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2010年9月7日火曜日

再び「坂の上の雲」 その功罪 乃木希典という人間

 以前にも書きましたが、同書は何度も読み返した本の一つで、僕の好きな本の中の一冊です。司馬遼太郎は、確か日清・日露の戦争を「祖国防衛戦争」だとはっきりと、どこかの本に書いていたと思います。また、同書についてはこのブログでも書きました。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/06/blog-post_22.html

今日、取り上げたいのは同書で描かれている乃木希典のことです。


 第三軍を率いた乃木希は、同軍の伊地知参謀長とともに、軍事組織の中での「無能」の象徴として描かれていたように記憶しています。多大な犠牲を出しながらも無謀な正面突撃を仕掛け続け、旅順の要塞を落とす事ができず、結果的に上級司令部の参謀長児玉源太郎が派遣されて、攻撃目標を203高地に変更して後ようやく旅順の要塞を落とす事ができたと。乃木希は、その戦闘で2人の息子を失いましたね。同書を読むと、児玉源太郎の「株」は急上昇、乃木希典は無能な将軍で評価は最低でしょう。



 さて、ひところ学校教育の中で「偏差値」が悪の代名詞みたいなものとして使われ、今になってようやく路線変更をした「ゆとり教育」なるものも、「偏差値」一辺倒の中で少しでもそれを是正したいという表れだったと思います。物事をきっちりと考えればわかることですが、「偏差値」という統計上の数値がそんな悪者であるわけがなく、「悪者」はそれでしか子どもを評価しない、できない教育システムたと思いますがどうでしょう。「一芸入試」とかいう言葉もありますね。今もあるのかどうかわかりませんが、学校の勉強が出来なくても、何か人に自慢できる「一芸」があれば、それを評価するというものでしょう。それを否定する人はまずいないと思います。評価の視点を変えれば、いかようにも評価は変わります。一つの視点からしかみない事の功罪の事例を、学校教育の偏差値を例にして書いてみました。


 乃木希典に戻ります。


 若き大尉であったマッカーサーは、観戦武官として乃木の第三軍に同行しており、乃木の謦咳に接していました。占領軍総司令官になって日本に上陸した彼は、赤坂の乃木神社へMPの歩哨をたてさせたと言われています。日本の古武士の風格を匂わせた乃木に対して、どのような思いを彼が抱いていたかはわかりません。ただ悪意ではなく好意であったことは間違いありません。


 かなり前の東映映画に「203高地」というものがあります。そこで乃木を演じていたのが仲代達也です。僕はこの人が最もその役柄にふさわしいと思っています。凱旋後、明治天皇の前でその報告をするシーンが映画の最後に出てきます。乃木は、自身の報告をする際に多くの将兵を失ってしまったことを詫び、天皇の前で泣き崩れるのです。凱旋という華やかなイメージとは似ても似つかぬ光景で、この時の仲代達也の演技は圧巻です。おそらく実際もそうであったのでしょう。戦場での彼は、極寒の満州の地にあって常に外套なしだったと言われています。若い頃はかなり盛んに遊び回っていたらしいですが、晩年は常に自らを厳しく律することを課していました。前線視察の際にも自ら死を望んでいたような振る舞いもありました。彼は決して「功」を望んではいませんでした。


 乃木は、明治天皇の大喪の礼の後、その後を追って自害します。彼の殉死は、同時代人にとって衝撃でした。夏目漱石、森鴎外にとっても同様です。夏目荘漱石は「こころ」の中で、先生にそれを語らせ、森鴎外の「阿部一族」「大塩平八郎」「堺事件」はなどの歴史・史伝はその殉死に触発されて書かれたものだったと思います。


 「能力があるか否か」、即ち「有能か無能か」といった評価軸で、乃木を判断すれば「無能」であるかも知れません。また、彼の中に、児玉源太郎やら秋山真之に体現されている「奇略奇才の戦略家」、または勇猛果敢な軍司令官といったものは出てきません。福田和也という文藝評論家が書いた乃木の評伝に、「彼は『有徳』の人だった」と書いてあります。まさしく、乃木は「有徳」であったように思います。もうすでに「『徳』があるか否か」という評価軸は、この国からは失われてしまい、替わって幅を利かせているのが「有能か否か」です。しかし、一面でしか人間を評価しないことの愚かしさはよくおわかりのはずでしょう。その評価軸では乃木希典という人間は評価できないのです。


 西郷隆盛人気を考えてみましょう。維新の頃の西郷は「有能」でしたが、西南戦争の頃の西郷はそのかけらも見せず、ただ桐野や村田や篠原らの側近に担がれるのみで終始します。これも、このブログで紹介しましたね。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2009/07/blog-post_23.html

西郷の場合は、有能か否かは評価軸になっていないですね。しかし、なぜ乃木だけはその評価軸だけなのでしょうか。やはり「坂の上の雲」の影響かなと思ってしまう所以です。


   
 晩年の乃木が学習院の院長として昭和天皇の教育係だったことは以前、このブログで紹介しました。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/08/65.html




明治天皇は、「有能か否か」ではない幅広い評価軸を持っていたと思います。そして、将来の天皇を教育することに「有徳」の人間を選んだのではないでしょうか。


   うつ志世を神さりましし大君の
   みあと志たひて我はゆくなり

 乃木の辞世です。「命は大切」という月並みな言葉を峻拒しているように思えます。




今日はこれまで。
 
 


 


 


 


 

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