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2011年6月30日木曜日

9ヶ月

昨年の9月から毎日記事を更新し続け、本日で9ヶ月が終了しました。よくもここまで続いたものだと思いますが、さすがに最近は書くことがなくなってきた。政治ネタが多いしね。人の批判だけしていればいいわけですから、これは楽チンです。

昨日の暑さはたまらなかった・・・。まだ梅雨明けもしていないのに、朝から猛暑でじりじりした。ほんとにこれまでの日本列島の「夏」というものが完全に様変わりしたと思いますね。僕が子供のころはこんなに暑くなかった。いや、ほんの10年くらいまでもこれほどではなかったと思います。

なのに、社会の服装コードは昔のまんま。今年は節電の影響でスーパークールビズなんて言ってますが、もう夏のそれを完全に変えるべきだと思いますね。NHKは未だにネクタイ締めてるし・・・。

考えると腹がたってくるのですが、なぜあれだけの偏向報道をしている放送局に受信料なるものを払わねばならぬか、どうにも納得できない・・・。



早いもので明日から7月。

今日はこれまで。

2011年6月29日水曜日

怪物

書きたくとはないと重いつつも、どうにも書かずにはおられない・・・。

菅直人首相に対してです。いやはや、もう四面楚歌とかいう状態ではないですね。全くの袋小路に自ら入り込んだとしかいいようがない。でも、本人はけろっとしているようで、相当に面の皮が厚いんですね。

日本では、権力と金銭に淡白なことが尊ばれてきました。権力を誇示したり、その地位に綿々としがみついたりすることは、「潔くない」とされていたのではなかったか・・・。しかるに、今の首相たるや一体何という有様だ。

自らの任期中に、これだけは成し遂げねばならないというその決意のみは推量するにやぶさかではありませんが、その中身には断じて否といわねばなりません。

奇しくも、経団連会長がエネルギー問題という国の重要な施策を拙速で決めてはいかんと、首相を批判していますが、まさにその通りですね。「再生エネルギー法案」なるものにご執心らしいですが、そんな大事なものを、僅か1~2ヶ月の論議で決めてしまっていいわけがない。

もうそんなことでさえ、正常な常識ある判断ができなくなっているのでしょうか?

最近は、新聞であの人の顔を見るたびに嫌悪感がしてたまりません。まさに権力の亡者と化した怪物のような気がしています。人智では測れない・・・。だから、その怪物のなすことですから、原発を争点とした解散もありえますよきっと。怪物には人間界の常識など通じないのですからね。

今日はこれまで。



2011年6月28日火曜日

誄詞

誄詞。

「るいし」と読みます。

死者の生前の功徳を讃えてその死を悲しむといった意味です。かつて、三島由紀夫は「尊敬する歴史上の人物は?」と尋ねられると、「二二六事件の将校たちと特攻隊員」と答えていました。

その顰に倣っていえば、僕は日本人の、民族としてと日本の国家としてそれ(誄詞)を手向けるべきは、まさしく特攻隊員たちもその中の一群だろうと思っています。

6月23日。沖縄戦終結の日として慰霊祭が毎年行われています。そこでいわれることは、「戦争の惨禍を繰り返さない」「戦争は絶対反対」ということのみで、さらにいえば慰霊の相手も「沖縄県民」が主であり、沖縄を守備した軍人たちは従のような気がしています。僕の勝手な思い込みかもしれませんが、もしかしたら、「軍人」たちは慰霊の対象になっていないのかも・・・。

陸海軍併せてのいわゆる「特別攻撃隊」は、沖縄を守るための戦いがそのピークでした。鹿屋、知覧などを代表とするの九各地の飛行行場から沖縄周辺海域にいた米海軍機動部隊を撃滅するための捨て身の策だったのです。

沖縄では「ひめゆり部隊」の献身があります。まだ15歳前後の彼女たちの命がけの献身も、日本人が語り継ぐ歴史であり、誄詞を手向けるものでもあると思います。

しかしながら、その勇気と義務と献身を讃える言葉は皆無といえます。語られる彼女たちは決まって「戦争の犠牲者」でしかないのです。

こんなおかしなことがあっていいのか!

確かに悲劇は悲劇である。しかし、悲劇は何も彼女たちだけを襲ったものではない。当時の日本人全員を等しく襲った悲劇であり、もっというなら日本の国家こそがそれに見舞われたのです。

そこで、繰り広げられた様々な人間模様。卑怯卑劣な振る舞いも多くあったでしょう。それとは逆に文字通り命がけの勇気と義務と献身が多くの人を救おうとしたことも多くあったのです。

僕は思います。そういった人間の美徳を教えずに、「道徳」教育など可能なことなのかと。

そんな題材は五万とあるにもかかわらず、「戦争」というと「不戦の誓い」だとか「平和」だとか、それしか言うべき言葉がないというのも、「思考停止」そのもの・・・。

今日はこれまで。


2011年6月27日月曜日

四面楚歌

「四面に楚歌の声を聞く」

この故事(十八史略)から採られた言葉は、まさしく今の菅総理の境遇といえるでしょう。ただし、本人はそれをわかっているのかどうか・・・。

党執行部だけでなく、政府中枢からも早期退陣を求める声が挙がってはもうおしまいなのに、どこまで居座るつもりなのでしょう。

前原前外務大臣は、彼の「脱原発」を「急激な振り子の振れにあわせた政治ををやってはいけない」とポピリュズムを批判され、ほんとに立つ瀬がないとはまさにこのこと。所詮、市民運動家あがりの人間に一国の総理など務まるわけもなく、第一菅直人には何のビジョンも、明確な国家観もないわけで、ただ人の批判だけを、舌鋒するどくやってのけるのに長けていただけの人。しかも、その鋭い舌鋒を部下にまで向けているというのだから、どうしようもない・・・。

彼を総理にした人は責任を感じてほしいよ・・・。

今日はこれまで。

きょうは

2011年6月26日日曜日

国民が主人なら・・・

福沢諭吉は「学問のすすめ」で「政府は国民の名代である」として、そのための「学問」を説いた。

それにならって言えば、政府はあくまでも国民の「名代」であるのだから、主人は国民ということになり、ならばその主人としての責任をいかにかすべきというのが、僕が今日書こうと思っていることだ。

最近よくここでも書いているが、「選ぶ側の責任」ということ。これは「主人としての責任」と言い換えることが可能だ。民主党政権になって、1年と9カ月。民主党はいかなる政策効果を発揮したのだろうか?震災前のことだけでもいい。彼らは一体何をしたのだろう。真っ先に挙げねばならないのは、沖縄の米軍基地をほぼ固定化させてしまったこと。これは未だに解決の道筋すらつけることができない。その責任は非常に思い。彼らが金科玉条のように言い募るマニフェストなるものにしても、完全な形で実現できているのは、高校の無料化くらいではないかしら・・・。不完全な形で施行されているこども手当も、国民からは「ばらまき」として反対する声も多い。


選ばれた側、つまりは「名代」は失策が続けば次の選挙で落選という憂き目にあう。問題は主人の側の責任だ。

先の衆院選での比例代表。民主党の得票総数は約3,000万票だそうだ。小選挙区での得票数は目をつむる。党ではなく、個人に期待した人も多いと思うからだ。なので、比例で「民主党」と投票した人全員が、今のこの政権の体たらくに対する反省、責任として1人100円の罰金を支払ったらどうだろう。あっという間に30億円が集まる。

もちろん、集まったお金は義援金として被災地に寄付するのだ。1000円なら300億円だぞ。

なんてことはできないのかなぁ・・・。

今日はこれまで。


2011年6月25日土曜日

Lady GAGA

うちの娘も知っているくらい彼女は日本で有名になりましたね。今回の来日で行われた記者会見で日本の復興のことに触れ、感極まって涙を流したんだとか・・・。写真が出てました。

震災直後の彼女の「チャリティブレスレット」には驚きました。僅か1日か2日後でしたからね。彼女は偉いなぁ・・・。どうせなら被災地でコンサートをやってくれたらもっとよかったのに。

昨日(24日)の読売新聞の朝刊に世界のセレブから寄せられた日本への応援メッセージがTシャツになったものがでてました。全面広告です。ユニクロが販売するらしい。収益は寄付するとのことです。

中でもベッカムの奥さんの寄せたメッセージにはジーンときた。

As a family we send our thorghts and prayers to the people of Japan.
Your dignity in the face of such tragedy has been truly inspirational.
Love and hope..

(日本の皆様へ、私たち家族よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。このような悲しい出来事に直面しても礼を保つ皆様の品格に、感動を覚えます。愛と希望を。)

というものでした。すばらしいメッセージではありませんか。

今日はこれまで。



2011年6月24日金曜日

しぶとい

居座る総理大臣。

もうなんというか、文字にするにも気分悪くなる。ただ一人意気軒昂なんだとか・・・。その理由も、彼を激励にきた市民団体幹部との会談の後で、余計に「再生エネルギー法案を絶対成立させる」とボルテージが挙がったというのですから、僕にとっては非常に恐ろしい。

マスコミが名づけるところの「市民団体」なるものは、ほとんどが「愚民団体」だと僕は思っているのですが、基本的に彼らはシングルイシューで争うだけのもので、それを通して何もかもを判断する。二項対立の幼児の世界観で物事をみる。特定のイデオロギーでものをみる。僕からみれば、とても良識ある庶民とは思えないのです。

仮にも一国の総理が、そんな連中とまだ付き合いがあるとは・・・。僕にとっては全く理解不能です。
いや、むべなるかな・・・。自身の来歴もそこにあったわけですからね。

深い学識と教養にあふれ、歴史に深い愛着を持ち、正しい言葉遣いでもって、万人を感化する。そんな理想の「哲人」政治家の出現を望むのは、まさしく幼児のないものねだりでしかないのだろう。

前総理といい、現総理といいほんとに僕を不快にさせてくれる。

今日はこれまで。

2011年6月23日木曜日

山ガール

19日の日曜日に高尾山へ行ってきた。僕は初めてのこと。曇り空であまり気温も高くなく、山登りにはよい気候でした。

頂上の混雑には驚きました。まるで縁日・・・。

僕は結婚したての頃、突然山歩きに目覚め、一通りの道具を揃えました。山登りではなく「山歩き」。日帰りで行ける近郊の山を女房と歩いていたわけです。いつか、3000m級の槍ヶ岳とかへ行きたいと思いつつも、いつの間にかその熱も覚めてしまった。ということで、山歩きは実に14年振りのこと。

かつて、山は中高年だらけでした。

今は山ガールが闊歩してます。「ほんとにいるんだぁ」と思いました。昔と比べておしゃれなスタイルになってるし・・・。

頂上で飲んだビールは最高で、つまみに持っていった「いかくん」もうまかったよ・・・。

今日はこれまで。

2011年6月22日水曜日

「脱原発」で思うこと

自民党の石原のぶてる(漢字変換も面倒くさいと思うほど価値のない政治家だとぼくには思える)が、「ヒステリー」と呼んだところの「脱原発」についてちょっと考えてみたい。

原発は確かに一旦事故がおきれば、非常に大きな影響を空間的にも時間的にも社会に引き起こす。だから、地震国日本には不要であり、自然エネルギーに転換すべきであるというのが、最近の「脱原発」の論調であると思う。

まさしくそのとおりであると思う。危険度が高いのは間違いない。ただ、だからといって金輪際使うのはやめようという結論はどうもおかしい。危険を抑え込む知恵は当然持ちえているはずだからだ。これまで以上に安全対策を講じた上で稼動させたらよいではないか。

「絶対安全といえるか!」

と、色をなして怒る人には「世の中に絶対などという言葉はない」という至極当然のことを返したい。

僕は脱原発に対しては反対も賛成も留保する。ここで言いたいのはその考え方のいかがわしさだけである。

ちょっと前まで交通事故では年間1万人を超す死者がいた。そのとき、誰一人として「自動車は危険だから『脱車社会』だ」とは言わなかった。なのになぜ、原発は危険だから『脱原発』というのだろう。

「時間的にも空間的もその影響は大きいからだ」

危険度、事故の大きさからいって交通事故の死者数とは比べものにならないからそう言うのか?ならば、目をつむっていられる数はどれほどか教えてくれ。1万人の死者ならリスクとして受け入れ、3万人なら受け入れられないのか?そういう人は「人命が何より大事だ」言ってはいけない。大事なのはその「命」ではなくその「数」だからだ。

再生エネルギーの実用化に向けて不断の努力を続けることは当然だ。問題は、それで必要な電力をまかなうのにはまだまだ時間がかかるということで、それまでの間が問題なのだ。原発を廃止して、火力に頼ってよしとするのか?それまで地球温暖化が大問題で、化石燃料によるCO2の排出が大問題なのではなかったのか?

根拠のない放射線量におびえ、将来の不確実な発ガンリスクを恐れて、確実に増加するCO2の排出に目をつぶるその正当な理由を教えてくれ。

自分の命が大事で地球温暖化などはどうでもいい

というのならわかるぞ。僕はそれを義しいとは思わないが理由のひとつになりえるからだ。

ドイツの「脱原発」に惑わされてはいけない。陸続きの欧州は電力の売り買いは普通にできるし、ドイツがそういうのなら、フランスからは「電力をかいません」というべきだ。フランスは電力の7割が原子力だし、自分の国は脱原発といいながら、他の国の原発による電力を買うのは「脱原発」といえるのか?

つらつら書きなぐってきた・・・。


かつてこの国は東亜戦争に負け、もう戦争はこりごりと思った。そして日本人は「戦争」を考えないように思考停止した。今回の騒動もどうも同じに思える。原発はもうこりごり。だから脱原発だと・・・。どちらも同じ思考停止のように思えるのは僕だけか?

今日はこれまで。

2011年6月21日火曜日

植物の不思議

以前、「アボガド発芽」と題した記事を書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/08/ryo.html

昨年の8月のことです。発芽させようと意図して2本の芽が出たのですが、少し前にほったからしにしてあったアボガドの種からも芽が出てきたのです。それは、部屋の中の大きな観葉植物の鉢の中に入れておいたもので、いつそこに入れたのかも定かではありません。

ですが、発芽したのです。それも他の2つとは全くことなった形でひょろひょろと長~いのです。子葉が開くのもとても遅かった。

これには、理由があります。その観葉植物の鉢は直射日光が当たらないのです。ですから、ひょろひょろと背が高くなり、より日光を受けられるような高さになったところで、日光の方へ向けてようやくその葉を開かせたというわけです。

前に発芽したものと比べると、その高さは3倍くらい違いますのでとても同じ植物には見えないほどです。

植物の生命力というのは実に不思議で、たくましいものです。

今日はこれまで。

2011年6月20日月曜日

「ギリシャ」で思うこと その2

大雑把にいうと、「哲学」を学ぼうとする人は、フランスやドイツ、最近はアメリカへ行くのが王道らしいです。「ギリシャ哲学」を学ぼうとする人が、その発祥の地へ行くことはまずありません。

ギリシャ。

その文化・文明が世界を席捲していた時期は僅か300年ほどです。しかし、その後の西洋文明、ひいては近代というものまでもその萌芽はそこにあったと考えることができます。しかしながら、現代ギリシャには、かつての面影は全くなくなってしまっています。

ギリシャを負かした新興国ローマを考えてみましょう。ギリシャ人は国家としてはローマに敗れましたが、逆にその文化によってはローマを打ち負かしているのです。有名なシーザーにしても、アウレリウスにしても、彼らはラテン語をしゃべりながらも、同時に第二外国語としてギリシャ語をしゃべり、読み書きをしていました。

ローマ人はこう告白しています。

戦には勝ったけれど、結局ギリシャに征服されたのは我々だ・・・。

ギリシャは、哲学発祥の地としてだけでなく、世界で最も早く民主主義の功罪を味わった国でもあります。その文化・文明はギリシャが死してなおいき続け、そしてそれは今も西洋文明の地下水脈にとうとうと流れています。

おそらく、文化・文明というのは、その担い手が滅んだ後にも生き残り、伝播していくか否かでそれが真のものか否かがわかるような気がします。ギリシャがよい例です。

西洋人というのは、帰るべき精神的・思想的な故郷としてギリシャ・ローマ文明がありますが、翻って僕らの国はどうなのでしょう?


なんていうことを、新聞でギリシャの記事を読むたびにつらつらと考えています。

今日はこれまで。

2011年6月19日日曜日

「ギリシャ」で思うこと その1

今日は年が明けて170日目です。

どのくらい前でしょうか、ギリシャが債務危機に陥ってEUの支援だとかいろいろと新聞を賑わしましたね。その危機は未だ収束せずのようですが、直接的に日本にあまり影響を与えるわけではなさそうなので、僕にとってはそのこと自体に興味の対象がいくわけではない。

イギリス滞在中にギリシャへ行ったことがある。2週間ばかりの一人旅。往復の飛行機代は確か
4万円くらいだったような気がするが、正確には覚えていない。とにかく「安い」というのは覚えている。25歳のとき。

この一人旅は実にいろいろな経験ができた。面白かった。

まずは往路の飛行機の機中。機内食で「kiddny pie」が出た。あれは今まで食べた料理の中のまずいものの五指に間違いなく入る。一口食べただけでそれ以上は口にできなかった。すると、突然隣の席のおじさんが、「お前が食べないのなら俺にくれ」といって、それを食べてしまった。

これには驚きました。まず第一に赤の他人が口をつけた料理をもらって食べてしまうということ。第二にそのまずい料理をうまそうに食べていること。実にいろいろな人種がいるものです。

そうそう、その前にこんなことがありました。

イギリスにはThomas cookという旅行社があります。日本でいえばかつてのJTBみたいなものかな。チケットを買いにそこへ行き、「ギリシャ」(英語ではGreece)へ行きたいというと、「ギリシャのどこ?」と尋ねられ、「アテネ」というと全く通じず、いろいろアクセントを変えたりしても全くだめ。最後には地図をもちだされて指を指せという始末。そして初めて意思疎通ができ、「アテネ」は「Athen」。カタカナで書くと「アセン」だった・・・。(恥)

そういえば、父親の時代は「ゲーテ」を「ギョエテ」と呼んでいたらしい・・・。

ちなみに、その「Thomas cook」。関東大震災の復興に多額の義捐金を日本に送りました。それを知った日本の政府だったか、宮中のひとだったかは「イギリスはコック(COOK)でもこんなに金持ちなのか」と驚いたそうです。当時の日本はそんなレベルの国際認識だったのです。今から思えばかわいらしい・・・。


早朝の「アテネ」に着き、まだ柔らかく、それでいて棘のようにとがった朝日に映し出されるパルテノン神殿を見たときの感動は何と表現したらいいのだろう。ソクラテスやプラトンがここにいたのだという、その場に立ったことの時間的な感動と、建築様式の美しさと、それらがごっちゃになって襲ってきたようなものでした。

アテネ市内の雑踏は、アメ横みたいなものです。無秩序で雑多でごちゃごちゃしていて・・・。人々はいたるところで立ち話をしている。日本でいえばお母さん連中の井戸端会議みたいなもの。でもそれがおじさん連中なのです。僕は「きっと政治や哲学の話をしているに違いない」と勝手に思ってましたが、どうなんでしょうか。

無秩序といえば、ギリシャから帰国後(イギリスに)、すぐに今度はスイスへったとき、非常にほっとしたことを覚えている。ただ、そこも長く滞在していると今度はその「秩序」と「整然さ」が病院のような、薬品くさいものに感じられて、息がつまった。

閑話休題。

さて、そのギリシャ。アテネ市内を拠点に、オリンポス宮殿やら、デルフォイの神殿やら、いろいろな観光スポットへ出かけた。その多くはバスでだ。車中から眺める風景は、まさに地中海。丘陵に広がるオリーブ畑、ブドウ畑。一切の緑が消えた荒ぶれた地形など。日本とは全く異なるし、イギリスとも異なる。その乾いた土地でなぜ世界に冠たるギリシャ文化が生まれたのだろうか、ということを当時も不思議に思っていました。

続きはまた明日書きましょう。決して旅行記を書くわけではないのです。

今日はこれまで。

2011年6月18日土曜日

言葉選び

昨日(17日)の日「春秋」で、小林秀雄の言葉がとりあげられていました。批評の極意として彼が言う「その人の身になって言葉を見つける」というものです。これは「小林秀雄の言葉」として、ここで紹介しました。http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/12/blog-post_03.html

石原伸晃が反原発の動きを「ヒステリーといったこと、そして管直人首相の「菅の顔をみたくなければ法案を通したほうがいい」とかいったことに対して、この小林秀雄の言葉を持ってきたのですが、どうにもそのきっかけが情けない・・・。

石原氏の場合は、単なる言葉選びの間違い。言いたいことは「感情的」ということだと思いますが、「ヒステリー」ではちょっと酷い。首相の場合は、他人を小馬鹿にしたような言葉ですね。まあこの両者とも同じ穴の狢ですな。言葉は、それを発する人によって重くもなるし、軽くもなる。だから、言葉の力によって人を動かそうとする政治家は、言葉選びに慎重になるより前に、「修身」が必要になる
のですよ。

「修身平家治国平天下」。これを忘れて政治家たる資格なし。「春秋」子も、こんな低レベルな人間をあげつらうのに、この小林の言葉はピントはずれだと思う。

今日はこれまで。

2011年6月17日金曜日

PC新調!

絶不調のPCをついにあきらめ、新しいのを買いました。今回はDELLです。薄型モバイルノートに20インチの外付けディスプレイをつけたので、すばらしい環境になりました。デュアルディスプレイというやつですね。

OSはWindows7の64ビットですが、その恩恵はいまだ実感できずです。とにかくこれで突然の休止という作業のストップから解放されるだけで、今は喜びです。

データなどの移行も割りと簡単でした。

というわけで今日はこれまで。

2011年6月16日木曜日

1枚の写真

読売新聞の社会面最終欄では、「3.11の記録-家族」という記事が連載されている。毎回かわいそうな話で、涙なしでは読めないのだが、昨日(15日)も

火葬「泣くかも・・・けど行く」

と見出しにあった。9歳の兄が遺体で見つかった5歳の弟の火葬に行くときにこういったらしい。その家族はお父さんと息子だけが生き残ったのだそうだ。

おそらくこのような話は多くあるのだろう。何とも心が痛む。

「火葬」で思いだしたののが、米国人の従軍カメラマンが撮影した「焼き場に立つ少年」という写真。ご存じだろうか。かなり有名になった写真だとおもうのだが、この写真を初めてみたとき涙が止まらなかったことを覚えている。

僕等の国の今どこに、いや古今東西の世界のいかなる国に、このように凛々しい立ち姿をみせることのできる少年がいるのだろうか。それほどまでに美しい、そしてその裏の哀しみまでもが神々しいようだ。

戦後のこの国が、いかに大切なものを失ってしまったかを考えるとき、そのよすがとしてこの写真があればいいように思う。

これは、

「トランクの中の日本」

という本に収められている。ぜひともご覧あれ。

今日はこれまで。

2011年6月15日水曜日

田中美知太郎

「五郎さん」の愛称で親しまれる橋本五郎氏
かつて「ズームイン朝」に出ていた読売新聞の論説委員の人。僕は神田の古本屋で見かけたことがある。彼は秋田の出身だそうで、自民党から衆院選?だったかの候補に取りざたされることもあった。郷里には、彼が寄贈した2万冊にもおよぶコーナーが図書館に設けられていると聞いた。

たまに読売新聞で記事を書いている。

その彼の記事の中で「田中美知太郎」という名前が出てきて、懐かしく思えて蔵書を引っ張り出してきた。

田中美知太郎。西洋古典研究の第一人者である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%8E%E7%9F%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

彼が多くの碩学たちと対話したものをまとめた「プラトンに学ぶ」は、一行一行がゆるがせにできないほど、深いものに満ち溢れている。圧巻である。特に、その中で小林秀雄と対談した章では、すべての行に線が引いてあるほど僕にとっては印象深いものだ。いずれそれは紹介するとして、今日は、田中美知太郎とググって出てきた姫路市市長のブログをご紹介したい。

政治家から田中美知太郎という名前が出てきたのは驚きであったし、しかもその内容がとてもよかった。全文は以下から市長(石見利勝)のブログに飛んでもらいたい。

http://hmayor.exblog.jp/13050528/

簡単にそこで描かれた田中美知太郎を紹介する。

私が学生時代(昭和35年~40年)に、通学で市電に乗っていると、銀閣寺か錦林車庫駅から顔に大変なやけどをされた恐ろしい形相の人が、よく乗って来ら れました。正視するのも失礼な気がして、お気の毒な気がして、私はじっと下を向いていました。

この姫路市長は、京都大学理学部出身であり、後に東京工業大学大学院へ進むが、大学院在学中に「真善美」という本を読み、大きな感銘を受けたと書いていあります。そして、その著者が田中美知太郎でした。

そして、次のように続く。


ところが、その後間もなく、ある機会に田中美知太郎先生の写真を見ることがあり、田中美知太郎先生が、学生時代に市電に乗り合わせていた大やけどの、あの方であると分かりました。大変驚きました。

田中美知太郎は、昭和20年の東京の大空襲で全身に大やけどを負い、瀕死の重傷から辛うじて一命を取り留めた。そのため、顔は火傷のあとでひきつれたようになっていた。この市長が言う「恐ろしい形相」、その通り。

この市長は以下のように文章を締めくくる。

そしてしみじみ思いました。「あれだけのひどいやけどを顔に負っていながら、偏りも、こだわりもなく、ごく自然に、そして堂々と、やさしく、我が道を生きておられる、そして自然体で我々に説いておられる、なんてすばらしい先生だろう」と涙が出るほど感動しました。
おそらく自分なら、やけどを負った不運をなげき、世の中を呪い、恨み言を云い、人の不幸を喜び、幸せに対して、けちをつけるというような偏狭な人間になっただろうと思うにつけ、田中先生の堂々たる自然体の人生、真実をやさしく、分かり易く説かれる包容力、心の豊かさ、自分の人生に関する構えなど、(直接お会いしてお話をしたことはありませんが)心から尊敬しています。


この市長の感受性に僕は大きな共感を覚える。そして、田中美知太郎。学問を成す一流の人はやはり違うのだなとつくづく思う。いや、そうならなければ一流とは言えないとも思う。

今日は、学問が作り上げた人間というものをご紹介したくて、とはいえきっかけは「五郎さん」でしたが、これを書きました。

今日はこれまで。

2011年6月14日火曜日

戦前の日本人

今日も、司馬遼太郎の風塵抄から・・・。

彼は、こういう。

日本人は、むかしもいまも礼儀正しい民族だとされている。
が、電気ジャーのように、知っている人がボタンを押すと、礼儀という温かいお湯を出してくれる。
そうでなければ、”閉”のままで、仏頂面をして、バス停やプラットフォームに立っている。

日本人のこうした二面性、自らの世間内では非常に親切で思いやりがあるのに、世間外では逆に非常に冷たくなるというのは大いに心あたる。

司馬は2年の軍隊経験の中で、当時部下になってくれた下士官兵を、皆若いながらも古風で
以て六尺の孤を託すべし
といった人柄が多かったと表現している。昔は、そうした日本人がたくさんいたと、別のところで書いてもいる。

翻って今はどうか?

ニューヨークで同じホテルに十数泊した。
毎晩、『ホテルのメインバーで、酒をのんだ。
遠見でみると、極東の紳士たちはバーの従業員に対して横柄であるようにみえた。
「運チャン、新宿まで行ってくれ」
という、東京でもしばしば見かけるのと同質の横柄さである。

と、自身の体験を語ったあとでこう続ける。

右のホテルのバーは、ウェイトレスが一人だけできりもりしていた。
彼女はニューヨークの大学の修士課程の女子学生で、最後の夜、家内に対し、涙をうかべて別れを惜しんでくれた。
「しかし、日本のビジネスマンは、大きらいです」
と、彼女がつけ加えたことが、こたえた。

以上は、私どもが、以前の日本人でなくなっていることを考えたいために書いた。この調子なら、いずれ大がかりな仕返しをうけて(戦前のABCD包囲陣のように)日本は衰亡の道をたどるかもしれない。

司馬はここで人としてのありようを言い、政治だの国家だのは語っていない。ただ僕がいつもここで書いているように、人としてのありよう、人としての生き方こそが政治を左右し、ひいてはこの国を形づくるのだ。

司馬の文章を読んで、あらためて実に惜しい人を亡くしたと感じた。

今日はこれまで。

出所:風塵抄二 中央公論社

注)
「以て六尺の孤を託すべし」とは、論語にある言葉。「幼いみなしごを託しても大丈夫な人間」という意味。




2011年6月13日月曜日

日本国に明日はない

風塵抄(ふうじんしょう)。

司馬遼太郎が、産経新聞に毎月1回連載していたコラムの名前である。その名を冠した本も出ている。先日、何とはなしにそれをめくってみた。

タイトルの言葉が司馬の絶筆となった。平成8年2月12日とある。それは土地問題、いわゆる不良債権により経営が行き詰った住専を取り上げたものである。司馬は、土地を投機の対象とすることの愚を他でもかなり書いていると思う。よほど腹に据えかねたろうだろう。その文章は以下のように締めくくられる。

日本国の国土は、国民が拠って立ってきた地面なのである。その地面を投機の対象にして物狂いするなどは、経済であるよりも、倫理の課題であるに相違ない。ただ、歯噛みするほど口惜しいのは、
「日本国の地面は、精神の上において、公有という感情の上に立ったものだ」
という倫理書が、書物としてこの間、たれによってでも書かれなかったことである。
たとえば、マックス・ウェーバーが1905年に書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のような本が、土地論として日本の土地投機時代に書かれていたとすれば、いかに兇悍なひとたちもすこしは自省したにちがいなく、すくなくともそれが終息したいま、過去を検断するよすがになったにちがいない。
出所:風塵抄二(中央公論社)
 とあり、続けて次のようにいう。

住専の問題がおこっている。日本国にもはや明日がないようなこの事態に、せめて公的資金でそれを始末するのは当然のことである。その始末の痛みを通じて、土地を無用にさわることがいかに悪であったかを―思想書を持たぬままながら―国民の一人一人が感じねばならない。でなければ、日本国に明日はない。
 出所:同上

司馬の文章特有、決して悲憤慷慨調ではないのだが、静かな彼の怒りが伝わってくるようではないか。そういえば、この時には住専への公的資金投入額が6,850億円であったことに「ろうやにごー」とかいって公的資金投入を反対する人間がいた。まったくこういう人間と、この司馬の静かな怒り、深い哀しみとは言いようもない断絶があり、もっと悲しいのは、前者の方が声が大きいということだ。


司馬がここで書いたことは、実に面白い。明日もご紹介します。

今日はこれまで。


2011年6月12日日曜日

懐かしい名前「むつ」

本日(12日)の日経に原子力船「むつ」の名が出ていた。

昭和40年代生まれの人はおそらく知らぬ名だと思う。僕が小学校5年生の時に世間を賑わした名だからだ。10歳の時。

日本史上、「むつ」という名前はこれで2つ目だった。一つ目は帝国海軍の戦艦「陸奥」。2つ目がこの原子力船「むつ」である。

最初の「陸奥」は終戦間際、港に停泊中謎の大爆発を起こして湾内に沈んだ。水兵による故意の爆破だったと何かで読んだことがある。ちなみに、そのようなことがいわれるのは帝国海軍の戦艦では2隻目。その最初は日露戦争時の連合艦隊旗艦「三笠」である。

さて、2隻目の原子力船「むつ」。これはヒロシマ・ナガサキの核アレルギーをもつ日本が、「原子力を制した」と宣言するような実験船だった。動力が「原子力」なのである。ところが、処女航海時だったかに船内で微量の放射線が放出するという事故を起こしてしまい、世の中は大騒ぎになった。母港に帰るにも、どこかへ寄港するにも、地域住民から猛烈な反対運動が起こってどこにも帰れなくなる事態に陥った。

10歳の僕が当時の覚えているのは、その世の中の騒動のみ。最終的にどう決着したのかは分からない。

おそらく、その7、8年後に「むつ」から漏れ出した放射能は、テレビのブラウン管からでる放射線量と大差がなかったと知って愕然とした。要するに、「原子力」で日本の自立を望まないアメリカの陰謀に日本のマスコミやらはまんまと乗ってしまい、それに国民も騙されたということ・・・。まったくと取るに足らない事故だったらしいのだ、本当は。

田中角栄を失脚させたのと同じようなもの。


この「むつ」が福島第一原発の事故を受け、汚染監視の海水を採取する役目を担っているというのだ。ただし、名前は「みらい」だそうだ。この記事「春秋によると、

74年、太平洋上での初の出力試験で微量の放射線漏れを起こし、改修工事を終えて再び出力試験にこぎつけたのが事故から16年後の90年。その翌年に念願だった「原子力船」の認定を受けたが、92年には原子炉を停止し、あえなく廃船・・・。いまはディーゼルエンジンで動く船だとのこと。

とある。

戦艦「陸奥」といい、この「むつ」といい、まるで名前が呪われているのかようである。

この記事。少々引っ掛かるのが「微量の放射線漏れ事故」という表現。僕の幼き印象では、どうもそんな風には世の中はみていなかったと思うのだが・・・。自らの責任には目をふさぎ、他人の責任だけを糺すというのはマスコミの常套手段だからな・・・。

今日はこれまで。

2011年6月11日土曜日

文華堂

九段下で働いていた頃、よく通った本屋があった。神田にある古本屋でその名を「文華堂」という。

昨日(10日)の読売新聞夕刊で、浅田次郎もそこへよく通ったということを読んで、久々にそこを思い出し、その店の醸し出す一種独特な匂い(古本の匂いだろう)までも眼前に広がってきた。

その本屋、「戦記・戦史」と「軍事」専門の古本屋なのである。 おそらくそこで買った古本は100冊を優に超えると思う。今から15年くらい前には1週間のうち何度も足を運び、そのたびに何かしらの本を買っていたように思う。

いわゆる「戦記」「戦史」を買わなくなってから久しい。

集英社が「戦争×文学」という全20巻+別巻1という全集を刊行したらしい。僕にとっては非常に興味をそそられる全集である。

震災後、学者やら政治家やらジャーナリストやら文学者やらの文章が多く読売新聞に載せられた。そのすべてを読んだわけではないのだが、僕が心を動かされた文章は、文学者の著した文章のみだった。他の人たちの文章は僕に何の感想も残さなかった・・・。

「文学者」に対して、そんな思いを抱き始めて読み始めたのが、川端康成だった。GW前のことだ。それ以来、まだ川端にはまっている。

今日はこれまで。




2011年6月10日金曜日

何と空疎な言葉だろう

頑張ろう日本

この言葉を目にしない日はないといっていい。震災からもうすぐ3カ月が経過するのに、被災地では未だ瓦礫の撤去も進まず、避難所に暮らしている人が多くいる。「復興」とは程遠い現状である。肉親を失い、住む家も職も失い、将来のことなど微塵も考えられない多くの被災した人びとに、はたしてそんな言葉が通じるのだろうかと考えてしまう。

もはや「頑張ろう」などという言葉は非常に空疎なものと感じられてしまうのだ。

僕は、震災直後にこのブログで「頑張れ」とは書いた。でも「頑張ろう」とはとても書けなかった。そう書くことにある種の恥ずかしさを感じたからだ。

震災1週間後、「東北関東で大地震その7」http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/03/7.html
で「挽歌」を書いた。死者の魂と生者の哀しみを鎮めるためだ。

その翌日の「その8」http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/03/8.html
では「祈り」を書いた。僕らにできることは、それしかないだろうと思ったからだ。

そして、今もその思いは変わらない。だから「頑張ろう」という言葉は書けない。大体何を「頑張れ」というのだろうか。いや、「頑張ろう」というのだから「頑張れ」とも違う。そしてそこに「日本」という言葉が入るに及んでは、一体何のことかわからなくなる。

思いもかけぬ犯罪、不慮の事故にまき込まれて哀しみに暮れるひと、茫然自失のひとに向かって「頑張ろう」などという言葉は決して書けないのに、ある意味同じような境遇に置かれた被災地の人にむかって、なぜそんな言葉使いをするのだろう。

もう少し、文明人らしいというか、宗教的感情をもったような言葉を使えないのだろうか、とつくづく思う。

誤解なきよう言っておくが、僕は多くの企業が売り上げの数%を寄付したりする、そういう取り組みを否定、反対しているわけではない。そういう行動は素晴らしいと思うし、各個人がそういった取り組みに賛同するのも当然だとは思う。ただ、その善意というか、「私」を棄て「公」に報いようという価値ある取り組みが、そんな空疎な言葉で表現されるのがおかしいと思うだけだ。

僕はひねくれているのだろうか。

今日はこれまで。

2011年6月9日木曜日

ダイヤモンドオンラインの記事から

この国の政治はなぜかくも劣化したのか――
被災地無視の菅内閣不信任騒動で極まった
「選良」たちの厚顔無恥と議員内閣制の制度疲労

と題した記事をダイヤモンドオンラインで読んだ。 

http://diamond.jp/articles/-/12568

「なぜかくも劣化したのか」という問いには僕ならこう答えたい。それは日本人の質、ひいては社会のありようが劣化したからだと。

この記事を書いた人は、その政治家を選んだ有権者の問題を等閑視している。 劣化した社会だからこそ、劣化した政治しかなせないのだし、「厚顔無恥」な「選良」しか選べないのだ。極めて当然なことではないか。そこを問わずして今さら何を言おうが、そんなものは一切無意味だ。読者を失うのがこわいのか?現首相がいかに無能であるかをいちいち挙げつらったって、この著者の疑問は解けない。

この著者、最後にこんなことを書いている。

方法としては、大統領型に近い首相公選制、あるいは各党の代表を首相候補として選挙を戦う(与党首が変わる場合は選挙を行う)といった仕組みが考えられる。

もう、何をかいわんや・・・情けなくて悲しくなる。 というか、選ぶ側の責任を考えない以上、こういう結論になるのは目に見えている。アホか!

一昨年、政権交代した直後の目の虚ろな御仁の支持率の高さををお忘れか?あれは国民が望んだ結果が実現したからではないのか。僕には「異常」な高さとしか思えなかったが、それを手放しに喜んだ多くの国民がいて、その結果があの支持率になったのではないか。首相公選制?そんなものを導入したって、結末は同じことになる。制度ばかりいじくりまわすのはある種の「病」だ。

ところが、その結末はどうなった?もう書くのもおぞましい・・・。

民主主義なんてのは、要するに多数決で物事を決めるだけであって、そんなものは「価値」でもなんでもなく単なる手段だろう。 それは大多数の意見ならばおおよそ正しいと仮定するから成り立つ仕組みに他ならない。これまでに明らかになったことは、明瞭である。

 それは、大多数の意見は間違うことが多いということ。

今日はこれまで。 

2011年6月8日水曜日

PC絶不調

ここんとこ、PCの調子が悪くて困っています。どう不調かというと、使っていると突然休止状態になってしまう症状が頻発するのです。一度その事態に陥ると、何度か起動後すぐに休止となってしまい、その間全く作業ができなくなります。

かなり前からその症状はたまにあったのですが、最近は1日に数回はその症状に見舞われます。ホントに困る・・・。PCの買い換えを検討してます。

そういえば、以前この症状を製造元とか、Microsoftとかにメールして対処方法を尋ねた時、いくつかの解決策を提示され、最終的に改善がみられない場合には、初期化してくださいといわれた。まあ当然の処置なんだろうけど、初期化に多くの時間がかかり、その後にもどれほどの面倒な作業があるかを知っているくせに、簡単に初期化しろとかいわれてムッとした記憶がある。

PCの不具合はホントに困る・・・。

今日はこれまで。

2011年6月7日火曜日

人物相関図をみて

民主党の人物相関図で今さらながら驚いたことがあります。

岡田幹事長はただの一人も子分がいないこと。おいおい、仮にもかつては民主党の代表を務めた男だろ。一人も子分がいないとは一体どういうこっちゃ。

様々な記事をみても、彼は「原理主義者」「政策バカ」とかの単語だらけで、人望がまったくないことがわかります。そういう人間は政治家なんか志してはいけませんよ。確か、彼は通産官僚あがりでしょ。前例ばかりを気にする官僚が丁度いい器ですね。

上に頂く人間がどうしようもない人間だから、その陰に隠れてあまり目立ちませんが、かれは党の幹事長として、統一選の大敗北の責任はとらなくていいんですかね?今回の首相の退陣云々の問題でも彼の不手際は目にあまる。

岡田なる人の選挙区がどこかは知りませんが、もう二度と彼を議員にしないように・・・。あと、目の虚ろな、ペテン師のくせに他人をペテン師と罵る人の選挙区の皆さんにも、同様のお願いをします。

借りた側だけでなく、貸した側の責任も問われて当然なケースもあるのだから、選ばれた人間だけに責任をおしつけるだけでなく、選んだ人間の責任も問われてしかるべきだと思います。

今日はこれまで。


2011年6月6日月曜日

この国をどうする気ですか

本日の日経5面。論説委員長なる人がタイトルの言葉を冠して書いています。

民主党に票を入れた多くの人も、政権運営についてのごたごたはここまで酷いとは思わなかったとは思いますが、まあ甘言に弄されたのでしょう。記事には幹部クラスに組織運営の経験のないメンバーが多いことをその失敗の原因に挙げています。確かにそうなのかもしれません。大体、今の首相からして20代の意気盛んな時期に担いだのが市川房江という当時高齢の女性運動家ですからね。僕からすれば、「なんだかなぁ・・・」と思いますが。

この論説委員長、筆の終わりを以下の言葉で締めくくっています。管直人首相と前首相との3項目の覚書の最後にこう付け加えてくれと・・・。

この国を壊さないこと

今日はこれまで。

2011年6月5日日曜日

親の役割

梅雨の晴れ間というのでしょうか。昨日は久々に空は晴れ渡って気持ちのよい晴天でした。さわやかな日でしたね。

娘の運動会でした。

例年9月に行われていたのが、なんか「倒れる」児童が多いということで6月に持ってきたらしいです。昨日も日向はかなり暑かったですが、残暑とは異なり湿度が低かったので日陰にはいればひんやりと感じられました。子どもたちも9月の時よりは過ごしやすかったと思います。

子どもの学校行事は僕等の時代と比べてホントに大きく様変わりしました。運動会に大勢の父母が来るなんて、僕等の時代には一切なかったこと。それに「父親」なんて、どこの家でも学校の行事には来なかった。今はホントにすごいですね。かくいう僕も子どもの行事はほとんど観に行きますが・・・。

父親が家庭教育やら学校教育にかかわるようになって、少しは家庭やら学校は、そしてこどもは「よく」なったのだろうか?ちっとも変ってないと思うのだが・・・。

今日はこれまで。

2011年6月4日土曜日

底の浅さ

昔、僕は映画観賞をも趣味として憚らなかった。本数は大したことないが、ハリウッドの大作映画ではなく、どちらかといえば誰も知らないようなマイナーな映画を観ることを趣味としていた。だから僕は映画の話になると、一押しの映画として「グッドモーニング・バビロン」という映画を挙げる。これまでその映画を「あ~知ってる知ってる」と相槌を打ってくれた人は、自身が映画評論の文章を書いている人たった1人のみだった。

僕は日本映画はまず観ない。観ようという気すら起こらない。描かれているものがあまりにも皮相で、日本の社会の「浅さ」が透けてみえるような気がして悲しくなるからだ。僕はそれを「セント・オブ・ウーマン~夢の香り」という映画で思い知らされた。この映画は割と有名だと思うが、アル・パチーノ演じる盲目の退役軍人と、彼の世話をする大学生の物語。

僕はそれを観て、日本は絶対にこのような映画を作ることをできないと思った。「社会」の格が違いすぎ、それに相応する「文化」の層の厚さもアメリカと比べてでさえ日本は比較にならないと感じた。

多くの人は社会という枠の中から飛び出すことはできない。社会というより、「時代」という時間だろう。日本もかつてはこんなに薄っぺらい社会ではなかったからだ。


 三木武吉。

三木 武吉(みき ぶきち、1884年8月15日 - 1956年7月4日)は、日本政治家鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者。「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取った。
(出所:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E5%90%89


Wikiにも詳しく彼のエピソードが出ているが、僕は有名なエピソードだけを覚えていて、それが果たして誰のことだったかその名前を思い出せなかった。その名前をつきとめようと検索したワードは「妾3人 政治家」で、それに引っ掛かったのが彼であり、Wikiを読んでまさしくこの人だとわかった。詳しくは上記を参照してもらうとして、紹介したかったのは、僕がググった「妾3人」というエピソード。

彼は、日本独立回復後の初めての総選挙の立会演説会で、対立候補から「ある有力候補は妾を4人も抱えている。こんな破廉恥、不道徳な人間に政治家が務まるか!」と名指しはされないものの批判され、彼は自ら答えて曰く

「ある人が妾4人を囲っている有力候補がいると批判されていましたが、その有力候補というのは私であります。」と自ら公言し、次いで「正確を期すためにお話ししますと、4人ではなく5人です」と言い放ったのだ。そして今ではを年老いた妾を老馬にたとえ、

「役に立たなくなったからといって棄てるような不人情は私にはできません。だから今でもかこっております。

といい、会場から拍手喝采を浴びたのだ。

何と剛毅な人物だろう。そしてそれを受け入れた当時の社会にも関心してしまう。今の社会なら当然のごとくマスコミに叩かれ、当選することなどおぼつかないだろう。「女性蔑視」だとして、総スカンをくらうのは目に見えている。そんなことを目くじらたてて言う人間の世界と、「雪国」で描かれた世界では絶望したくなるほどの断絶がある。

おそらく、その断絶がこの国をかくも平板な薄っぺらいものに仕立て上げている。人間はそんなに偉いものでもないし、ましてや男女の愛情など徳義だけで割り切れるものではないことは皆分かっているはず。わかっていても口にせず、あたかも「知らない」「存在しない」とすることが社会の、大人の知恵でもあるのに・・・。まえに大相撲の八百長問題でもここで書いたことだ。

いつもマスコミは政治家を貶める。それが読者の意に添うことだとわかっているからだ。そして決まって「強力なリーダーシップが求められている」と主張するのだが、いざそれを発揮する政治家が出ようものなら、「民の声を聞け」とその足を引っ張る・・・。アホか。「今太閤」「庶民宰相」と、その誕生時にはさんざんにおだてあげた田中角栄を、その最後には「金権体質」とこき下ろしたのは一体誰だ?

幼児のような「いいか悪いか」という二項対立の世界観など、現実の社会では全く意味をなさないことは普通の大人なら当然わきまえていよう。それがなぜマスコミの風潮はそれを無視したようなことをまき散らすのか。そしてワイドショー番組でまじめぶってコメントする芸人。芸人ならたとえば「妾くらいもって何がわるい」くらいはいうべきだろう。なぜ急に良識ある風を装うのだろう?社会のコードをひっくり返して笑いをとるのが芸人だろうが。

何故、こんな薄っぺらい社会になってしまったのだろうか。


政治家の質は、とどのつまりその政治家を生む社会の質に他ならない。冒頭の映画の話と同様、日本の今の社会からは、歴史に名を成す名政治家など生まれっこない。「最低最悪の総理大臣」には多くの人が名を連ねるのだろうが・・・。

最後に書いておく。菅直人をうそつきペテン師と読んだ件の人も、りっぱな嘘つきでありペテン師であるということ。もっというなら、予算の組み替えだけでばらまき予算を確保できるといった民主党こそがその元締めである大ウソつきであるということ。

今日はこれまで。








2011年6月3日金曜日

茶番というのも憚られる

あっけなく何の面白味もないままに不信任案は否決されてしまいましたね。

昨日のお昼に管直人首相が

原発の処理と震災の復興が一区切りついたら辞任する

と述べ、それを大方の人間は「諒」としたらしいですね。でも、そもそも「お前が首相では原発も片付かず、震災の復興もできない」として、反旗を翻したのではなかったのでしょうか?ならば、彼の辞任の前提となる「一区切り」までという時間に反対しなければならんでしょ。その「時間」をともにすることができないということだったから・・・。

でもやはり「嘘」だったわけですね。もう「?」だらけです。意味がわからん。

ホントに菅直人というのはある意味すごい人間ですね。野党や与党の中からも大きな声が上がっていた国会の会期末延長を頑なに拒んでいたのは、サミット前ですよ。僅か1週間くらいのこと。それが、先日の国会では延長どころか、「通年国会」とまで言い切ってましたよ。開いた口が塞がらないとはまさにこのこと・・・。

こうして文章にするだけで気分が悪くなるわ。

でも、菅直人首相は、退陣とはいいつつもその時期を明確にしておらず、目の虚ろな人は「6月中と認識」し、岡田フランケン幹事長はそれを否定している。このそれぞれの言い分は、同日のことですからね。まだまだゴタゴタすることは必至。


今日はこれまで。

2011年6月2日木曜日

ショーとしては面白い

昨日(1日)、ついに内閣不信任決議案が提出され、本日中に採決されるんだとか・・・。

与党民主党からどの程度の造反者が出るのか非常に興味深い。報道によれば小沢系の議員はほぼ不信任案に賛成する模様らしい。その騒ぎの中で目の虚ろな御仁までしゃしゃり出てきて、不愉快極まりない。

確かに、今の総理は行き当たりばったりで、何のグランドデザインも示さず口当たりのいいことばかり撒き散らすとんでもない人間ですが、サミットで放言した「1000万戸に太陽光発電」も、帰国後「聞いていない」と不満を漏らした閣僚に陳謝したらしいですな。もうアホかと・・・。

でもですねぇ、仮に総理が変わったとして他に誰か適当な人間がいるのでしょうか?それに自民党も可決された場合、その後いかなる政権とするのかの明確なビジョンがないらしいし、一体どうするつもりなのか。中には小沢一郎らと連携すべきだとの声もあるらしいですが、もしそんなことになったら、自民党は終わりだな・・・。

あくまでも「ショー」としてなら面白いけど、この騒動を真剣に考えると非常に奥が深く、根源的な問題につき当らざるを得ない。それは現総理を支持し、彼に投票した人がいること、そして民主党に票を入れた多くの人の存在だ。彼らの責任は一体どうなるというのでしょう。首だけすげ変えても結局はまた同じことの繰り返しになるだけでしょう。選ばれた人間が能力がないと責められるのなら、その選んだ人間の責任はどうなるのか、物事の筋道から考えても一方の責任だけを問題とし、もう一方を不問に付すことはできないと思いますが、いかがでしょう。

もういい加減に民主主義などやめたらどうか、とでもいいたくなるような思いです。

明日、ここでどんな事を書くことになるのか・・・。

今日はこれまで。




2011年6月1日水曜日

功利主義


「伊豆の踊子」を初めて読んだ。

小学生の時三浦友一・山口百恵主演の同名映画を観に行ったことがあるが、よくわからなかった。湯船から上半身を出して手を振る百恵ちゃんのシーンだけを覚えているだけで、それ以外は何にも覚えていない。5月のGWから「雪国」を読み、そのまま川端康成にハマった延長である。

驚いたことに、それは僅か40ページ前後の短編小説であった。

川端康成の文体は、非常に美しい。ただ、それは太陽の下で輝く文体ではなく、どちらかといえば闇夜を照らす、ろうそくのか細い炎のような美しさである。そのか細さが、かつての僕はどうも好きではなかった。

「微熱のあるような文章」と彼の文体を表現したのは誰だったか・・・思い出す事ができない。もしかしたらそう表現したのも彼の文章ではなかったかもしれない。でも、少なくとも僕は、彼の文章に対してそう表現することに違和感はない。


「処世」。

おそらく、川端康成だの夏目漱石だの、純文学というものははその言葉とは正反対にある。読んで「ため」になるものではないし、流行りの「自己実現」に資するものでもない。ただ、よく考えてほしいのは、そう考えることが功利主義的であり、「功利主義」というのは「近代」というものが生んだ「病」の一つかもしれないということ・・・。

そして「近代」とは、「自然」の前にもろくも崩れ去るということ・・・。

今日はこれまで。