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2010年11月22日月曜日

柿は胆の毒・・・

 柿つながりです

「柿」といえば、僕はいつも石田三成を思い出します。

関ヶ原での負け戦後、石田三成は自害せずに山へ落ちます。再度の挙兵を目論んでいたと思います。決して死ぬ事を厭っていたわけではありません。


刑場へ引かれて行く途中、彼はのどの渇きを覚え白湯を所望します。すると、警備の兵は傍らの柿の木から柿をもぎとって差し出しました。その時、石田三成は

「柿は胆の毒である」

と言いました。警備の兵は

「この後すぐに首を切られる人間が、胆の毒もないものだ」

と嘲笑うと、

「お前等のような小物にはわかるまい。しかし、真の侍はその死の瞬間まで生きて主君に忠義を果たす務めがあるのだ」

と言い放ったといいます。

柿を食べる度に僕はこの石田三成のエピソードを思いだすのです。


石田三成といえば、「関ヶ原」へは2度行ったことがあります。最初の訪問は駅でレンタサイクルを借りての合戦場巡りでした。駅で大まかな地図はもらったものの、途中道に迷って畑仕事をしている婦人に道を尋ねました。その時の婦人の返答を今でも覚えています。

「あ~、宇喜多さんのとこなら・・・・」

地元の人たちにとっては、青年武将宇喜多秀家は今も生きているかのような印象を受けました。「さん」づけです。


東西両軍20万人を超す軍勢が集ったわけですから、決して狭いわけはないことはわかっていたのですが、実際にその地に立つまでは、そのスケール感が全くわかりませんでした。石田三成本陣から、松尾山の小早川秀秋の陣までの遠い事には驚きました。

石田三成は僕の好きな人物の一人です。

今日はこれまで。

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