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2011年8月11日木曜日

66回目の終戦記念日を思う その4

広島つながりです・・・。

広島は町のいたるところに「平和」という言葉が散りばめられている。「平和大通り」「平和祈念公園」・・・。まるで「平和」という単なる状態が価値になったかのようである。

以前にもここで書いたが、平和祈念公園の碑に刻まれた

安からに眠ってください。
あやまちは決して繰り返しませんから

という言葉・・・。落とされた日本人がなぜ「あやまち」というのだろう?おそらく、あの言葉を支持するひとは、「戦争」いやもっといえば日本の近代の歩みすらもそうくくりたいのではないかしら?


あほですな・・・。過去を「あやまち」などという耳障りのいい言葉でくくるのは、傲慢以外のなにものでもない。ただ今を生きているだけの人間が、過去をどんな資格で「あやまち」などという言葉で断罪できるとおもっているのか?

おそらく、戦後のこの国の人々の心象は、あの碑に刻まれた精神によって過去を見下し、現実との齟齬を糊塗してきた。そして今もその迷妄から離れられないでいる。どうもそんな気がします。

今日はこれまで。

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