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2011年6月13日月曜日

日本国に明日はない

風塵抄(ふうじんしょう)。

司馬遼太郎が、産経新聞に毎月1回連載していたコラムの名前である。その名を冠した本も出ている。先日、何とはなしにそれをめくってみた。

タイトルの言葉が司馬の絶筆となった。平成8年2月12日とある。それは土地問題、いわゆる不良債権により経営が行き詰った住専を取り上げたものである。司馬は、土地を投機の対象とすることの愚を他でもかなり書いていると思う。よほど腹に据えかねたろうだろう。その文章は以下のように締めくくられる。

日本国の国土は、国民が拠って立ってきた地面なのである。その地面を投機の対象にして物狂いするなどは、経済であるよりも、倫理の課題であるに相違ない。ただ、歯噛みするほど口惜しいのは、
「日本国の地面は、精神の上において、公有という感情の上に立ったものだ」
という倫理書が、書物としてこの間、たれによってでも書かれなかったことである。
たとえば、マックス・ウェーバーが1905年に書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のような本が、土地論として日本の土地投機時代に書かれていたとすれば、いかに兇悍なひとたちもすこしは自省したにちがいなく、すくなくともそれが終息したいま、過去を検断するよすがになったにちがいない。
出所:風塵抄二(中央公論社)
 とあり、続けて次のようにいう。

住専の問題がおこっている。日本国にもはや明日がないようなこの事態に、せめて公的資金でそれを始末するのは当然のことである。その始末の痛みを通じて、土地を無用にさわることがいかに悪であったかを―思想書を持たぬままながら―国民の一人一人が感じねばならない。でなければ、日本国に明日はない。
 出所:同上

司馬の文章特有、決して悲憤慷慨調ではないのだが、静かな彼の怒りが伝わってくるようではないか。そういえば、この時には住専への公的資金投入額が6,850億円であったことに「ろうやにごー」とかいって公的資金投入を反対する人間がいた。まったくこういう人間と、この司馬の静かな怒り、深い哀しみとは言いようもない断絶があり、もっと悲しいのは、前者の方が声が大きいということだ。


司馬がここで書いたことは、実に面白い。明日もご紹介します。

今日はこれまで。


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