人気の投稿

2010年11月4日木曜日

日本奥地紀行 イザベラ・バード

 以前、外国人の目からみた幕末から明治初期の日本の記録、著者曰く「江戸の文明」の残映を「逝きし世の面影」というタイトルで著した渡辺京二の本をご紹介しました。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/10/blog-post_19.html

それに触発されて、今は実際のその記録を読みあさっています。今日はその中でも有名な「日本奥地紀行」イザベラ・バードなる英国女性の旅行記の一端をご紹介します。


これは、彼女自身が次のように書いているものをまとめたものです。


「本書は、私が旅先から、私の妹や、私の親しい友人たちに宛てた手紙が主体となっているが、このような体裁をとるようにしたのは、いささか気の進まぬことであった。というのは、この形式で本を書くと、芸術的に体裁を整えたり、文学的に材料を取り扱うことが不可能となり、ある程度まで自己中心的な書きぶりとならざるをえないからである。しかし、一方では、読者も旅行者の立場に立つことができるし、旅の珍しさや楽しみはもちろんのこと、旅行中のいろいろの苦難や退屈まで、筆者とともに味わうことができるというものである。」




彼女は、明治11年(1878)6月から9月にかけての約3ヵ月間、日本で雇った通訳の男性一人を連れて東京から北海道までを旅行したですが、特に日光から北については、外国人として初めて訪問したことになります。北海道のでアイヌの暮らしぶりも記録され、貴重な資料にもなっています。


 彼女は、来日の目的を英国代理領事に告げるのですが、彼はその奥地旅行の計画を聞いて次のように言います。


「それはたいへん大きすぎる望みだが、英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう」
「日本旅行で大きな障害になるのは、蚤の大群と乗る馬の貧弱なことだ」


この2点は、英国代理領事だけでなく、他の全ての人も同じようなことを言ったとあります。


 何とも恐れ入るしかないような気がしますね。今も日本を訪れる外国人旅行者のほとんどが日本の「安全」を褒め称えますが、これも間違いなく「運ばれきしモノ」ですね。当時も今も、そんな事が許されるのは間違いなく「日本」一国でしょう(今はかなり怪しくなってきているとは思いますが)。


 彼女は、横浜で通訳兼ガイドを募集します。もちろん英語が話せることが必須条件でしたが、自薦、他薦とわず何人も応募があったようです。その中で「伊藤」という名の18歳の青年を雇うことになります。


 いくつも紹介したいエピソードがあるのですが、今日は一つだけご紹介します。


「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもたちを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本では見られない。私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれていることに感心する。」


「私はいつもお菓子を持っていて、それを子どもたちに与える。しかし彼らは、まず父母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいない。許しを得ると、彼らはにっこりして頭を深く下げ、自分で食べる前に、そこにいる他の子どもたちに菓子を手渡す。子どもたちは実におとなしい。しかし堅苦しすぎており、少しませている。」




「赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく」というのは大仰でしょうが、日本のこどものおとなしさと行儀のよさは、彼女だけでなく多くの外国人が記録に残しています。そして「こどもの楽園」だと。彼女は、日本のこどもたちの服装について、よほど珍奇な印象を持ったようです。


「子どもには特別の服装はない。これは奇妙な習慣であって、私は何度でも繰り返して述べたい。子どもは三歳になると着物と帯をつける。これは親たちも同じだが、不自由な服装である。この服装で子どもらしい遊びをしている姿は奇怪なものである。」


こどもが大人と全く同じ服装をしているのが、「奇怪」だというのはちょっとわからないですね。日本の子どもは「小さいサイズの大人」だとは、この頃の外国人の記録によく見られる表現で、日本の社会は大人と子どもの区別がないというように見られていたようです。もっというなら人間も動物も区別がないような社会でした。区別がないから、馬には調教などという馬にとっては嫌なことをする習慣がなかったのです。去勢などもってのほかでしょうね。


 彼女は礼讃だけではなく、山深い貧しい村で暮らす人々の謹みのなさをこのように表現しています。


「私がかつて一緒に暮したことのある数種の野蛮人と比較すると、非常に見劣りがする。」


そして、次のように続けるのです。


「日本人の精神状態は、その肉体的状態よりも、はたしてずっと高いかどうか、私はしばしば考えるのである。彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。しかし、私が日本人と話をかわしたり、いろいろ多くのものを見た結果として、彼らの基本道徳の水準は非常に低いものであり、生活は誠実でもなければ純粋でもない、と判断せざるをえない。」


 彼女の記録は、一見矛盾に満ちています。学術研究でなく旅行記ですのでそれを咎めたりすることは酷でしょう。同じ景色を見ても、その時の心のあり方によってそれが薔薇色になったり、灰色になったりするのが人間の心なのですからね。


 今日はこれまで。

0 件のコメント:

コメントを投稿