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2010年11月14日日曜日

この世の楽園とは・・・

「英国人写真家の見た明治日本」著者ハーバード・G・ポンティング。


副題に「この世の楽園・日本」とつけられています。著者のポンティングは、スコットの南極探検に同行した写真家であり、彼は明治35年(1902)頃に初めて来日し、明治39年(1906)までの間、日本を度々訪れ、日露戦争勃発後はアメリカの雑誌社の特派員として日本陸軍の第一師団に順従軍している。日本での彼の滞在期間は、合計で3年ほどあったらしい。


彼は離日後の明治43年(1906)に、日本での滞在記録を自身が撮影した豊富な写真とともに出版したのだが、その題名が


「この世の楽園・日本」


であった。


前に紹介したチェンバレンの日本事物詩では


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/11/bh.html


ポンティングが日本に滞在した頃の日本を、その急激な変化の波に洗われていく様子を、「古き日本は死んでしまった」と表現しましたが、その頃でさえなお、初めて日本を訪れた英国人写真家をして「この世の楽園」と言わしめるほどの「なにものか」をこの国は持っていたことになります。


 本書の特徴は、豊富かつ素晴らしい写真の数々です。彼が旅行した日本の各地の風景だけにとどまらず、日常の日本人の暮らしぶりが写真に収められ、その生き生きとした表情には僕らが息をのむような美しさがあります。


 本書の中で、ポンティングは日本の婦人を絶賛してます。


「日本を旅行するときに一番すばらしいことだと思うのは、何かにつけて婦人たちの優しい手助けなしには一日たりとも過せないことである。」


 ご承知かも知れませんが、人前で決して涙を見せない日本婦人に対しては「冷たく同情にかける」という誤解が外国人の中でありました。出征する自分の夫を見送るとき、またはその死と対面するとき、日本の婦人は強い自制をもって泣き叫んだり、取り乱したりすることがなかったからです。


「前線に行く許可を日本で待っていた間に、私は哀しい光景を何度か目撃した。戦場へ行く船に乗り込む前に、兵隊が妻や母親に最後の別れを告げる場面を多く見たが、そこで、彼らが涙を流しているのを見たことがない。逆に笑顔を見たことは何度もある。というのは、日本では笑顔は心の中の苦しさを隠す仮面となっているからだ。婦人たちの表情は毅然として少しも気落ちしていないようにみえたが、こんなに可愛らしく心優しい人々にとって、それだけうわべを装うのはかなり難しいことであったにちがいない。別れるときは抱擁をしないでお辞儀を何度も繰り返し、優しい声で何回もナヨナラを言った。」


こう、目撃した場面を綴ったあと、著者は次のように続けます。


「別れが終わって、妻と母親が背を向けて主人のいない家へ帰って行くとき、彼女たちの胸の奥深く潜む不安と心配を知りたいと思っても、その外観からはそれを窺わせるものを何一つ見いだすことはできないだろう。何故なら彼女の顔は、死を覚悟しながら笑みを浮かべて出征していった夫の顔と同じように、何世紀もの間、感情を抑制することに慣らされてきた民族に独特の偽りの仮面だからである。」




 今日はこれまで。

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