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2011年8月31日水曜日

何故事実をみないのか

先日、本を処分したことは書きました。

今日は処分できなかった本について書きます。

司馬遼太郎の小説は、また読むことがくるかも知れないのでほとんど残しました。同時に、彼のエッセイというのか、雑記みたいなものがまとめられた本も残しました。

日曜日は終日、それらを読みふけっていました。読むたびに本当に彼の該博な知識には舌を巻いてしまう。彼がドナルド・キーンと対談したものをまとめた本など、最高に面白い・・・。そして、ドナルド・キーンの知識と日本に対する愛情の深さに心打たれる・・・。


さて、巷間「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪過の汚名をうくること勿れ」という悪名高い「戦陣訓」は知っていると思います。要するに、それが軍人だけでなく民間人までをも拘束していて、沖縄をはじめとする孤島で、無用な命を散らすこととなったというのが、今の世の中の理解ですが・・・。

池上章とかがテレビでもこう言っているんですよね。一緒にでていたのは、おばかなコメンテータばかりなので、いちいちそれに納得してましたが、、彼はサイパン島の「バンザイクリフ」と名づけられた断崖から多くの民間人の婦女子が身を投げたのも、それが民間人をも拘束していたからだと・・・。

そんなのは嘘っぱちです!

僕がこういう言説は「嘘」だと確信したのは、山本七平の著作「ある異常体験者の体験」を読んでからだ。彼はその中で「戦陣訓など私の軍隊経験の中で見たことも聞いたこともない。ましてや初年兵教育に使われたことなど絶対にない」と断言していたからだ。

そして、その数年前に司馬遼太郎も確か同じことを言っていたのを思い出したからだ。

!!!!!

そして日曜日にとうとう、僕は司馬遼太郎のそのタネ本を見つけたというわけ。



この本はおそらく高校生の頃に買った本だと思う。司馬は、この中でこう書いている。


なるほど、そういうチャチな小冊子があったことを久しぶりで思い出した。しかしそういう陸軍大臣の名前による刊行物が、兵士たちのモラルや意識を拘束してついに横井氏のようなひとを出してしまったというほど重いものだったかどうかは、疑問である。(中略)


私は関東軍で教育を受け、そのあと現役兵のみの連隊に属してほんの一時期初年兵教育もさせられたが、「戦陣訓」というものが教材につかわれている現場を見たことがないのである。


「生きて虜囚の辱めを受けず」


というあの美文調の刊行物が、現実の軍隊社会でどれほどの影響力や拘束力をもっていたかということになると、そういう刊行物とは無関係に軍隊社会は存在していたと証言せざるを得ない。(中略)


戦陣訓」が発行されたときそれをニュースとしてやかましく書き立てたのはむしろ新聞であって、それを新聞紙上で読まされた民衆が兵隊としてとられるとき、ああ、ああいうものがあったな、という程度の影響として存在したものであろう。要するにマスコミのから騒ぎである。

戦後28年経ってグアム島の密林から横井庄一氏が現われ出てくるという異常な事件にぶつかったとき、この事件の理解にくるしんだあげく、「つまりは戦陣訓の重みである」というごく簡単な整理法による解釈に落ちつかせてしまおうとしているらしいのは、ずいぶん手前勝手な観がある。


そういえば、山本七平が戦陣訓に触れた文章を書いたのは、この横井さんより数年後のルパング島の小野田寛郎氏の出現によってであり、やはり新聞記者からコメントを求められた際の、記者の「やはり戦陣訓ですか・・・」という勝手な感想に反発してのことで、司馬と同様の思いだった。

池上彰にしても、その発言を許す新聞なりテレビなりは、この司馬や山本の発言を知らないのだろうか?それとも知っていて無視しているのだろうか・・・不思議でならない。

司馬が同じ本で書いている「轢き殺して行け」という言葉はよく他のところでも、旧日本軍の残虐性やらでたらめ振りを表すものとして引用されていることを思えば、おそらく都合の悪いことは無視しているに違いない。

まったく、マスコミというのはまさにゴミとしかいいようがない。少なくとも僕のブログを読むひとはホントにだまされないでほしいと思う。


ちなみに、「轢き殺して行け」というのは、司馬が自身の部隊(戦車連隊)が出動する際に、対向してくるであろう避難民の扱いをどうするかと上官に質問したときの回答である。

今日はこれまで。

2011年8月30日火曜日

昨日の代表選

昨日の代表選。

小沢一郎の神通力も薄まったと感じました。野田なる人への200を超す票は、そのまま「反小沢」の票で、彼の支配を苦々しく思っているのが党内の多数に及んでいることの現われでしょう。


何とも腹立たしいのは、目の虚ろな御仁。なぜ、彼はまだ発言する?彼は自身の責任を一切感じていないんだろう。呆れ返るしかない。さっさと引退しろといいたい。

海江田氏は、何の主義主張も持たない軽薄な人間。彼にはテレビのコメンテーターが一番似合う。

馬渕、鹿野の両名はまったくわからないので書きようがない。

野田氏は、財務省のいいなりと前に書いたが、彼は戦犯の名誉回復はすでになされているという立場を表明しているそうで、そこは少し見直した。問題は、総理就任後にも中・韓の言いがかりに屈することなく、自身の信念を貫けるかどうかだ。

「三度目の正直」か「二度あることは三度ある」か、そのどちらになるのだろうか?もし、後者ならこの国は滅ぶ・・・。

今日はこれまで。

2011年8月29日月曜日

秋の気配

今朝、久しぶりに早起きしてごみ出しにいきました。

昨日、またまた本の整理をして、200冊くらい処分しました。でもなぜかまだ本棚はすっきりしません。本棚以外のものを処分したからです。

で、今朝はすでに太陽はでていましたが、朝のにおいはもう夏のそれではなく、間違いなく秋のものでした。

日中はまだまだ暑いのでしょうけどね、早いものです。もう秋です。

今日はこれまで。

2011年8月28日日曜日

何だか言葉が出ない 2

昨日の続き。

「おこちゃま」みたいな政治家しかいないのは、民主党だけの問題ではなく、すべての政党にいえること。

ただ、ここで何度も書いているように、政治家もこの国の生み出した社会の縮図なのであってみれば、そんな政治家しか生み出すことのできない「社会」そのものが病巣ということになる。


昨日の読売新聞に昭和35年の岸内閣時の安保改定騒動の記事が出ていた。あの時は数十万人というデモ隊が国会周辺を多い、首相官邸をも取り巻いた。岸信介と佐藤栄作の兄弟は2人でそこに残り、

「殺されるのならここしかないじゃないか」

と言い合ってブランデーをかたむけていたという。


これだけの覚悟をもった政治家が半世紀前にはいたのに・・・。

そのあまりの断絶には言葉がでない。

今日はこれまで。

2011年8月27日土曜日

何だか言葉が出ない

新聞でも盛んに書かれていますが、民主党の代表選にあたって、各候補者の政策がわからん。果たしてどのような政策を持ち、どのようにそれを実現しようとしているのかがわからないまま、単に票獲得の数合わせに終始しているよう。

学級委員を決めるのではないのだから、告示から投票まで僅か数日というのはどう考えてもおかしいだろう。

とはいえ、候補者の顔ぶれをみればそろって、学級委員の器でしかないのかも知れないから仕方ないか・・・。

世間から人気の高い前原氏にしても、僕にはどうも「おこちゃま」に思える・・・。彼の出身である「松下政経塾」のカラーなのか、清濁併せ呑むという人間ではないな。小集団のトップなら務まるとはおもうが、一国を率いるのはまず無理だろうと思ってしまう。

そういえば、読売新聞だったかで菅直人を「権力を握ってしまった市民運動家」と書いていた。まさしくそうだと思った。

民主党の政治家は程度の差こそあれ、多くはそういうタイプだろうと思う。前にも書いたが市民運動家という言葉に、僕は嫌悪感を覚える。なぜならその裏には「左翼」が透けて見えるからで、彼らが叫ぶ「市民」は特定イデオロギーを隠すための隠れ蓑にすぎないからだ・・・。

そういう、声の大きなマイノリティーにこの国の政治を左右されたら、まちがいなくこの国は滅ぶ。
それとは逆の声の小さい、マジョリティーの中に守るべき「国民」の姿があると思っている。

今日はこれまで。

2011年8月26日金曜日

有権者の責任


しつこいようですが、鳩山・菅という最低最悪の総理大臣を戴いてしまった事実に対して、先の総選挙で「民主党」に投票した人は、等しく責任を感じて欲しいと思います。ホントにそう思います。

最近になってようやく彼らの「マニフェスト」の見直しが公然と語られるようになってきましたが、彼らは「これは国民との契約」だと言って憚らなかった。ならば、契約違反を先ずは謝罪し、その責任をとらなければならないはずだ。

「予算の組み替え」で財源はできると言っていたはず!

アホか!!

何度も言うが、鳩山・菅を選出した選挙民の方々に申し上げる。彼らを落選させることがあなた方の使命であり、良心の発露でもあります。重ねてお願い申し上げます。

今日はこれまで。

2011年8月25日木曜日

間に合わない

本日アップする予定の原稿を用意してあるにもかかわらず、接続できる環境になく、仕方がないのでそれを言い訳にした本日分のブログをアップしておきます。
今日はこれまで。

2011年8月24日水曜日

おかしな世の中だ・・・

代表選に出馬を決めた前原氏は、外務大臣という職を自身への外国人献金の責任をとって辞したはず。それも、中学生の頃から付き合いのあった焼肉屋の店主だとかで、金額も僅か数万円だったはず。これについては、僕は彼をとがめる気は全くしない。人情的にみて、いい話だと思う。

これについては、3月に書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/03/blog-post_07.html

ただ、これはもう水に流していいことなのか?という疑問があります。前原氏自身は、そう判断したのでしょうが、僕には何だか疑問符がつきます。大臣職を辞しただけで責任をとったことになるのかな?ちょっとわからん・・・

野党には攻撃材料になるでしょうが、こんなことで騒ぐのはやめてもらいたいと思う。現首相の政治団体が北朝鮮系の「市民団体」へ多額の政治献金をしていたのとは次元が異なる・・・。


そういえば、島田紳介が引退だとか。暴力団と親密な関係にあったことへの責任をとったそうですが、何とも不思議なのは、マスコミは暴力団に属する人の、彼らが大好きなところの「人権」は一体どう考えているのでしょうね?暴力団とかかわりをもっただけで、社会的な制裁を受けるのが当然というような風潮ですけどね。

どんな人であれ、恩義には報いなければならないのは当然のことだと僕は思います。島田紳介もそう思ったのでしょう。それは極めて当然のことだと思います。


闇のない社会などこの世に存在するわけないのに、その闇を明るみにだしたら、闇は移るだけ。酸いも甘いも、クリーンもダーティーも共存するのがこの世の中のはずなんだけどな。


ただ、僕は彼の引退はそれだけが原因ではないような気がする。会見では明らかにしてない文字通り「闇」の部分があったのではと勘ぐってしまう。

まあ、別にどうでもいいことだけど。

今日はこれまで。

2011年8月23日火曜日

未来

政治の混乱など僕らの日常に何のかかわりもなく、何か別の次元での話しのようにも感じられる。

「歴史的」と形容詞がつけられた民主党への政権交代であるが、何のことはない。彼らは一体何をした?

でも、僕らの暮らしが変わったかといえば何も変わらず、ただ日常の仕事なり、勉強なり、子育てなり、家事なりをこなしていただけ。その暮らしぶり、生き方がこの国をかたちづくる。

そう考えれば、政治なんぞに熱狂するのは、ある意味暇人のみが行いうることだろう・・・。


しかしながら、おそらく政治は将来を語るものなのだ。自分たちの子供、これから生れてくるであ
ろう子供たちへ、今のこの国をひきつぐことを目標にすべきでないか。


どんな国をつくりたいか。

このビジョンなくして政治家なんぞ務まるわけがない。

そうして、今の自分もその子供たちも、この国の過去から流れ来るものであることを考えれば、必然的に、僕らの父祖やそのまた父祖たちのことへも思いを致さなければならない。

簡単な言葉を使えば歴史と伝統を離れたところに、国の未来なぞないのだ・・・。

民主党の代表選が来週らしいですがね・・・。

今日はこれまで。

2011年8月22日月曜日

年月

「としつき」と読んでもらいたい。

24時間テレビで、ランナーの徳光さんを激励するためにスターター役となって現れたミスターこと長嶋茂雄。僕の世代はおそらく彼の現役を知る最後の世代。彼があの名セリフを残して引退したのは、僕が小学校5年生の頃だったと思う。

だから、僕の中では彼は背番号90をつけた長嶋監督だ。

いつだったかの巨人と西武の日本シリーズ。

巨人軍は、九段下のグランドパレスに宿泊し、そこから東京ドームへ出かけていたことがある。ホテルの玄関前には選手を乗せたバスが並び、そのバスの最後尾に彼は座っていた。

思わず、無意識に僕は手を振った。そして彼は僕を見て手を振り返してくれた。

彼にはオーラがあった。

不自由な右半身を引きずりながら歩く彼の姿は、往時を知るものにとってかなしい・・・。もちろん、元気になってまた僕らの前に姿を見せてくれるのはうれしい。しかし、もうすっかりおじいちゃんになってしまった。

考えると、この僕もそれだけ年をとったのだが、それを知るのは他人を鏡としてみた場合のみ。
いつまでも自分だけは若いつもりでいるのだが、それが錯覚だと思い知らされる・・・。

今日はこれまで。

2011年8月21日日曜日

寒い・・・

金曜日から続く雨模様の天気・・・。

潤いを与えてくれる久々の雨はまさに慈雨であるが、この寒さは一体何?
まったくおかしな天気です。

「おかしな」といえば、民主党の代表戦に立候補しようとしている人たちも、国政の政治家とは思えませんね。誰一人として国家の安全保障の観点からの発言がない。ここでいう安全保障はエネルギー政策も含まれますが、エネルギー政策というものが国家の安全保障に含まれる分野であるという認識が欠如しているとしか思えない・・・。

「市民目線」だとか、「国民の声」だとか、そういう「空語」はいい加減やめたらどうか・・・。


今日はこれまで。

2011年8月20日土曜日

僕が無知だからか・・・

円が市場最高値を更新したらしいですね。75円95銭だとか。

アメリカの失速により、いっせいにドル売り円買いが続いた結果だとか・・・。

僕は疑問に思います。これが僕の無知なせいかどうかはわかりません。

日本の財政収支の「ヤバイ」状況は、新聞がこぞって書き立てますね。先進諸国の中で最悪で、GDPの何倍も借金がある計算になるとか・・・。

そういう状況で「ヤバイ」が現実化したのがギリシャだったわけでしょうが、日本の場合新聞が書きたてるようにそんな「ヤバイ」国であるにもかかわらず、なぜ「円」が買われるのでしょう?

単純に、日本の新聞や政治家や財務省がいうがごとく日本は「ヤバイ」状況ではないからだろう、だから海外の投資家は「円」を買うのではないか?ならば、海外からみた日本の姿(経済の実情)はいかなるものなのだろう?

という疑問です。う~ん・・・

今日はこれまで。




2011年8月19日金曜日

悲しいこと 悲しいこと


PCからの投稿ようやく復活しました。



つくづく思います。

目の虚ろな前総理・・・。彼は現総理とともに、どうも僕らの意識構造の外にいるようですね。彼は、沖縄の基地問題をぐっちゃぐっちゃにした張本人であるにもかかわらず、そのことの責任、いや呵責を感じているのでしょうか?

なぜに、今でも何の臆面もなく僕らの眼前にでてくるのでしょう?

厚顔無恥という言葉ですら彼を罵倒するには弱いですね。何と言ったらいいのでしょう。

そういえば、彼を「ルーピー」と書いたワシントンポストの記者氏がいましたが、その言葉はアメリカ人1000人のうち、僅か1人か2人が知っているくらいの悪い言葉らしい。僕らが使う「アホ」とか「バカ」とかいう次元の言葉では。ないようですよ。

「恥を知れ」

と言われて自らの行いを正すのが日本人であったはずですし、「潔さ」を出処進退の則としていた日本人でもあったはずです。

この2代続けての壊れた「日本人」・・・。そういえば属している政党は、「外国人参政権の付与」にえらくご執心でしたが、壊れた者の言うことだと考えればむべなるかな・・・。

悲しい。

今日はこれまで。

2011年8月18日木曜日

またも投稿トラブル

PCから投稿できん。携帯から投稿の途切れることを防ごうと目論んでますが、どうかな?昨日の夕方、赤トンボを見ました。秋の訪れか?

あれだけなついていたカナヘビが死亡してしまいました。ショックです。

外においてある植木鉢にトカゲが住み着いているようなので今度はそれを捕まえてやろうと思ってます。ただフォルムはカナヘビの方がカッコいいと思うな…。

今日はこれまで。
Ryo

2011年8月17日水曜日

これを知るを知ると為し・・・

ブックオフで、現代日本文学大系「小林秀雄」と「亀井勝一郎、林房雄、蓮田善明、保田興重郎」をそれぞれ200円で買った。かなりお買い得!とはいえ、今も読みかけの本が数冊あるので、またまた読みかけが増えるわけだが・・・。

最近、デザイン系の本にはまっている。主に配色にかかわるもの。自分で自覚しているのは、洋服の色使いはできるけど、それいがの配色センスはほぼないということ・・・。今は補色だとか、彩度・明度の勉強中でなかなか面白い・・・。絶妙なバランスとはまさに色使いのことをいうのかも知れない。

まだまだ学ぶことは多いなと思う今日この頃。学ぶ広さも深さも、その両方の意味でね。

これを知るを知ると為し、
知らざることを知らずと為せ。
是れ知るなり。


今日はこれまで。




2011年8月16日火曜日

百日紅

ひゃくじっこう

と読みますが、巷間「さるすべり」の名で知られる植物です。

我が家の近くにはいたるところで今盛りです。これは漢字が表すとおり、百日くらいの長い間花を咲かせています。毎年、いつ咲いて、いつ終わるのかを記録しようと思うのですが、いつも忘れます。

なので、本当のところはどの程度咲いているのかわかりませんが、とにかく長い間、花を咲かせています。

幹はつるつるとして、サルもすべりそうということで、さるすべりと名づけられたらしいですが、実物をみればさもありなんと思います。

ここのところの暑さでも元気ですよ、それは・・・。人もそうありたいと思いますね。そして花の咲くのもずっと続けばいいと。

今日はこれまで。



2011年8月15日月曜日

66回目の終戦記念日を思う その7

ちょうど66年前の朝日新聞の社説にはこうある。

被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家の再建を目指した大東亜宣言の真髄も、また我国軍独自の特攻隊精神の発揮も、ともに大東亜戦争の経過中における栄誉ある収穫といふべきであり、これらの精神こそは大戦の結末の如何にかかはらず、双つながら、永遠に特筆せらるべき我が国民性の美果としなければならない。


日本の新聞の論調が、「あれは恥ずべき戦争」とその意見を変えるのは、その約1ヵ月後、GHQの検閲が本格的に始められてからである。このあたりの経緯は江藤淳の「忘れたこと忘れさせられたこと」に詳しい。

さて、僕はこの社説のどこか間違っているのかを探すことはできない。戦争には必ず大義があり、その実現において、それとは裏腹のことが行われていたとしても、その大義自身までも否定することはないとも思う。

非常に簡単なこと。ヒトラーの戦争に「アジア」は関係ないが、僕らの戦争に「西欧」はいた。「西欧のアジア」から「西欧の」という言葉をとるための戦争だったと大まかにはいえる。


考へてみれば、あの戦争で、日本人の大部分はつひに”敵”といふ意識を抱かなかったのではなないか。自分らが戦ってゐる相手は”敵”ではなく、何か打ち克ちがたい巨大な自然であるかのやうな潜在意識に動かされてゐたのではないか。孤島に最後の一兵まで戦って玉砕した兵士も、捨身必死の特攻隊の壮烈な行為も、敵を打ち砕く意図によるよりも、運命への従順な屈従のままに、ひたすら死ぬことを願った自殺行為であったのではないか。


文芸評論家桶谷秀昭は「昭和精神史」の中でこう書く。あの戦争に向き合った日本人をこれ以上に的確に表現したものを僕はしらない。




「戦後」はいつになったら終わるのか。

この国が、僕らの父祖の戦った「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの言いなりどおりに言い換え、天皇陛下がこの日に靖国神社へ行くこともできずにいる限りは、「戦後」は永遠に続くと僕は思っている。

今日はこれまで。



2011年8月14日日曜日

66回目の終戦記念日を思う その6

なんともいいようがない。

本日の読売新聞の文化欄に評者として朝吹真理子という今年の芥川賞作家の筆になる文章があった。1984年生まれということなので、僕より20才も下の女性・・・。

「コレクション戦争×文学19 ヒロシマ・ナガサキ」の書評であり、「『核』の惨禍すべて現在形」と見出しがつけられていた。

読後感は最悪。何の価値もない。

彼女は、ヒロシマ・ナガサキの惨禍と今回の原発事故を見事に混同し、こんなことをその終わりに書いている。

人類に自滅を選ばない意志があるのであれば、もうこれ以上、原子力エネルギーを使い続けるべきではない。この最悪の事故を契機に、原子力開発は永遠に終わってほしい。全54基が止まり、二度と稼動しないことを強く望む。
単なる一作家の意見なので、別にどうということもないのだが、彼女にぜひとも聞いてみたいのは、彼女が2歳のときに起こったチェルノブイリ原発の事故について・・・。長じて勉強する機会はあったと思うのだが、その時に同様な意見を持たなかったのか?「原子力」というものの危険性を強調するのならば、旧ソ連で起こった事故を知った時点で同様の感慨を持たねばおかしい。


あれは他人事。今度は自国の事。そう考えたのならわかる。だが、彼女の文章からは人類を勝手に代表したかのような傲慢さはあるが、そのエゴについての後ろめたさはまったくない。

なぜなら、彼女がいう、自身の過去4回にわたる原爆資料館への訪問によって得られたものが表層的で、「3.11」以後に初めて現在系であることを知ったということは、旧ソ連でのそれに何の感慨も持たなかったことを表しているからだ。

言っておくが、僕はそのエゴを責め立てるつもりはない。神様でもない限り、当然の持ちえる感情だからだ。「人命尊重」とはいいつつも、赤の他人の命が損なわれるより、自らの飼い犬の死の方が悲しいのが自然な感情だ・・・。でも誰もそれを口にしない。

作家のくせに、そんな薄っぺらいヒューマニズムから抜けきれないのか?

冒頭のこの文章も噴飯ものだ。

放射性物質であるプルトニム239の半減期が2万4000年であると知っても実感がわかなかった。把握できる時間を超えていると思った。人間の時間感覚と大きくずれたそれらの物質をつくりだしてみたいと思う科学者の興奮や欲望を、私は完全に否定することはできないのだが、ただ、それを手にしたら人間が何を起こすか、という人間の心への想像力さえ働いていれば、実際に使おうとは到底思えなかっただろうと信じている。

プルトニウムという元素を「つくりだし」たと書いている彼女の間違いは責めない。あまりにも表層的な「人間」というもの、「社会」というものの把握についてが噴飯ものなのだ。

想像できない、把握できないほどのものに満ち溢れているのが、この社会である。放射能の半減期を持ち出すまでもなく、彼女は最低限10兆円が必要と言われる震災復興費用が「想像」できているのかどうか。1日に100万円、365日使い続けてもそれは僅かに3.65億円にしかならず、100年使い続けてようやく365億円になるに過ぎない。僕なんかこれだけで想像をはるかに超える。1万年使い続けて、やっと3.65兆円になるだけ。想像できないほどに巨額なのかが、わかればいいのだ。

想像できないことだらけなのがこの社会でしょ・・・。


言うまでもなく、「3.11」による原発の事故原因は「天災」にある。もちろん、計画段階から事故後の処理にあたっての「人災」的側面は否定できないにしても、それは原因の「主」ではない。しかるに「ヒロシマ・ナガサキ」は「天災」ではないのだ。あれは戦争被害である。それも、明白な戦争犯罪行為の被害なのである。なぜそれらを混同するのか?

戦争までをもあたかも「天災」として、その運命を享受するような日本人の心性を僕は理解できるが、それはあくまでも実際の被害に遭われた人々がそう感じるのならという条件付きで、部外者がそんなことを言うのは非礼であろう。でも、国をあげてそう仕向けているとしか思えない。

原爆ドームを世界遺産に申請したとき、アメリカは猛反対した。当然である。自国の戦争犯罪が世界遺産になるなど、到底承服できるものではないからだ。日本への対抗措置もとった。従軍慰安婦にかかわった旧軍人の入国を禁じるというわけのわからないもの・・・。その人名は公表せずじまいだった。アメリカのその反応は、大方の日本人にとっては理解できなかったに違いない。日本人は原爆の問題を人類の問題としてすり替えているからだ。



彼女は日本だけの原発稼動が停止すればいいとして、他国の言及はしていない。「人類」として云々といいながらも、このエゴイズムにも目をつむる・・・。しかし、「人類」という言葉は空語である。そんなものの実体も具体性もない。そんな言葉を、その専門家たる作家が使ってどうする、という寂しい感情から僕は離れることができない。

言葉使いに関するあまりにも悲しい惨状・・・。

今日はこれまで。


2011年8月13日土曜日

66回目の終戦記念日を思う その5

昭和20年8月15日の敗戦を機に、陸海軍関係者の自決が相次いだ。夫妻で自刃した杉山元陸軍元帥や、陸軍大臣だった阿南維親、特攻隊産みの親と言われる海軍の大西瀧次郎中将など・・・。 その数は500名を超える。

しかしながら、酷な言い方をすれば、それはただ敗戦の責を追った自決であり、多くの部下将兵を死なせたことへの責任感の現われに過ぎないともいえる。

世上知る人は少ないが、あの敗戦で少なくない数の民間人が自決をしている。彼らはなぜ自ら「死」を選び取ったのか?

何かを回避するためではなく、純然たる信条体系の挫折のために、もしくは、自殺のうちに何らかの積極的意味を見出したがために、自刃した人々・・・

橋川文三は、こうした人々の自決を問題として、それを「敗戦と自刃」という書物に著している。


敗戦を契機として、大日本帝国という政体が崩壊しただけでなく、「神国日本」という体系までもが
崩壊した。

それは、神の世界から人間の世界に降り給うことを宣言した天皇の「人間宣言」ではなく、自らその天上の世界に上ったそれら市井の民間人の自決にこそ象徴されているのではないだろうか?


今日はこれまで。

2011年8月12日金曜日

まだまだ安心できない

というのは、居座り続けた総理大臣のこと。

ようやく、「退陣」を口にしたようですがホントに辞めるまでは信用ならん。前総理と並んで、日本の憲政史上最低最悪の総理という称号は間違いのないことでしょうね。

民主党は代表戦に向けて慌しい様子らしいですが、下馬評の高い野田とか言う現財務大臣。僕は詳しくは知りませんが、どうも財務省の言いなりになるばかりで、同省のスポークスマンかと思ってしまいます。あ~いう人が総理でもいいのでしょうかね?まあ、他の面子をみても皆、学級委員みたいな素人だらけで、どうにも素人臭さがするのはなぜなんでしょう・・・。民主党の体質なのでしょうか?

対抗する最大野党の自民党にしても、これという人はいませんね。人材の払底は由々しき事態だと思います。

さて、かろうじて日本が実行支配する尖閣諸島への中国の武力行動には、断固として自衛権発動を行うと、柄にもなく大胆な発言をした枝野官房長官。

極めて当たり前のことを言ったに過ぎないのですが、その当たり前のことを実行するのが困難なのが、戦後のこの国のことなので、果たしてどのていどの裏づけを持っての発言なのかが大いに気にかかるところです。

おそらく、防衛省は極秘のシナリオを持っていて、そのための部隊動員計画もしっかり持っているとは思いますが、いざそれを実行しようとすれば様々な法律上の制約にぶつかり、最終的には超法規的活動という事態にならざるを得ず、そこで求められるのは政治家の判断ですが、それが果たしてできるのか否か・・・。今の思いつきだけで物を言う人には無理かと思いますが、民主党の代表候補を騒がれる人は、または自民党の面々はどうでしょう?

とつらつら考えると、あまり気持ちは晴れませんね。

昨日11日は震災からちょうど5ヶ月。
5月前の朝に戻ってほしい。そしたらみんなが生きていたから。
とは、インタビューに答えていた女性の言葉。

その胸中を思うと胸が締め付けられます。

今日はこれまで。


2011年8月11日木曜日

66回目の終戦記念日を思う その4

広島つながりです・・・。

広島は町のいたるところに「平和」という言葉が散りばめられている。「平和大通り」「平和祈念公園」・・・。まるで「平和」という単なる状態が価値になったかのようである。

以前にもここで書いたが、平和祈念公園の碑に刻まれた

安からに眠ってください。
あやまちは決して繰り返しませんから

という言葉・・・。落とされた日本人がなぜ「あやまち」というのだろう?おそらく、あの言葉を支持するひとは、「戦争」いやもっといえば日本の近代の歩みすらもそうくくりたいのではないかしら?


あほですな・・・。過去を「あやまち」などという耳障りのいい言葉でくくるのは、傲慢以外のなにものでもない。ただ今を生きているだけの人間が、過去をどんな資格で「あやまち」などという言葉で断罪できるとおもっているのか?

おそらく、戦後のこの国の人々の心象は、あの碑に刻まれた精神によって過去を見下し、現実との齟齬を糊塗してきた。そして今もその迷妄から離れられないでいる。どうもそんな気がします。

今日はこれまで。

2011年8月10日水曜日

混同も甚だしい・・・

6日広島。

原爆犠牲者の慰霊祭で「原発に依存しない社会の実現」ということが言われ、マスコミの報道もそれに何の違和感もなくただ、垂れ流しています。

あまり書きたくもなかったのだが、9日の長崎でも同じようなことが言われ、何でも福島の原発の避難民である中学生が式典に招待されたのだとかいうことを聞き及び、何としても一言言わずにはいられません。

はっきりいって、原子爆弾という戦争の被害者と、今回の震災の原発事故による非難者では何もかもが異なります。ただ共通しているのは「原子力」という未だ人間が御しがたいのかもしれない技術だということのみ。しかしながら、その共通点だけをことさら強調するのは、例えば交通事故死の被害にあった家族が、F1の開会式とかで「車は走る凶器だ」と非難するのと同じ・・・。全く馬鹿げているでしょ。でも、原爆犠牲者の慰霊の場で、原発云々を言うのは同じくらい馬鹿げていることだとは誰も思わないらしい。

もう少し、きちんと物事を仕分けして考えたらいいよ。

原爆慰霊祭の式典が、各国からの代表も臨席する特別なものになっているのは、原爆という兵器の、あまりにも多くの命を一瞬にして奪ってしまうことの残虐性、さらには今になお残る後遺症という放射能というものの被害の時間軸の長さに、人類としてその兵器の存在自体に向かいあう必要があると思われているからでしょ。

そこになぜ原発の問題を持ち出すのか?全く意味がわからない・・・。


僕が間違ってる?


今日はこれまで。

2011年8月9日火曜日

子供の頃から

僕は文房具が好きだった。

今ももちろん大好きで、使っているペンやら、消しゴムやら、メモ帳やら・・・僕のこだわりは栗山さんがよく知っていると思う。

で、最近のヒットはこれ。僕はA5番の方眼タイプを使っているが、何と950円もする!でも、かなりの厚さだし、何と言っても鉛筆でもボールペンでも万年筆でも、紙の上を滑るようにペン先が動く、その紙の質に惚れたのだ。

メモ帳代わりのわけだが、メモ帳なんかどうでもいいと思っている人にはわからないだろうけど、特に万年筆を走らせているときは僕は快感さえ覚えてしまう・・・。

今は、ノートカバーの選択肢も増え、いろんなものが選べるから、その中からひとつを選び、カバーをかけて持ち歩いてほしい。

A5サイズにこだわっているのは、机の上でPCと違和感なく同居できて使えるから。これより大きいと、PCと一緒に使うにはちょっと厳しい。

そうえいば、RHODIAのメモ帳が世を席捲しているけど、それとは比べられないほどの品質の高さです。日本製で、ナショナリズムにも対応してます。

今日はこれまで。


2011年8月8日月曜日

66回目の終戦記念日を思う その3

昭和20年の今頃、というより沖縄が陥落した6月以降というのは、日本軍は大規模な戦闘を行う力もなく、ただ敵の圧迫をしのぐだけということが軍の任務であったと思います。もはや断末魔・・・。

それでも、陸海軍の特攻部隊は散発的に出撃していました。一度の攻撃が3~4機のみとかね、そんなもんです。何の戦果を期待するでもなく、惰性で続けられていただけかも知れません。

太平洋の沿岸部では、来るべき米軍の上陸に備えて築城工事が進められていたはずです。そして本来なら「兵士不適格」とされた人までも駆り出され、頭数だけは揃えたものの全員に行き渡る銃もなく、そんな、およそ近代の軍の姿ではない日本軍が、「一億総特攻」を叫んでいた・・・。

我が家の前の家、そこのご主人の従兄弟は確か8月15日に特攻、戦死したと聞きました。それも、本来の搭乗割りは16日以降だったらしいのが、15日に出撃するはずだった人が急性盲腸にかかり、その替わりに出撃したらしいのです。

その巡り会わせにはなんとも言葉がありません。運、不運という言葉では憚られるような気がします。


そんな、効し難い大きな力で翻弄された圧倒的多数の人々が今のこの国の有様をどうみるか・・・

僕はそんなことを考えてます。

今日はこれまで。

2011年8月7日日曜日

危機?

最近天候が不順だと思う。

35度を超えるような猛暑は勘弁してほしいが、かといって青空も太陽も見えないのはやはり寂しい。
果実や野菜の生育も気になるところだし。

片付けなければならない仕事が進まずに少々いらいらしているので、集中して読書をすることもなくなっている。新聞を開けば未だ居座り続ける人の動向やら、急激な円高への危機感、テレビから撤退を決めた日立のことまでも、何一つ明るい話題はなくかえって読む人を不快にさせるようなもので埋め尽くされている。

それにしても不思議なのは、円高の危機感だけが騒がれて、その恩恵についてはあまり語られないこと。例えば発電のために輸入が増えている天然ガスやら石油やらは、円高になって助かるはずだが、それよりも、日本の製造業の危機だけが煽られているような気がするのは僕だけか?

今日はこれまで。

2011年8月6日土曜日

これでいいのだ

2,3日前の日経「春秋」に赤塚富士夫のことが取り上げられていました。あのいつも酔っ払っていたような彼の人間の奥底にある悲しみみたいなものを初めて知り、そして考えました。

バカボンのパパの口癖

これでいいのだ

という言葉の裏には、その彼の人生から学び取られた深いものがこめられていたと・・・。女子サッカーワールドカップで負けた米国の人々は「It's a LIFE」と納得させるしかなかったのではと書きましたが、この「パパ」の口癖には、人生の不合理も不条理も、悲しみも喜びも、およそ人生で起こりうるすべてのことを突き放すでもなく、あきらめるでもなく、深く受け止めるといったような、深い意味があるように思えます。


おそらく、「出家とその弟子」の中で親鸞が弟子の唯円に向かっていった

そこに祈りがあるのだ

ということと、その根っこは一緒でしょう。親鸞の説く「他力本願」という言葉は、世の中に非常に間違った使われ方が流通していますが、「他力」というのは他人の力のことではなく、「阿弥陀」そのもののことで、要するに下界の人間何ぞに自力で救われる力などないのだということです。まず、自らの身に降りかかる一切のものを、受け止めること。そして祈ること。それでしか救われることはないのだと説いたのだと思います。

「パパ」は「祈り」こそ口にしませんでしたが、その前段階の「受け入れ」をあの口癖で表したのでしょうね。

と、そんなことを考えました。

巷ではフランス人女性シンガーの歌うアニメソングが流行っているようで、彼女の歌うバカボンの歌はいいですね。

今日はこれまで。


2011年8月5日金曜日

不幸

事故車両を埋めてしまう国・・・。

日本の国会議員を入国拒否する国・・・。

まこともって、この国は隣人に恵まれない。

外交に相互主義という言葉があります。文字通り「相互」という関係性が大切だということ。それならば、韓国にも同じ扱いをするのが礼儀というもの。

韓流ドラマも、韓国アイドルもすべて日本から締め出してしまうのも手だ。大体、なぜおばさん連中は韓国の男性アイドルに夢中になるのか・・・。今はチャン・グンソクとかいう人間の人気が沸騰中らしい。

「大人気ない」「感情的」という言葉をつけられることにあまりにも神経質になりすぎ、本来は譲れないことまでも譲ってしまっているのが、今のこの国の姿勢でしょうね。

国会議員が入国拒否など、友好関係にあると表明している国家間では考えられないことじゃないのか・・・。

領海の侵犯すら毅然とした対応ができないこの国のことなので、国の面子というものは関係ないと思っているのでしょうか。

右を向いても左を向いても、情けなくなることばかりだ。

今日はこれまで。

2011年8月4日木曜日

66回目の終戦記念日を思う その2

Yahooからいける「昭和TV」とかいうもので、「男たちの大和」が無料で見られるようです。前にWOWOWでやっていたのを途中から観ただけですので、最初から観てみようとも思っています。

戦闘シーンはショボかったですね。それが印象に残っています。


「もう海軍に船はないのか?」

この大和の特攻作戦は、昭和天皇のこの一言から立案されたのかも知れません。沖縄への特攻作戦は、陸海軍ともに航空機が主であったための素朴な疑問でしょう・・・。ちなみに、「義烈空挺隊」という陸軍の信じられない特攻部隊がありましたが、これは沖縄の敵飛行場へ強硬着陸して、敵に損害を与えようというもの。殴りこみですね。数十機飛ばして、強行着陸したのは僅か数機だったと思いますが、もちろん直ぐに撃退、日本の兵士はすべて戦死です。


「一億特攻の魁となってくれ」

この台詞がこの無謀で成功の見込みのない作戦に最後まで反対していた大和が所属する艦隊の司令長官を、ついにうなづかせる決め手でした。要するに成功しようがしまいが、それは二の次なのですね。

大和がなぜ沖縄へ向かったかというと、沖縄周辺を埋め尽くす連合軍艦隊と刺し違えるためです。確かに、そこまでいければ何がしかの戦果は期待できたかもしれませんが、絶対にそこまでたどり着けないことは皆分かっていました。だから、そんな作戦など成功するはずがない。しかし、それでも大和は多くの「男たち」を道連れにして出撃しなければならかったのです。この言葉によって・・・。

さて、その映画。

ユーザーレビューを見るとなかなか興味深いですね。「反省が足りない」とかいう意見も少数ですがありましたよ。「戦争を美化している」とかね・・・。

利口なやつはたんと反省するがいい。私は馬鹿だから反省などしない。

今日はこれまで。


2011年8月3日水曜日

歴史は鏡(昨日の続き)

昨日、言いたかったことは小林秀雄はこんな風に語っています。ちょっと長いけど実に味わい深い言葉なのでご紹介したい。



歴史教育の方法というものが今日やかましい問題になっているようだが、ぼくは、根本のところでは、これはじつに当たり前な、変わらないものでなければならぬと考えているのです。歴史は鏡だという考えで十分だと思うのです。鏡というのは、ただお手本という意味ではないのですね。こうやって生きているということがどういうことであるか、ということをつらつら考えてみることは難しい、現在に生きているだけでは、その意味合いをつかむことは難しい。だから歴史という鏡がいる。そういう意味があるのでしょう。鏡には歴史の限界なぞが映るのでない。人の一生が映るのです。生れて苦しんで死んだ人の一生という、ある完結した実体が移るのです。それを見て、こうやっていま生きていて、やがて死ぬという妙なまわり合わせが得心できる。それが、鏡という意味でしょう。そこに歴史学というものの目的があるんだろうと思うんだよ。だからぼくが歴史学を科学として認めないという理由はそこにあるんだよ。それを今の歴史教育というものがいちばん忘れている根本だと思うんだな。歴史を科学的に極めていけば形而上学的問題に触れる。その触れざるを得ないというところが大事なんだと思う。過去の清算という現代思想のうちに歴史家は巻きこまれているが、歴史家はそういう不自然な態度をとることが、どうしても難しくなってくると思います。歴史は清算を要するものではない、生き返らす必要のあるものだ。過去を否定したり、侮蔑したりして、歴史をやろうということが無理な話だ。ふつうに過去を思い出すという経験は、過去が統一された、全体として思い浮かぶという経験でしょう。過去から取捨選択するから、過去は有効に生き返るのでない。あったがままが思い出されれば、それは生き返るのです。人為的な技巧を捨ててみるからこそ、生き返ってくるのです。それが本当の実証主義でしょう。現代の歴史家の実証主義は、不徹底で、びくびくしたものだ。なぜびくびくしてるんだろう。将来の文化のために?私にはわからない。


これは、以前触れた田中美知太郎との対談(1960年)からです。

今日はこれまで。

出所:「プラトンに学ぶー田中美知太郎対話集」

2011年8月2日火曜日

66回目の終戦記念日を思う その1




歴史は学ぶものだろうか?

巷間、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というビスマルクの言葉が知られているが、最近はその言葉にも違和感が出てきている。歴史を教訓としてそこから学ぶということは、それを教訓として認知できる後世の人間だからこそなしえることで、いわゆる「高み」に立った立場からは逃れられない。それでは、その時代に苦悩呻吟し、その末に下したかもしれないぎりぎりの決断のその本当の意味を知ったことにはならない。

例えば、この国の大東亜戦争への歩みを「軍国主義」とか「帝国主義」とか断罪することは易しい。だが、それ以外に他にどのような選択肢があったというのだろうか。そこへ思いを致さないということは、人を裁く裁判官ですらなさないこと。裁判官でさえその動機は斟酌するだろう。なのに、それすらなさないということは、自分が「神」にでもなったつもりか?それほどの傲慢さがあると僕は思っている。

後付で考えるのは簡単だ。しかし、それでは本当の歴史への親しみとはならない。小林秀雄は「歴史は鏡である」といった。至言である。鏡であるならば、そこに映し出されたものをみるしかないのだ。そこには後付の知恵も、学ぼうとする姿勢もいらない。

「魂の震えるような共感」(福田和也の言葉)があればいい。

ただそれだけでいいのだ。

今日はこれまで。

2011年8月1日月曜日

今日から8月

ここんところずっと天候不順が続き、あのうだるような暑さから解放されてホッとしています。

が、やはり夏は夏らしくギラギラと照りつける太陽の強さがないと、どうにも締まらないような気がします。それに、野菜などの生育にもそれは欠かせないでしょう・・・。田の稲はいつの間にかずいぶんと大きくなっていますし、もう「桃」が出回っていて、あのみずみずしさと柔らかな甘い匂いがたまらない・・・。

これ、前にも書いたかも知れませんが、我が家のカナヘビはずいぶんと人に慣れてきて、水槽の蓋を開けると、えさがくるものと思って顔を上に上げるようになっています。こんなこともあるんですね、不思議な気がします。

震災直後は、盛夏の今時の計画停電を覚悟しましたが、今年はとりあえずそれはなさそうですね、今のところ。ただ、来春(?)だったか、国内の原発がすべて停止してしまえば今年以上の電力需給の逼迫が必至ですのでまだまだ油断はなりません。

それに、一般家庭の問題よりももっと心配なことは、工場などが電力不足により操業の危機に直面する事態でしょうね。電力の問題は緊急の課題です。

悲しいことに、この国総理大臣が「脱原発」などといい、その直後に「個人的意見の表白」という始末・・・。あの人は一体総理大臣という地位をどう思っているのでしょうね。

いろいろありますが、この8月を健康に楽しく乗り切りましょう。

今日はこれまで。