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2010年9月9日木曜日

今日は小泉八雲

また、「明治」に書かれた文章からその一風景を語ろうと思います。とはいえ、かなり前に書いた文章です。


写真は、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。
僕は、明治の日本の姿を残した彼の文章が大好きです。また、彼が熊本第五高等学校時代の校長は加納治五郎、同僚に秋月悌次郎がいるなど、彼の周りにはかつての支配階級であった武士が多くおり、後に、八雲は秋月を称して「神のような人」と言っています。秋月は、旧会津藩士で軍事奉行を務めた人間です。


彼の著作は講談社学術文庫から何冊か出ています。




 泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、激しい近代化の波の中で失われゆく明治日本の気骨と抒情を、深い愛惜の念で綴った次のような文章を1893年に残している。

 「旧体制で育った日本人は礼儀正しく、利己的でなく、善良で雅やかであった。それらはいくら褒めても褒めたりぬ美徳である。しかるに近代化された新世代の青年の間から、そうした美徳は消え失せてしまった。新青年達は旧幕時代を小馬鹿にし、自分自身は西洋の卑俗な模倣をするのがせいぜいで浅薄な月並みな懐疑論しか口に出して言えぬくせに、古風な生き方を笑い物にしている。先祖から受け継いだはずの高貴な愛すべき美徳の数々は今どうなったのか・・・。」そして更に言う。
 
「だがその過去へ日本の若い世代が軽蔑すべきものとして見なしている自国の過去へ、日本人が将来振り返る日が必ず来るであろう。ちょうど我々西洋人が古代ギリシャ文明を振り返るように。(中略)その時になって、彼らは嘆くに違いない。今は消え失せてしまった古風な忍耐や自己犠牲、古風な礼儀、昔からの信仰に潜んだ深い人間的な詩情・・・。日本人はその時多くの事物を思い返して驚きまた嘆くに相違ない。」と。

 1945年、それまで歩みを止めたことのなかったこの国が、初めて歩みを止めたあの夏の日以来、この国は彼のいう消え失せてしまった美徳を取り戻すこと、いや、過去に失われた美徳が存在したことなど認めようともしないまま来てしまっているような気がする。そして、21世紀を迎えた今でも、僕らの国には彼のいう「振り返る日」はまだ来ていない。

 
 
 これ、2001年の年賀状に書いた文章なんです。維新後間もない明治の頃でさえ、八雲をしてこういわしめたほど、旧体制の美徳というのは失われてしまっていたというのは驚きです。彼が今の日本人をみたならば、「人種が違う」と言うのではないでしょうか。


 今日はこれまで。

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