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2010年8月6日金曜日

65年前の終戦記念日を思う その7

 今日は、広島での平和祈念式典の日ですね。初めてアメリカから駐日大使が出席し、国連事務総長や、イギリス、フランスからも出席があるそうです。何れも初めてのこと・・・。何故、今この時期に初の出席となるのか?その真意はどこにあるのでしょうか。


 広島にはかつて仕事で延べ連続7日間の滞在を4回ほど繰り返したことがあります。仕事といってもほとんどがアルバイト管理だったので、昼間はよく市内をぶらぶらしてました。これ幸いとばかりに、こっそりと江田島の旧海軍兵学校まで足を伸ばしたこともあります。


 瀬戸内特有というのでしょうか、空気の重さが感じられるほどの蒸し暑さには閉口しました。


 広島平和記念公園内に、「安らかに眠ってください。あやまちは繰り返しませんから」と刻まれた碑があります。フィリピンはルバング島から30年ぶりに帰還した小野田さんが、それをみて「これはアメリカが書いたのか?」と発したのは有名な話・・・。


 8月6日に広島、9日に長崎とアメリカは2発も原爆を落とし、一瞬にして20万人以上の一般市民を虐殺しました。


 戦争はより多くを殺した方が勝利を得るという、およそこの世で考えられる中で一番残酷なものですが、それでもその中にはルールがあります。例えば、捕虜の扱い方や一般人の殺害を禁止するなどです。いわゆる戦争犯罪といわれるものは、このルール違反を問われたものです。


 東京裁判では、昭和12年12月から1月にかけて日本軍が国民党政府の首都南京で軍民20万人以上を虐殺したといわれる「南京大虐殺」なる事件が裁かれました。今では30万人以上と犠牲者の数が増えているようですが、これは大変不思議な事件で、当時日本軍と一緒に行動した日本の100名以上の報道関係者のほぼ全員が、現地で大虐殺があった事など、見た事も聞いた事もないと証言しています。しかしながら、裁判で集められた検察側の証拠は、すべて取り上げられたにもかかわらず、弁護側が提出した証拠はほとんどが却下され、しかも証人への反対尋問も完全に認められませんでした。


 仮にそれが事実だったとして、その年の7月から12月まで激戦を繰り返してきた軍隊の、狂気ともいえる見境のない殺人と、上空から投下レバーをひいて原子爆弾を落とした殺人に違いがあるのでしょうか。原子爆弾の投下だけにとどまらず、東京で一夜で10万人を殺害した東京大空襲も、同じように一般市民の殺害で戦争犯罪に問われるべきなのです。


 
 さて、フランス人でエマニュエル・トッドという学者(社会学者かな?)がいます。かなり日本でもその翻訳が出版されていますが、出版社は左翼系の藤原書店で、かなり反米的要素が強い本だと思います。僕は彼の著作を未だ読んだことはありません。最近、ネットで知ったのですが、その彼を朝日新聞が招いて講演してもらったらしいのですが、呼ばれた彼はこう言い放ったそうです。


「日本は唯一の被爆国として、世界で唯一の核保有国になる権利を有している。なぜ核を保有しないのか」


 朝日新聞は慌てたでしょうね・・・。


 

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