本は、1961年にケンブリッジ大学で行われた連続講演の内容が全訳されたものです。訳者は清水幾太郎。余談ですが、高校生の頃同人の「日本よ国家たれ」という日本の核武装を説いた本を読んで大感激したのを今でも覚えています。世は、進歩的文化人なる人種の妄説、空語が蔓延している時代でした。

さて、この本はアマゾンでもかなりレビューが記録されてます。好評価です。僕もこの本は、非常にいい本だと思います。著者は次のように言います。

「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。」


歴史というのは単なる事実の羅列ではなく、歴史家の解釈を内包しているものということになります。つまり、「歴史的事実」として、何人の批判をも許さないというのは大いなる間違いということになります。その批判は、「事実」に対してではなくその「解釈」に向けられているからです。しかも、その「事実」そのものも、それを「事実」として受け入れるか受け入れないかは、歴史家自身の判断に他ならないからです。

そして、次のように言います。

「歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈―この解釈に基づいて、この歴史家にしろ、他の歴史家にしろ、選択を行っているわけですが―で出発するものでもあります。仕事が進むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じて微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互関係を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なものであります。事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません。そこで『歴史とは何か』に対する私の最初のお答を申しあげることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」


 今日はこれまで。



今日はこれまで。


 

2011年1月16日日曜日

妻をめとらば才たけて

新しく財務大臣になった与謝野馨氏は、与謝野鉄幹の孫にあたります。

与謝野鉄幹といえば、タイトルの歌「人を恋いうる歌」ですね。

タイトル以下、次の様に続きます。

「見めうるわしく情けあり
友を選ばば書を読みて
六分の侠気四分の熱」

これは、このあともかなり続く長い歌なのですが、僕はここまでしか覚えていません。

その孫は批判の渦中にありますね。彼は彼なりに「憂国の至情止み難く、世上何と言われようと今の状況を救いたかった」と言うのでしょう。「侠気」かどうかはわかりませんが、「熱」であることは間違いない。まさか「大臣病」という熱病ではないことを信じていますが。

それが凶とでるか吉とでるか。

今日はこれまで。

2011年1月15日土曜日

今更ながら

映画「アバター」を観た。正月にWOWOWでやっていたからだ。

全編、ほとんどがCGで作成されたとのことであるが、その映像には驚愕の一言。いや、驚いた。字幕版だったので、娘に横で「今何て言った?」攻撃を受けた。先日、Luckyなことに吹き替え版をやっており、録画して娘に見せたら、「やはりよくわかる」と言っていた。幼い娘には「海兵隊」という言葉が悪魔の代名詞になったと思う。

そういえば、映画に出てくる海兵隊兵士が操縦するロボットは、「エイリアン2」でシガニー・ウィーバーが操っていたものによく似ていた。どちらもジェームズ・キヤメロン監督だし・・・。

「ターミネーター2」も同監督だったが、「エイリアン2」と出演俳優がかなりダブっていた。好みの俳優というのはあるのだなと思ったことを憶えている。

映画館で映画を観たのは、娘とみたのを除けば思いだせないくらい昔のことだ・・・。何を観たかすら思い出せない。最近は、レンタルビデオすら借りないし、3時間も座って「アバター」を観たのすら久しぶりのこと・・・。どうも、映画を観るという時間に拘束されることに対する「もったいなさ」がある。

今日はこれまで。

2011年1月14日金曜日

日本史と世界史を比べると その2

前回の続きです。

同じような歴史を歩んできたその両者の違い、「合理的」の差は一体なぜ生じたのでしょうか。

これについては様々ことが考えられますが、「風土」について考えてみます。風土がもたらす「農業」の違い、日本の「米」と西ヨーロッパの「麦」ということになります。この二つは、その栽培過程からして全く異なるものです。米作は非常に手間のかかるものなのに対し、麦作は種をまけばあとは収穫まですることがありません。また、その収穫率も大きく異なっています。近世で考えると、米作は、蒔いた種の30~40倍の収穫量があるのに対し、麦作は5~6倍前後でしかありません。人間の生存に必要なカロリー量を生産するのに、米作は麦作の10分の1程度の面積ですみます。この差がどのような違いをもたらしたかについていえば、

1.米作

きめ細かい作業が必要となる米作は必然的に家族の力を必要として、その絆が強くなる。また収穫率が高く、高率の収穫を可能とし、小面積から多くのカロリー収穫量があるので、人口密度が大きくなる。即ち、面としての農民支配も容易になり、政治的な安定度が増す。農民層にとっては、余計に働けば、それだけ利潤になることもあり、支配者が何を言っても黙って耐えるという盲従的になっていく。

2.麦作
収穫率が低いため、高率の収穫は不可能となり、かつ広大な面積を必要とするため、人口密度は小さくなり、政治的な支配も難しくなる。収穫を求めて戦争に訴えるということが日常茶飯となる。農民層は、頑張って働いてもそれに見合う収穫は望めないのだから、無理難題に盲従することは即「死」を意味することになり、自然と「抵抗」の気持が芽生えてくる。

と、ざっとこんな風にまとめることができるでしょう。日本にあっては「米」が万能の主食であり、かつ収穫量も多かったので、「農本主義」でも十分にやっていけたのに対し、西ヨーロッパでは「農本主義」だけではやっていけず、それ以外に活路を求めざるを得ませんでした。そうして早くから「商本主義」的なものが芽生えるのです。


また、ヨーロッパでは農業に必ず家畜が使用されていましたが、日本ではそのようなことはなく、さらにいえば、家畜を食用にするなどという発想はありませんでした。ヨーロッパでは違います。家畜は屠殺され、食用にされることが普通です。そして、さらには前者では戦争が頻繁に起こっていましたが、日本の近世には戦争はほぼ皆無といえます。

争いが頻繁におこり、敵にいかに勝つかということを考える以上、それには合理的なものを求めざるを得ません。そうやって発展していった歴史が日本にはなかったわけです。あくまでも比較してのことです。


そんな、「争い」に関してはまるで処女であるかのような日本が、大男である西洋と向き合わざるを得なかったのが、「開国」ということといえるでしょうね。しかし、その大男どもは、この日本という国が他のアジアの諸国、中でも中国とは全く異なる国であり、どちらかといえば「我々に似ている」と感じたのは、似通った歴史の段階をもっていたからかも知れません。アジアで封建の世を経験しているのは日本だけですしね。


ちなみに、宗教からの自由で始まった西ヨーロッパの近世ですが、、カトリックがダーウィンの「進化論」を正式に認めたのは1950年のこと。今でも一部の宗派ではそれを認めていないところがあると聞きます。これは「いい悪い」でありませんね。宗教とは元来そういうものだと思います。


今日はこれまで。





今日はこれまで。

2011年1月13日木曜日

日本史と世界史を比べると その1

 先日1月8日に、書棚からたまたま手にした本は、偶然にも「1984.1.8」と書いてありました。27年前の同日に買ったものでした。

「日本を見なおす」という現代新書です。その偶然に驚き、そのままパラパラと読み進めましたが、なかなか面白いことが書いてあって、「なるほど」と思う事が多かったです。著者は西洋中世史を専門とする文学博士ですが、その本は日本と西洋の歴史を比較したもので、「消極的・情緒的な女性=日本」と「積極的・論理的な男性=ヨーロッパ」と、その歴史的個性を表現していました。

同書を読んでその認識を新たにしたことがあります。それは著者がいう日本とヨーロッパの文化的な類似性です。ここでいうヨーロッパとは、西ヨーロッパと考えて下さい。ドイツ・フランス・イギリス・オランダ等です。世界史一般の通例では、ヨーロッパと言うとき、そこに地中海地方が含まれます。ギリシャ・ローマの文化的影響こそが、後のそれを形作ったからです。しかし、著者はそれを区別します。そうすると次の図式が成立します。

西ヨーロッパ=文化的辺境=中心はギリシャ・ローマ
日本     =文化的辺境=中心は中国・朝鮮

両者の地理的関係がそのまま文化的な中心・周縁の関係を生みだす事になります。要するに、両者とも、先進文明であったギリシャ・ローマ、及び中国・朝鮮をそのお手本として歩みはじめることになるのです。

1.古代

ここでいう古代とは、日本では平安朝時代、西ヨーロッパではフランク王国時代(5世紀から9世紀)までを指します。この時代は、両者ともに文化的な中心であり、お手本となる地域のまねをします。平城京、平安京がそうですし、律令制度というのもそうです。フランク王国は、ローマやビザンチン帝国のまねをして中央集権的官僚国家をつくります。ここでの政治的中心は、天皇と皇帝、国王。両者ともに「神」の権威をまとい、政治的権力とその権威は一致していました。ちなみに、「皇帝」というのは、「国王」よりも上の存在で、地上における「神」の代理人ともいうべき絶対の立場です。フランク王国の国王は、ローマ法王よりその位を授けられ、地上における「神」となって支配するわけです。

この時代の西ヨーロッパでは、キリスト教は民衆には浸透していません。支配階級だけのもので、圧倒的多数は、昔ながらの土俗信仰、即ち祖先崇拝、自然物崇拝、死者供養などの世界で生きていました。日本でも同様です。しかし、なぜその信仰形態が今に今に至るまで残っているのかは、それはそれで非常に興味深いことでもありますが、今日はそれには触れません。

2.中世

祭政一致の神権による中央集権支配が崩れ、田舎者の封建領主が権力を握ったのがこの時代です。フランク王国は分裂し、ドイツなどの王国を生みだし、日本では鎌倉幕府が成立します。ここでは、古代のように政治的権力とそれを支える権威は一致いていないのが特徴です。日本では天皇による「征夷大将軍」の任命によって幕府は正当な権威をもちえることになりますし、西ヨーロッパでも、ドイツ王(皇帝)はローマ法王、フランス王はランス大司教、イギリス王はカンタベリー大司教に任命されて、その権威をまといます。ここでは、国家は二つの頭をもっていたことになります。

この時代になると、支配階級のものだけであった宗教というものが、広く一般民衆の中に根をおろして行くことになります。それまでの宗教の教義の変更です。日本では本地垂迹(ほんぢすいじゃく)説が起こり、それまでの土俗的な神々は、すべて本地である仏に結び付けられるようになるのです。土俗信仰の中心とも言うべき祖先崇拝が仏教儀式に採り入れられたのもその現れです。
西ヨーロッパでも、カトリックの教義が出来上がるのがこの時代、それまでは異端であった聖者崇拝や、聖母マリア崇拝が祭式の中心になります。

さらに特徴的なことは、「学問と宗教との調和」です。日本では室町時代の五山文化です。この中心となったのは五山の禅僧ですが、彼らは「儒・仏」一致の原則を打ち出します(儒は儒学)。西ヨーロッパでこれにあたるのは「スコラ哲学」です。そこではギリシャ哲学とキリスト教の調和が追及されます。要するに、本来全く異なるはずの「俗」と「聖」を融合させたということです。同じような文化的な動きが両者にあったのは驚きですが、封建秩序が弱く、政治的なt統一・結合が弱い時代だったからこそ、文化的な統一・結合が求められた時代であったわけです。

3.近世

中世の弱かった政治的な統一・結合が強化されたのが近世と言えます。この時代の政治的な権威の任命者の力は弱くなり、権力の強さが目立つようになります。天皇の威光は幕府によって支えられ、西ヨーロッパでも「王権神授説」が唱えられ、法王や大司教の任命権は形式的なものになります。

この時代の文化的な特徴は、前時代の「統合」から「分裂」へと様相を変えます。「ルネサンス」として知られる「復興」もその一つです。この特徴はギリシャ・ローマの古典研究が重視されたことにあり、中世のスコラ哲学への反逆でもありました。むりやりくっつけたのを、切り離そうとしたわけです。「神からの解放」とも呼ばれますが、日本においても江戸時代初期の林羅山が、室町時代に行われた儒・仏一致の原則を批判し、儒学を仏教から解放しようとしました。これも「ルネサンス」といえるでしょう。以後は、西ヨーロッパではギリシャ・ローマの古典、日本では儒学が支配者層の欠くことのできない教養となっていくわけです。

この切り離しは、「合理と非合理」の区別といっていいでしょう。そしてそれは、後に「自然科学」の成立と発展につながっていくのです。17世紀には、ガリレオ、ベーコン、デカルトがその名を残し、日本でも和算の関孝和、「農業全書」を著した宮崎安貞が現れます。ここでも、西ヨーロッパと日本の状況は同じようなものになります。


交わる事のなかった両者ですが、その歴史的な歩みは驚くほど似通っています。しかし、その両者が初めて濃密に交わることになった19世紀末になると、西ヨーロッパは明らかに日本よりも「合理的」なもので進んでいました。とはいえ、大きな差とはいえません。イギリスを別にすれば、明治維新(1867年)を基準に考えれば、アメリカ南北戦争の終ったのはその3年前、イタリア統一が7年前、ドイツ統一、及びフランス第三共和政成立が3年後です。

日本は動力機械を使用しない文明の中でで、おそらく最高度に発達していると、幕末に訪れた多くの外国人が記録したように、日本は独自の発展を遂げていたのです。「合理的」なものだけが日本は遅れていたわけです。

この続きは明日にします。

今日はこれまで。

2011年1月12日水曜日

再び乃木希典

乃木希典は世捨て人だったのかも知れません。俗世間なんぞは彼の眼中になかったと思います。

彼は、明治10年の西南戦争時に敵に軍旗を奪われた事を拭い去ることのできぬ恥辱とし、「その苦しみとともに後半生を生き」、死処を探すためにその後の人生を送った、彼は生きながらの死者も同然、だから、生きている人間ではなく、戦死者やその遺族に対してのみ、考えられないような愛情を注いだ・・・とすると、いかにも「軍服を纏った聖僧」らしいのですが、これはあくまでも後世のイメージですね。

彼の若い頃は放蕩児でした。毎晩芸子をあげて飲み歩いていたのです。西南戦争が終わってからもその癖は直ることはありませんでした。とはいえ、西南戦争前の「萩の乱」においても、前原一誠配下の実弟が戦死し、乱後には恩師である叔父玉木文之進が自害するなど、体制側にいる自らと実弟、叔父までもが敵となって死を遂げるなどを経験し、さらには西南戦争でのその失敗。彼を慰めるのは「酒」くらいしかなかったのだろうとも思います。

彼が豹変するのは、ドイツ留学の後の帰国後です。それ以来は毎晩飲み歩くことのやめ、どこへ行くにも決して軍服を脱ごうとはしませんでした。40歳の時です。

彼は、当時のドイツ帝国の軍人が体現する歴史と伝統に触発されたと言っていいでしょう。武士道的な「克己」に自己回帰するのです。なぜなら、彼の中では軍人こそが社会の規範とならなければならなかったからです。彼が帰国後提出したレポートは、軍隊を組織として把握する事なく、あくまでも人間の問題、人間の倫理として把握するものでした。そんな人間が近代軍隊の中で有能であるわけがありません。

乃木は戦後、非常に多くの寄付を傷病兵やその遺族たちになします。これは他の将軍たちには見られないことです。確か、親を戦争で亡くした靴磨きの少年にも大金を与えた事実があったと記憶してます。

こんなエピソードがあります。

 ある日のこと、淋しい田舎駅に下りた、田舎爺があつた。その風体といふのが、汚い盲縞の着物を着て、よれゝになった帯をしめ、尻はし折りに草鞋穿き、といふ、きたない爺であつた。
 その爺が、駅前の駄菓子屋へ入って、「このあたりに、村田といふ者の家はないか」と、いったら、店の婆さんが出て来て、ぞんざいに「あるよ、お前さんそこに行くのかい」といつた。
 すると、爺は「その内は今どうして暮してゐるかな」といつた、婆さんは、「あの内の息子は戦争に行つて、戦死をしてから、内は食ふににも食へなくなつた」といふと、爺は暗い顔になつて、「さうかい、気の毒だなあ」といつた。
 すると、婆さんは、「さうだよ、乃木さんに殺されたんだといつて内のものは、乃木といふ奴に一度逢つて、怨みの一つもいつてやりたいと、いつも言つとるよ」といつた。
 爺は聞いて、驚きの目を瞠つていたが、熱い涙がパラゝと頬に伝つた。
 その内、爺は、教へられた身をすごゝと歩いて行つた。
 後で、その爺は乃木さんだつた、といふことを聞いて、婆は腰を抜かさんばかりに驚いた。
(出所:桜井忠温「将軍乃木」)

これは恐らく作られた話で事実ではないでしょう。世間に受け入れられる乃木のイメージがこんな作り話になったのだと思います。ただ、大事なのはこれは乃木でなければ成立しない話であるということ、東郷平八郎や、児玉源太郎ではだめなのです。ただ、乃木希典その人のみで成立する話なのです。

乃木が体現していたのは「仁愛」でもありました。そう世間に受け止められていました。もちろん、政府が彼をそうイメージさせるように仕向けたことは事実です。戦後の批判の矛先をかわすためです。しかし、乃木自身がそれにふさわしい人間でなければ、そんな政府のまやかしなど世間に受け入れられようはずがない。

乃木という人間は間違いなく、この国がかつて持ち、今は亡くしてしまった人間の類型のひとつだったと思います。


 今日はこれまで。

2011年1月11日火曜日

司馬史観なるもの

 昨年の7月半ばからの、このブログのアクセス解析を信じるならば(今一つ僕にはよくわからないことがある)、昨日までの約6か月間でアクセスの多かった記事を3つあげると、以下の3つになります。


1.ある逸話 日本人 小日向白郎(こひなたはくろう)
2.再び「坂の上の雲」 その功罪 乃木希典という人間
3.65年前の終戦記念日を思う その1

1は、現中国の国歌の元である「東北抗日義勇軍行進曲」、その「東北抗日義勇軍」のトップは、日本人馬賊小日向白郎であったことを簡単に紹介したもの。

2は、そのとおり、「坂の上の雲」で描かれる乃木希典の人物評価についての、僕なりの違和感を綴ったもの。

3は、1957年上期の芥川賞受賞作「硫黄島」から、主人公山蔭光福元海軍二等兵曹の「太平洋へ死の飛躍」の顛末を紹介したもの。


なにが、未見の読者の興味に触れるのかわからないものです。



世に「司馬史観」なる言葉があります。司馬遼太郎の描く歴史ものから透かされるものを「史観」と呼び、つまりは、近代日本の歩みの全てを帝国主義的な侵略戦争と称する左翼の歴史学者のそれに対抗するために、「反」左翼の人々が言いだした言葉だろうと思います(「新しい歴史教科書をつくる会」など)。要するに、ここで述べた「史観」は日本の近代をどう捉えるかと言う事に過ぎない。

司馬遼太郎は、自身の戦争体験(彼は戦車兵だった)から、「昭和」という国家はある種の魔法にかけられたかのようなものだったと言います。国土を焦土にし、その一切を灰燼にせしめた戦争の結末を思えば、昭和20年までの日本をそう思いたくなるのは当然のことかも知れません。しかし、それと比較したいがために、殊更に「明治」を持ち上げすぎるきらいがあると僕は思います。ここで何度も書いていますが、「明治」ほど歴史と伝統を破壊した時代はありません。司馬が愛した「江戸の多様性」は、明治になってほとんど喪われます。それについて、司馬はほとんど語りません(管見の限りでは)。「昭和」の特殊性を強調したいがために「明治」を美化しすぎていると僕には思われます。

今日はこれまで。









2011年1月10日月曜日

「春」と「秋」

 知らず知らずのうちに、少しずつ日の入りが遅くなっています。冬至の頃は、17時で真暗闇でしたが、今はうっすらとまだ明るい。未だ「大寒」を待つこの頃ですが、春遠からじといったところですね。

縮こまっていた身体が伸びをするような、春の到来はそんな心もちがします。

人は春の芽吹き、満開となる桜を人生の門出にふさわしいとします。僕にもそういうイメージがあります。4月の入学、入社はそういうイメージを増幅させますね。

残念なことには、そこだけに人生の華があるわけではないことに思いが至らないかのようです。「秋の恵み」、農作物の一斉の収穫を思い起こして下さい。秋の豊かさも、春の芽吹きと変わらぬ、いやそれ以上のものを人に与えてくれるではないですか。

そして、秋に素晴らしい実りを僕らに与えてくれるものは、春に花を咲かすことはないのです。

「人生には自ずから四季がある」と言ったのは吉田松陰ですが、春ばかりに目を向けすぎて、そこに花の咲かぬことを嘆くのはやめた方がいいですね。

今日は、自分に言い聞かすことを書きました。

今日はこれまで。

2011年1月9日日曜日

武道の「型」について

新聞によれば、アメリカは南部タリバンの徹底的な掃蕩のため、アフガニスタンへ1400人を増派するらしい。日本ではもうほとんど忘れられているこの「テロ」との戦い。今この瞬間にも多くの兵士が斃れているかも知れないと思うと複雑な気持ちになる。

2007年の夏にデンマークの友人(武道家)が、彼の門下生を引きつれて日本にやって来た。その彼らに2時間ばかり技を教えた。その中に、半年のアフガン勤務を終えて、除隊したばかりだという元デンマーク陸軍兵士がいた。名前は忘れたが、とにかくいい男だった。ほれぼれするような「イケメン」だった。

実際に戦場に出た人間と、戦場など想像すらできない人間では、「武道」というある意味格闘術を学ぶ際に差は出るのだろうなとその時に思った。実際はどうかわからない。宮本武蔵が書き残した「五輪の書」に出てくる、戦い方の定法は今ではほとんど意味をなさない。体重のかけ方、足の運び方からして今の剣道とは全く異なっているのだ。なぜなら、宮本武蔵は、1対多数の戦いを念頭においていたからであり、今の剣道ではそれはあり得ないからだ。

武道には「型」というものがある。最も基本になるものだ。それを繰り返し学ぶことによって、体で「型」を覚え込まねければならない。道元が座禅の仕方だけでなく、日常の作法までも事細かに書き残したように、まずは心ではなく体でそれを覚え込むことと同じだと思う。言うまでもなく「禅」は知的思弁を一切排除する。体で体得するものだという。

「量質転化」

南郷継正という空手家が言った言葉。読んで字の如し。量は何れ質に転化するという。何のこっちゃ?とわからなければ、自転車に乗れるようになったことを思い出すといい。幼い頃練習して自転車に乗れるようになった人は、生涯にわたって自転車に乗れなくなることはない。体で覚え込んだからだ。

「手足身が堅く覚えたその術は、心はさらにいらぬものなり」

という言葉がある。これも武道を学ぶ上での真髄だろう。こうならなければならない。今は格闘家になった吉田秀彦は、柔道を学ぶ若い世代の「乱どり」重視、「型」軽視を非難していた。柔道は「打ち込み」という「型」を何十万回もやらねばならない。変幻自在の相手に対応するには、自分の中に完全な「型」を持っていなければそれに対応できないという。至言である。

僕のやっていた少林寺拳法にも「型」らしきものはある。ただし、開祖は「型」を否定的に捉え、「法形」という言い方に変えていたが、同じ目的を持つものである。少林寺拳法の基本の突きは、かなり独特だ。空手とは完全に異なる。自分の中で「これだ」とわかり、そのとおりの突きができるようになるまで、僕は1年近くかかった。今でも、基本の突き方をみれば、その人がどの程度のレベルなのかはすぐにわかる。

少林寺拳法は2チャンネルでは叩かれっぱなしである。曰く「最弱」「使いものにならない」と・・・。「単なる武道ではない」というその存在意義にあぐらをかき、技術的な改良をしてこなかったことは確かにあると僕は思っている。しかし技術以前に問題なのは、へその上に帯を締めている黒帯が多いことだろう。まるで子供の着物姿である。腰・腹の据え方が全くわかっていない証拠であり、そんな人間に黒帯を与えるなど考えられない。他の武道では、そんな人間が黒帯を締めていることはまず考えられないのではないか。悲しい現状だ。そしてそれを糺さない指導者がたくさんいることがもっと大問題だと思う。


今日はこれまで。

2011年1月8日土曜日

イドラ 

近代科学の祖とされるフランシス・ベーコンは、「4つのイドラ(偶像)」というものを挙げ、それが「真理」への道を阻害していると言った。

「市場のイドラ(偶像)」とは、市場における人々の交際の際に作られる言語に執着する傾向を指します。言語は便宜的価値しか持たぬ単なる記号に過ぎず、大衆が市場で不用意に作った概念に基づいたものである。そのような言語を事物そのものと考えるところに、偏見が生じる。そこでベーコンは「事物そのものを観察せよ」と警告したのである。

「洞窟のイドラ」とは、個人的な何かにとらわれているために事実をありのままに把握することのできない偏見をいう。洞窟につながれた人間は広い世界をありのままに見ないが、それと同じく、個人的性癖によって事物間の類似にばかり注意し過ぎたり、反対に事物の差異にばかり注意し過ぎたりする傾向がしばしば見られるという。

「劇場のイドラ」とは、僕等自身の思索に頼るよりも権威や伝統に頼ろうとする精神的傾向をさす。ベーコンは「舞台の上の手品に惑わされてはならない。他人を信ぜずに自己自身を観察せよ」と言った。


「種族のイドラ」とは、人間という種族、すなわち人類の本性にもとづく偏見をさす。例えば、感覚の錯覚のごときもの、自然現象を観察する際に人間の行為を基点にした類推によって目的関連を見いだそうとする擬人観のごときものがそれだと言う。


果たして、人間の認識はこの4つから自由になれるのだろうかとつらつら考えると、どうもそうはなれまいと思う。そもそも言葉というものが、歴史と伝統を担っているものであり、言葉を抜きにして人間は思索できないのだから、日本人が日本語で物事を認識する際には、既にイドラにとらわれていることにならないか。これはイギリス人でもフランス人でも同じこと。ある意味、人間というのは実に不自由なものとも考えられるなくもない。生まれながらにして「○○人」という歴史を背負うからだ。そしてそこからは逃れることはできない。

「人間の権利(=人権)などない。あるのは○○人としての権利だ。」

と喝破したのはエドマンド・バークという英国の政治家・哲学家。フランス革命を批判したことで有名ですが、世に言う「人権」なるものにいかがわしさを感じる僕にとってこれは至言です。そもそも、単なる生物学的な人間にそんな権利が与えらるなど、不可解極まりないでしょう。そういう傲慢も「近代」のもたらした一つの害悪だと考えることが当然だと思います。なぜなら、神の創造物の頂点にあるからこそ、それ以下の生き物を、自然をいじくり回し、破壊して来たのが「近代」であるからです。

最近、「犬飼いたい病」にかかっている娘は、純血種にしか眼がいきません。ペットショップで売られているのが皆そうだからです。人為的な犬の交配により多くの犬種を生みだした歴史はいつからのことなのかわかりませんが、人間の都合のよいように、犬をつくり変えるわけですから、この心性には「おぞましさ」さえ感じてしまいます。


「人間がそんなに偉いもんだとは知らなかった」

とは、江戸の文明に生きた人々が、キリスト教的価値観(つまり、人間がトップで君臨する世界観)を聞いた時の驚きでした。江戸人にとっては、生きとし生けるものそのすべてが共に暮らす仲間だったわけです。これは前にも書きましたね。

「牛の乳は子牛が飲むもんだ。人間が盗るべきものじゃない」と言った心性や、馬の去勢、調教さえしなかった江戸人は、まさに「人権」がもたらす害悪とは無縁の社会を生きていたことになります。

そして、そういう心性の人々が暮らす社会だからこそ、「近代」をまとった外国人に「この世の楽園」と言わしめたのだと思います。

今日はこれまで。

2011年1月7日金曜日

文明の病

高坂正堯がなくなって早15年。僕はこの本を1985年5月に購入している。初版は1981年、1984年第24刷と巻末に出ている。

これはタイトル通り「文明が衰亡するとき」を扱った本であり、対象となる文明は、ローマ、ヴェネチア、現代(当時の)アメリカの3つである。

日本的経営を世に知らしめた嚆矢とされる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は1979年に発刊されているが、それが意味する所は、日本企業と日本社会の隆盛と対象的なアメリカの衰退であったことは言うまでもない。

それでは、一体何がアメリカ企業の衰退を生じせしめたのか?

そのいくつかについて、同書の最終章では次のように語られている。言うまでもなく、著者高坂正堯は国際政治学の第一人者であり、経済については門外漢である。

著者は「経験」軽視と「分析」尊重がアメリカの経済活力の減衰の重要な原因であるとしている。言うならば「企業家」ではなく、「管理者」が企業のトップになった時、その「組織」は衰退を始めるのだと。

アメリカの経営者は株主の方ばかり向いており、四半期毎に利益を出さないとすぐにクビになるとは今でも言われていること。要するに投資の利潤を重要視し、元金を早く回収するということ。これでは銀行家と変わらない。そして、市場に目を向ける時には、あまりにも市場調査に眼を向けすぎる。市場調査、即ち分析に重きを置き過ぎることの弊害は簡単に理解できる。なぜなら、消費者は既存の製品、価格、市場という枠組みでその需要を捉えているのであって、そのため彼らの需要を調べる事は既存のものに囚われた将来予測を生みだしてしまうからだ。

1945年に行われた市場調査では、将来のコンピューターの需要は世界中で50代くらいという結果があった。まさに噴飯物。分析とはそういった陥穽の危険がある。

古くはヘンリー・フォード、新しくはスティーブ・ジョブスにしてもビル・ゲイツにしても、彼らをして名経営者足らしめたものは、「商品にかける熱き情熱」と「深い洞察力」であったわけで、分析の専門家ではない。

ところが、

近代の文明は「現場の経験から得られる洞察力」を持つ人間よりも「客観的な分析能力」を持つ人間を育て、そうした人間により多くの活躍の場を与えるところがある。まず、後者は理論化し、体系化できるのに対して、前者はそれができない。マーケット・リサーチや世論調査に上述の欠点があっても、それを使用して得られた結論は数量化された傾向という基礎に基づいている。それに対して、「この製品は売れるという勘がするよ」という言葉は現代人にとって、いかに説得力がないことであろうか。現代の社会で支持を得るのは、ある種の方法論によって整理されたデータを駆使する方である。

と、著者は言う。そして、著名な政治哲学者マイケル・オークショットの「実践的、伝習的知識」と「技術的知識」という言葉をひき、オークショットの言う「すべての活動はこの二つの異なった知識を必要とするが、ルネッサンス以来のヨーロッパを支配して来たものは合理主義であり、それは後者を強調して前者を著しく軽視して来た」と述べたあと、

だとすれば、アメリカの経営の陥った衰弱は、そうした現代文明の傾向が文明の進歩と共に強まったことの帰結と言えるだろう。それは文明の病と言ってよい。


と結ぶのである。

昨年10月に「組織能力とは」と題していろいろ書きました。そこで、所詮組織の能力は、組織を率いる人の「質」によるのだ。しかし、それを定量化することは不可能なため、定量化、普遍化が可能にみえる「組織」というものに逃げ込んだのだと僕は書いたつもりです。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/2.html

僕の言いたかったことも、高坂正堯によれば文明の病ということになる。

しかし、26年前に読んだ本がまた新たな発見を与えてくれるなど素晴らしいことではないですか。この本は捨てなくてホントによかった・・・。

それにしても、ここで何度も元気な企業は皆創業者が率いていると書きましたが、そういうところをもっと真剣に考えなければならない。おバカな民主党政権や、歴史に無知な日経が言うごとく「戦略」があれば、薔薇色の未来が開けるなどというおめでたい考え、というより心理傾向だと僕は思っていますが、それは一刻も早く捨て去るべきだと思います。

今日はこれまで。

2011年1月6日木曜日

季節「冬」

 10年以上前の年賀状でこう書いたことがあります。

「季節は冬がいい。凛とした寒さに身も心も引き締まる思いがするから」

今でも季節は「冬」が好きですが、この文章の裏にはエアコンの効いた温かい部屋にいる時間があって外の寒さを感じるような、「卑怯」な感じがしますね。枕草子でいわれたような境地とは雲泥の差があることに気がつきました。

日中、火鉢の暖だけで過ごそうと思ったことがあります。寒さに我慢ができません。それが朝から続くなど、考えただけでその不可能なことがわかります。



「心頭を滅却すれば火もまた涼し」

この禅の言葉は、小学1,2年生の頃に漫画で覚えました。なかなかこういう境地には辿りつけそうにありません。

今日は「小寒」です。寒さもいよいよ本格的になっていく。そして「大寒」を過ぎ、「立春」を迎える。自然の営みは、足下の生活とはかけ離れたところにあるようです。そもそも、それが「近代」が目指したものといえますね。

とはいえ、もう梅はその花を咲かせる準備をしています。木々の梢の先はもう膨らんでいるのですよ。実に感動的です。


今日はこれまで。

2011年1月5日水曜日

心機一転

心機一転

とは、実にいい語感、響きを持つ言葉ですね。年頭に当りまさにぴったりの言葉です。今年はこれで行こうと心を新たにしました。

今年は、昨年末より重しのようにのしかかっている「近代」というものをちょっと勉強しようと思います。相変わらず、同時並行に読み進める本の多い僕ですが、今年はそれに輪をかけたものになりそうです。

「文学に現れたる我国民思想の研究」という津田左右吉の本があります。岩波文庫で8巻あるものですが、今年はそれを読み進めようと考えています。

他に、和辻哲郎の「日本倫理思想史」これは、かなり前に読んだのですが、あまり覚えてないので今度は精読しようと思います。この本でひとつだけ印象に残っていることは、古代からの日本の倫理思想を語るのにほとんど仏教を必要としていない点です。古来からの「清明」、「中世の献身」、それには仏教思想を必要としません。これが僕には驚きでした。

次いで、本居宣長、福沢諭吉、このあたりかな・・・。ライトな連中がよく言う「武士道」を本居宣長は「漢ごころ(からごころ)」と言っている辺りが、どうも気になりだしました。福沢諭吉は、封建道徳への哀惜を綴ったあたりが気にかかっているところ。巷間言われている民権論者ではない福沢の姿を知りたいと思っています。

奥田さんからの年賀状に、「最近初期仏教にはまってる」と書いてありました。初期仏教というのは実にいいものです。狭雑物のない釈尊の言葉そのものには、平易ながらも実に奥深いものがあります。「自らが救われるために悟りを得よ」といった、自己修練の道と言ってもいいかも知れません。そう考えると、その初期仏教も含めて、日本へ渡来した仏教の変遷、それぞれの時代を代表する宗教家、空海やら、道元やら、親鸞やら、その他いろいろも大変気になります・・・。

今年が終わる頃、ここに挙げたもののいくつを果たしたことになるのか。まぁ頑張ります。

今日はこれまで。

2011年1月4日火曜日

AppleとSony

 1995年、世は挙げてWindows95の発売に浮かれている時、わが家が選択したのはMacintosh。
機種名はperformaでした。今とは比べるべくもない性能ですが、内蔵モデムの速度が9600bps、内蔵メモリは16mbで、買い足した同容量のメモリが5万円近くした時代です。

「こんなパソコンを考え出した人間は一体いかなる人間なのか」

そのPCに触発されて、「Macintosh開発物語」を読み、今では知らぬ者のないスティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアクの二人のapple創業者を知るに至りました。そして「Windows95何するものぞ」と、熱烈にMacintoshのファンになりました。その当時の機械に感動した心持ちは今でも鮮明に覚えています。その後も多くの関連書籍を読み、「MacFan」も数年購読し続けました。

それからしばらく、家でも会社でもMacintoshを使っていました。仕事での不便は多少感じましたが、頑なに使い続けていましたが、仕事ではメールで大容量のファイルのやり取りが日常化するに及んで、遂にWindowsの軍門に降ったのが2005年です。それ以来、仕事でMacintoshを使う事はなくなりましたが、家ではその後2台のMacintoshを買い替え、今では4台目。僕はWindowsのノートPCにどっぷりと浸かっています。


「機械」に驚く、感動するというのは、実はそれが2度目の経験です。最初は初代のウォークマンが発売されて間もなくでした。それでYMOを聞いた時の感動も、未だに忘れられません。Sonyというのは、僕が小さい頃から、今で言うブランドイメージは他のメーカーとは異なっていたように思います。少なくとも僕にはそう感じられました。その当時「流石はSonyだ!」と思ったのを今でも覚えています。

appleはその後もまさしく世界を変えるような商品を生みだし続けていますが、Sonyは一体どうしてしまったのでしょうか?残念でたまりません。何といっても韓国企業に売上で追い越されるなど、痛恨の極みです。

日本企業の製品というのは、どうも「優等生」すぎるような気がする。「面白み」がないのです。車でも、何でもそうですね・・・。そう感じるのは僕だけではないでしょう。


本日(4日)の日経記事によると、appleはサプライヤーとの協働、SC構築についても他社を一歩も二歩も先んじているらしいですね。ものづくりと、それを支えて継続的に市場に出し続けること、つまりは一貫したシステムが今の優位の源なのでしょう。

日本企業が、そして日本の製品が世界を席巻した時代は再び巡ってくるのでしょうか。

今日はこれまで。

2011年1月3日月曜日

歴史への愛着 



 本日(3日)付の日経1面記事についてです。「三度目の奇跡」というシリーズものです。

「開戦前、焼き捨てられた報告書」「現実を直視、今年こそ」

のタイトルが踊ります。

この記事では、大東亜戦争前に報告書としてまとめられた対米英国力比較を、陸軍首脳部は焼却を命じ、それを無視して無謀な戦争に飛び込んだと云いたいらしいです。

「現状認識を封印した戦争の結末は悲惨だった」


この文章がそれを表しています。これ「嘘」ですね。

陸軍だけでなく海軍首脳部、そして政府閣僚、当時の最高首脳部の全てが対米英戦にほぼ勝ち目はないことは正確に認識してました。だからこそ東条英機が「清水の舞台から飛び降りる心持」と、対米英戦争に突入せざるを得ないことを表現したのです。万に一つしか勝ち目はないことを認識していたからです。確かに、少壮幕僚の中にはドイツの破竹の勢いに目がくらみ、対米英国力など歯牙にもかけなかった者もいたとは思います。しかしながら、首脳部は間違いなく圧倒的な国力の差を正確に認識していました。

記事では陸軍がまとめた報告書しか対象とされてませんが、当時内閣直属の企画院でも同じようなことをまとめて、当然同じ結論を出しています。

「必ず勝てるのか!」と昭和天皇は、口調厳しく陸軍参謀総長、海軍軍令部長を詰問しました。その時の回答は

「必ず勝てるとは言いかねます。然しながら勝機がないとは言えません」

でした。「戦に必ず勝つ」とは言えない事ですし、「負ける戦に勝つ」こともありうるのが戦争だからです。

「万に一つの僥倖をたのみ『賭け』に出ざるを得なかった」

これこそが事実でしょう。決して現実を直視していなかったわけではない。


ただ過去を断罪することが「反省」だと思っているのでしょうか。しかももっとたちの悪いことに、事実ではないことを事実であるかのように装い、それを反省、断罪するなど、まるで「阿呆」の仕業。

「過去の断罪」とは、自らはそうされるには当たらないという高みにおいた者だけが為し得る傲慢な業だということに思いが至らないらしいです。

「歴史に学ぶ」とは、歴史への愛着、共感がなければ、それを為す事はできません。





「日本の歴史が、自分の鑑とならぬような日本人に、どうして新しい創造があり得ませうか。」


小林秀雄が昭和16年に述べた言葉です。

今日はこれまで。



2011年1月2日日曜日

聖と俗の曖昧さ

毎年、近所の神社へ初詣でへ行きます。社殿はそう大きくはありませんが、社叢は見事。創建は1300年前、という歴史ある神社です。

さてその神社の境内ですが、どうも犬連れが多くて気に障ります。「聖」なる場所に「犬畜生」を入れるなどどうも違和感があるのです。それも若い世代だけでなく、いい年の老人までそうですから全く恐れ入りますよ。少なくとも社殿の近くでは犬は立ち入り禁止にすべきだと思うですが。別に悪さをするわけではないですが、「聖」と「俗」のけじめは必要だと思うのです。日本でのその曖昧さも、日本らしさはあるのですが、世界では宗教に「聖」を求める、与える思想がありますからね、せめて、日本の宗教機関でもそのくらいのことをすべきだと思います。

正月1日になるといつも思う事ですが、大晦日までの慌ただしい世の中が元日には嘘のように静かになってしまう、その静かな元日が僕は何ともいえず僕は大好きなのです。窓から見える景色は、いつもと変わらないのに、なぜ全く異なった心象を与えてくれるのでしょう。大袈裟ですが一切の音がなくなったかのような印象を受けます。

実にいい・・・。

今日はこれまで。

2011年1月1日土曜日

新春 2011

明けましておめでとうございます。
今年もまた浅学卑才の拙文にお付き合いくださいますよう
よろしくお願い申し上げます。

さて、本年の私の年賀状です。







新春2011年(皇紀2671)



「時代精神」。ある時代に支配的な知的・社会的・政治的動向を表すといった意味でしょうか。明治のそれを言うなら、独立精神と「志を志として尊ぶ」というようなものでしょう。「明治人」という言葉使いがあります。そこに「偉大な」という形容詞をつければ、漱石、鴎外の両文豪、あるいは新渡戸稲造や内村鑑三などが挙げられます。大正という時代の精神は、コスモポリタニズムとヒューマニズム。白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、有島武郎などに代表されるのではないでしょうか。彼らを「大正人」と名付けても違和感はそうありません。世に言う大正の教養主義は、明治の修養という儒教的倫理観へのアンチテーゼでした。

さて、ここではたと困惑するのが「昭和」のそれをいかに表すかということ。戦後は言うに及ばず戦前でさえその精神を表す言葉を見つけることができません。僕の浅学故のこともあるでしょう。ただ一言で時代を表すことが不適当な気がするのです。戦前の20年間は、未だ罵倒の中にあります。曰く、過去の「反省」から戦後の社会は出発したのだと。そして経済一辺倒で突き進んできました。
ただ不思議なことに、「儒教的」なるものを排し、「封建」の残滓を一掃したはずの戦後の社会にあっても、顧みる矩として向けられていたのは「明治人」でした。そう呼び表される人は、明治が持っていた「型」という道統を受け継いでいた人にほかなりません。そしてそれは戦後の社会から失われたことが確実なものでした。
昭和から平成へ。この国は失われたものに眼差しを向ける一方で、ただひたすらに「豊かさ」と「便利さ」を追い求めてきました。しかしながら、豊かに、そして便利になるということは、それまでの不便を捨て去ることにほかなりません。不便だからこそ、または不自由だからこそ感じられるものもある。そもそも、何一つ不自由もない、不便もない中で人間は一体何を生みだすことができるのだろうか。国破れて66年、僕らの社会は一人の漱石や鴎外も生みだしていない・・・。そんなことを考えてしまいます。








今日はこれまで。