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2011年8月10日水曜日

混同も甚だしい・・・

6日広島。

原爆犠牲者の慰霊祭で「原発に依存しない社会の実現」ということが言われ、マスコミの報道もそれに何の違和感もなくただ、垂れ流しています。

あまり書きたくもなかったのだが、9日の長崎でも同じようなことが言われ、何でも福島の原発の避難民である中学生が式典に招待されたのだとかいうことを聞き及び、何としても一言言わずにはいられません。

はっきりいって、原子爆弾という戦争の被害者と、今回の震災の原発事故による非難者では何もかもが異なります。ただ共通しているのは「原子力」という未だ人間が御しがたいのかもしれない技術だということのみ。しかしながら、その共通点だけをことさら強調するのは、例えば交通事故死の被害にあった家族が、F1の開会式とかで「車は走る凶器だ」と非難するのと同じ・・・。全く馬鹿げているでしょ。でも、原爆犠牲者の慰霊の場で、原発云々を言うのは同じくらい馬鹿げていることだとは誰も思わないらしい。

もう少し、きちんと物事を仕分けして考えたらいいよ。

原爆慰霊祭の式典が、各国からの代表も臨席する特別なものになっているのは、原爆という兵器の、あまりにも多くの命を一瞬にして奪ってしまうことの残虐性、さらには今になお残る後遺症という放射能というものの被害の時間軸の長さに、人類としてその兵器の存在自体に向かいあう必要があると思われているからでしょ。

そこになぜ原発の問題を持ち出すのか?全く意味がわからない・・・。


僕が間違ってる?


今日はこれまで。

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