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2010年8月4日水曜日

東京裁判について

 毎年8月15日になると、政治家の靖国神社参拝の記事がマスコミを賑わします。新しいところでは「8月15日に参拝する」と明言した小泉純一郎でしたね。確か、その前日にこっそり参拝したのではなかったですかね。


 マスコミがことさら「それ」を騒ぎたてる様になったのは、1985年の中曽根康弘総理時の中国の干渉が始まってからのことです。それ以前の歴代の総理大臣は、例外なくきちんと公式参拝をしてます。中国と韓国が「A級戦犯が祀られているから」という理由で、総理の参拝を許さないとかいういちゃもんをつけ続けてますが、A級戦犯の合祀は1978年に行われ、翌年に発表されています。それから1985年までの6年間は、その両国は黙ったままです。それが急に1985年から、不当な干渉を言い募るようになるのです。もう、25年間です。四半世紀にもわたる期間、この国のある意味、民族感情、宗教意識といっていいと思うそれを、外国にかき回され続け、きちんとその主張をしようともしない。もううんざりします。


 「政教分離に反する」とかいう声がありますね。靖国神社に総理や閣僚が参拝する事は、それに違反しているというのです。そういうことを言い募る人々は、この国の1兆円を超す税金が、キリスト教や、仏教を教育の柱とする大学などへ私学助成金として支払われていることになぜ反対しないのでしょうか?教育の根本に宗教があることは、世界中の常識ですね。新渡戸稲造が「武士道」を著したのも、「あなたの国の教育に宗教教育はないのか?それなら、人間教育をどうやって行うのだ?」と外国人に尋ねられ、「日本の人間教育は武士道によってなされると発見してからだと、冒頭に書いてあります。


 国際基督教大学は名前のとおりキリスト教をその建学の精神に置いています。専修大学は「専修念仏」という浄土宗の言葉でしょう。教育の根本に、宗教があるのは極めて自然なことだと思いますが、政教分離と声高に叫ぶ人々は、そういう教育機関への公費支出を反対しないのは論理矛盾ですね。支離滅裂・・・。


 僕は、総理大臣が参拝するのは当然だと思っていますし、その事について他国にとやかく言われる筋合いのものではないと思っています。ごちゃごちゃ言われるその原因が東京裁判でのA級被告云々だそうですが、その東京裁判自体が、いかにでたらめで、不公正で、不正義なものなのか、次回の3と1の会で皆さんに紹介して共に考えて頂きたいと思っています。


 次回第30回は8月26日です。

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