人気の投稿

2010年8月18日水曜日

65年前の終戦記念日を思う 補筆

 本日(8月18日)日経社会欄に、釈放された「A級戦犯」らの陳述書が載せられていました。
秦郁彦(近代史、戦史を専門とする学者)が、それへのコメントをだして、


「責任を感じていないような気がする」と・・・。




 さて、巷間「戦争責任」という言葉が流布していますが、果たしてそれは何を意味することなのでしょうか?


特に昭和天皇崩御の辺りには、非常に論壇を賑わしていました。曰く、「天皇の戦争責任はある」と。


 僕は、「戦争責任」という言葉の定義もせず、それを論議するのは「馬鹿」の所業だろうと思っています。


 それは「戦争を起こしたことの責任」でしょうか?戦争という行為が、いかに感情的に忌避されようと、国際法上はきちんと認められている以上、それを「起こす」ことへの責任などあるわけがない。もしかしたら、それは「敗戦」の責任のことをいっているのでしょうか。「敗戦責任」、この国を敗戦に導いた責任は、当時の軍部をはじめとする政策の意思決定者にはあり過ぎるほどあります。それは、日本国民に対する責任です。供述を残した件の人々が負うべき敗戦の責任です。ただし、中には「敗戦」という責任を負わせるほどの地位にあったとは思わない人も多かったのは事実です。


 おそらく、「政治責任」という言葉もそれに包含されるでしょうね。「敗戦の政治的責任」ということではないでしょうか。


 
 大日本帝国憲法の3条に「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」とあります。大日本帝国下の戦争は、すべてこの憲法下で行われたことになりますので、この条文がある以上は国政上「天皇に一切の責任」はないということになります。よく、会社の不祥事でトップが経営責任を感じて辞職することがありますが、それと天皇の地位を結び付ける議論があります。しかしながら、会社のトップは、経営に関して全責任を負っているわけですから、「不可侵」である天皇とは全く異なりますね。物事をよく考えればわかることです。




 ところが、厄介なのが「責任」というものはいわば「道義」の上からも問われることが多いことです。例えば、僕が好きで始めたこの「3と1の会」ですが、曲がりなりにも30回という節目を迎え、毎月集って来る人を考えれば、最早僕が勝手に「や~めた」とは言えないでしょう。つまり、「始めた責任」が僕にあるということになります。僕個人は、それを十分に感じているつもりです。


 そのような「責任」を「道義的責任」とするならば、天皇にもそれは確かにあると思います。昭和天皇自身もそれはよく感じていました。「東京裁判」で起訴された被告たちを「自分が退位することで救う事はできないだろうか」と側近に漏らした事はよく知られています。また、「彼ら(戦犯の被告)は、国内法では罪人にあらず。かつての忠臣が裁かれるのは誠に忍びない」という言葉も知られています。


 おそらく、その「道義的責任」を日本国民の誰よりも感じていたのが昭和天皇であったと思います。








 
 「だってつぎはぎの服は決して恥ずかしい事じゃないって院長先生がおっしゃってたもん」


 この通りのセリフではなかったと思いますが、これは昭和天皇の学習院初等科時代のエピソードです。穴のあいた服を棄てようとする女官に対し、「つぎはぎをしてくれ」と言ったといいます。この院長先生は乃木希典のことです。昭和天皇は、幼少の頃、この老将軍から受けた薫陶を最も印象的であったと語っています。


 古今東西の元首の中で、幼いとはいえこのような事を口に出した元首は、昭和天皇ただお一人ではなかったでしょうか。
僕は勝手にそう思っています。





0 件のコメント:

コメントを投稿