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2011年1月24日月曜日

エコノミストではない人の経済の本

小室直樹という人をご存じだろうか。

「誰?」という人に即答すべき回答に苦労するのだが、超一級の頭脳、アカデミズムの中でも比肩しうるものないずば抜けた頭脳を持った評論家、というのが僕のイメージ。

昭和7年生れで昨年(平成22年9月)に亡くなられた。京都大学で数学を学んだことを皮きりに、その後理論経済学、計量経済学を学び、MIT、ハーバードで世界的な経済学者から指導を受け、その学問領域は、広く社会科学一般に及ぶものであった。彼はまさしく「天才」と呼ぶにふさわしいと僕は思う。そのせいかどうか、彼は一般人が「眼を細める」ようなことも平気で書く(だけではなく、テレビ出演しても言ったらしく、それがもとで以後のテレビ出演はなくなったらしい)。例えば、「田中角栄を有罪にした裁判官、検察官は死ね」とか、「政治家は賄賂をもらってもいい」とか・・・。彼の理屈ではそれが正しいのだが、それをズケズケと言うのだ。

彼の経歴についてはWikiに詳しい。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9


本棚にある彼の著作「日本経済破局の論理」。平成4年に出された本であるが、当時の流行語「複合不況」にあえぐ日本経済を理解するためのもの。彼の文体は独特である。漢籍からの言葉が多くちりばめられており、その該博な知識にも目を見張るものがある。とはいえ、あまりにも話ポンポンと飛び過ぎて、結局何をいいたいのかわからないという箇所にも出くわしてしまう。

この本では「GNPがわかれば経済がわかる」となっていて、当時はGDPではなくGNPが使われている。一体、いつからGNPがGDPに変わられたのだろう・・・。

この本の中にこんなフレーズが書いてある。

「日本の職業的経済学者が、いかにグータラで無能か。『日本の代表的エコノミスは誰ですか』。巷の人に聞いてみるとよい。長谷川慶太郎、大前研一、唐津一、牧野昇。多数の人の口に出てくるこの四人。一人として経済学部出身者はいない。みなエンジニアである。」


 これが書かれた約20年前を知る人は、まさにこの通りだと思うだろう。そしてそれは今でも変わっていないかもしれない。

彼は、極めて明快にこう言い切る「GNP=消費+投資」なのだから、消費が落ち込んだ時は投資を増やすしかない。消費が落ち込んだ時に投資を増やすことができるのは「政府」しかない。第一次大戦後のドイツが僅か数年でハイパーインフレを退治したのみならず、世界と戦争できるだけの軍備を持てたのはなぜか。それはケインズを知らなかったヒトラーが、ケインズの唱えたことと同じことをやってのけたからだ。そしてそれに国民が目がくらんだ、そしてナチスの独裁が生れた・・・。


さて、今日はこの本を紹介するのが本意ではなく、エコノミストではない人の経済の本をご紹介すること。「恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることできるのか」。



著者は中野剛志という42歳の人。この本が出た2009年には経産省の官僚でした(今は京都大学の先生かな)。東大で国際関係論を専攻し、その後エジンバラ大学大学院で政治思想史を学び、そこで社会科学の博士号を取得するという人物。 

彼は立てつづけに本を出していますが、そのほとんどがアマゾンでは在庫切れ状態です。ちなみに僕は図書館で彼の全著作を借りようと思いましたが、ほとんどが予約待ち状態です。

新聞の書評で取り上げられたのかな・・・。僕は知らなかった。

彼は、ここで経済思想を語っています。思想とはいえ、彼は「ヴィジョン」というシュンペーターという経済学者(不断のイノベーションこそが経済を発展させると説いた人)が好んだ言葉を使って、同書を書き始めます。

シュンペーターの言う「ヴィジョン」とは、科学的な理論や分析の暗黙の前提となっている先入観のことである。


ヴィジョンとは、知識の前提となる「前知識」であり、分析の前提である「前分析」である。科学者は、あらかじめヴィジョンをもっていなければ、観察することも分析することもできない。科学がヴィジョンの基礎になるのではなく、その反対に、ヴィジョンが科学の基礎になるのである。


ある種のヴィジョンあるいは思想に従う人々の行動様式の総体が、経済制度や経済現象を形作る。そう考えるのならば、経済システムとは、その根底に、何らかの世界観や思想があるとわかる。確かに「資本主義」といい「社会主義」といい、それはある特定の経済システムのことを指す言葉であると同時に、「資本『主義』」あるいは「社会『主義』」という、ある特定の主義主張や価値観のことでもある。
 二○○八年九月に勃発した金融危機以降、一般に「金融資本主義が破綻した」と言われている。その意味するところは、「金融資本主義」という経済システムが壊滅したのと同時に、それを支える「金融資本『主義』」という思想あるいはヴィジョンが崩壊したということだと言ってよい。
 要するに、現在、世界が直面しているのは、経済の問題であると同時に、思想の問題でもあるということだ。金融資本「主義」に代わる「主義」が問われているということだ。本書は、この「主義」すなわち「ヴィジョン」をめぐるものである。



著者は、80年代のバブル経済以降の日本の状況を、以下のように注記で述べています。

80年代のバブル経済は、アメリカの内需拡大要求などにより、好景気時にかかわらず積極財政や低金利政策を実施したことによる。いわば「インフレ時のデフレ退治」の結果であった。要するに、平成不況とは、80年代後半のマクロ経済政策のミスが引き起こしたものなのである。しかし、構造改革論は、平成不況の原因を、マクロ経済政策のミスではなく、日本の産業構造や社会システム、ひいては国民性にまで帰し、その変革を訴えるものであった。かくも貧困なヴィジョンの錯誤が、10年以上に圧倒的な支持を受けたというのは、恐るべき事態としか言いようがない。

まさしく、この通りでしょう。この頃からですよ、これまで日本的企業の美質とされていた「終身雇用」や「年功序列賃金」が叩かれはじめ、やれ「実力主義」だ、「評価制度」だとアメリカ企業のまねをしだしたのは。

著者は、崩壊した「金融資本主義」に代わる新たなモデルを構築するよすがとして、20世紀初頭の時点で、その崩壊を見通していた5人の経済学者の思想を紹介するのです。その五人とは
ハイマン・ミンスキー、ソースタイン・ヴェブレン、ルドルフ・ヒルファーディング、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョセフ・アロイス・シュンペーターです。

ここで取り上げられた5人は、必ずしもその経済思想は一致していません。しかし、「資本主義というものは本質的に不安定である」という点のみを共有していたといいます。

そして、いずれも、資本主義の不安定性を封じ込めるためには、長期的に持続する取引関係、組織、制度そして政府の積極的な役割が必要であると考えた。彼らは、立場や見解を異にしながら、資本主義の危機という同じ問題と格闘し、ほぼ同じ結論に達していたのである。

この5人が、いかなるヴィジョンを語っていたのかは、同書をお読みください。僕自身にとってみれば、この本は非常に面白かったというのが感想です。

そういえば、以前ここで紹介した「競争の作法」という本も、昨日の日経に「重版完了」と広告が出てました。売れているようですよ。日本の経営者はそれを読んで反省するといい。

今日はこれまで。



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