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2010年8月11日水曜日

65年前の終戦記念日を思う その8

「常に国家をこの世の地獄たらしめたものは、
まさしく人が極楽たらしめようとしたところのものであった」
18世紀 ドイツの詩人ヘルダーリン


 僕は寡聞にして知らないのですが、古今東西の世界のどこに、かつての植民地支配を謝罪する国があるのでしょうか?
イギリスはインドに謝罪したのでしょうか?オランダはインドネシアに謝罪したのでしょうか?はたまた、フランスはベトナムに、スペインはフィリピンに謝罪したのでしょうか?


 今の価値観で、かつての事実を断罪することに何の意味があるのでしょうか?


 朝鮮半島の例をいうならば、その半島は日本にとって国防上、大変重要にありながら、時の朝鮮政府は近代国家ではなく、朝鮮政府にそれを任せる事ができないから、併合したまでのことです。半島の政治的安定は、イギリス、アメリカなどの列強も等しくそれを認め、国際法上きちんと進められたことです。


 もちろん、今の時代なら到底許される事ではありません。ただ、20世紀初頭ではそれが極めて普通のことでした。なぜそれがわからないのでしょう?僅か10年前ほどの映画を見ても、街中で歩き煙草をする主人公は多く出てきます。今ならできそうにないことです。なぜ、10年前はそれができたのかを問えば、「その当時はそれが普通だったから」と回答するでしょう。今はできないけどと・・・。


 
 さて、現内閣の閣僚は、今年は一人も靖国神社へは参拝しないそうです。菅首相も明言してますね「参拝しない」と。何でも「アジア重視」だとか・・・。彼の言うアジアは具体的にどこのことを指しているのか明らかにしてほしいですが、靖国参拝にいちゃもんをつけてくる国は、韓国と中国しかありません。その2カ国をもって「アジア」などと、人を誤らせるような言い方は謹んでもらいたい。なんでも、参拝しない原因は「A級戦犯」が祀られているからだと・・・。即ち、「侵略戦争の責任者」が祀られているからだということが原因だというのです。


 A級戦犯として裁かれ、終身禁固刑を受けた賀屋興宣という、近衛、東条の両内閣で大蔵大臣を務めた人がいます。彼は、1955年に仮釈放されたあと政界に入り、池田内閣では法務大臣を務めています。昭和30年代ですね。彼が法務大臣として、日本国政府の閣僚となったのを、韓国や中国は問題視しませんでした。もちろん、日本国内でも問題視する声など皆無・・・。同じく重光葵(禁固7年)は、鳩山一郎内閣で外務大臣を務めています。鳩山一郎は、ご承知の通りうつろな目の御仁の祖父です。重光葵は、鳩山一郎と共同で日本民主党を結成した人物でもあります。うつろな目の御仁は、自身の祖父が「A級戦犯」とともに政党を結党したこと、外務大臣として「A級戦犯」を起用したことを、きちんと説明できるのでしょうか?


 昭和20年8月15日に、日本国軍隊は無条件降伏し、9月2日に停戦条約が結ばれました。日本の戦争状態が国際法上正式に終ったのは、昭和27年「サンフランシスコ平和条約」が発効した4月29日です。つまり、日本は停戦後7年に渡り国際法上は戦争状態にあったのです。その平和回復後、生き残った人々は極めて真っ当な感情を抱きます。それは、「戦争は終わったのに、未だ帰国できないシベリア抑留の人、戦犯裁判で裁かれ未だ獄中にある人を救いたい」と。また、戦犯とされて処刑された人の遺族は、公的扶助(恩給)の資格がなく、困窮にあえいでいることを救いたいと・・・。


 これは全国で4000万人もの署名が集められ、国会で正式に議決されることになります。即ち、「戦犯裁判で刑を受けた人は国内法の犯罪人とみなさない」「恩給支給の対象者とする」と、至極妥当な議決です。ですから、戦「犯」などと、「犯」という字を使うのは本来なら憚られることなのです。靖国神社では彼らを「法難者」「昭和殉難者」としています。


 こういう、事実をきちんと大新聞は報じてもらいたい。




 大新聞といえば、日経で「戦争と言論人」とかいう特集記事が組まれ始めて本日で第4回でした。初回は石橋湛山でしたね。東洋経済新報社を創設したジャーナリストで、当時から「小日本主義」を標榜して日本の大陸進出には批判的な人物でした。そういう人間をこの国の大マスコミは崇めますね・・・。しかし、その記事を書いた日経の記者は、石橋湛山が東京裁判において「日本が受けた経済的圧迫」と「貿易なしでは生きられない日本の姿」を弁護側の要請によって提出した事は知らなかったと思います(ちなみに、この資料は裁判所に却下されました。連合国に不利だからです)。本日の「菊竹六鼓」の説明記事には、「彼は植民地主義を認めていた」と石橋湛山と比較して彼を非難する一節があります。どうでも、この国の過去を断罪しないではおれない、しかも断罪してそれを謝罪させなければならないという、妙な感情とは一体何なのでしょうか?


 と、つらつら考えると、冒頭のヘルダーリンの言葉になったわけです。







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