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2010年11月13日土曜日

もしそんなことになったら日本は亡びる・・・

昭和7年5月15日に犬養首相が暗殺された、世に言う5.15事件。


「話せばわかる」


「問答無用」


の犬養首相と海軍将校の暗殺直前のやり取りが有名ですが、撃たれた犬養首相は気丈にも


「あの者どもを連れて来い。話して聞かしてやる」


と駆けつけた人たちに言い続けたといいます。


 実行犯であった海軍将校は海軍の軍事法廷、連座した陸軍士官学校生徒は陸軍の軍事法廷、橘孝三郎率いる愛郷塾塾生たちは一般の裁判所で裁かれます。世論は圧倒的に犯人たちに同情的でした。減刑嘆願書は100万通を数えた程です。仮にも一国の首相が暗殺され、その犯人は現役の海軍軍人だったのですから、事は非常に重大。海軍の軍事法廷は「死刑」の極刑をもって臨もうとします。しかし、世論とそれを焚きつける新聞報道によって、それは大きく捻じ曲げられるようになるのです。


 この頃の思い出を、竹山道雄が「昭和精神史」という本の中に書いています。竹山道雄は「ビルマの竪琴」の作者です。


「岡田良平という枢密顧問官がいて、反動教育家として悪口をいわれていたが、この人は私の伯父だった。あの裁判がすすんでいるとき、私は老人にこういった。
『青年将校たちは死刑になるべきでしょう』
老人は答えた。
『わしらも情としては忍びない気もしないではないが、あれはどうしても死刑にしなくてはならぬ』
私はいった。
『しかし、もしそうと決ったら、仲間が機関銃をもちだして救けにくるから、死刑にはできないだろうといますが』
『そうかも知れぬ』と老人はうなづいて、しばらく黙った。そして、顔をあげて身をのりだして、目に口惜しそうな光をうかべて語気あらくいった。『もしそんなことになったら、日本は亡びる』
 そのとき私は『亡びるとうのは大袈裟だなあ―』と思った。しかし、後になって空襲のころによくこれを思いだした―『やっぱりあれは大袈裟ではなかった』」


 判決は、事件の首謀者であった海軍将校2名の懲役15年が最も重く、13年、10年の禁固刑と続き、それ以外は執行猶予がつきます。なお、首謀者への求刑は「死刑」でした。


 陸軍では全員が禁固4年の実刑でした。


 一般の裁判所で裁かれた民間人らは、最も重いのが橘孝三郎の無期懲役を筆頭に、懲役15年が3名もあり、最も軽い刑は懲役3年6カ月というもので、陸海軍の軍事法廷での量刑とは大きな差がありました。


 この事件は海軍青年将校が「主」として企て、実行し、陸軍士官学校生徒は「従」、愛郷塾性らの民間人は「従の従」くらいのものです。参加民間人の使命は変電所を襲って停電させることでしたが、それは失敗しているために実際の被害状況はかなり軽微です。にもかかわらず、この量刑の差です。


 この結末が、4年後の2.26事件を生む一因になります。それを引き起こす陸軍青年将校らは、「事が起こっても必ず軍は俺たちを守ってくれる」と確信するからです。ちなみに、2.26事件の首謀者となる陸軍青年将校らは、5.15事件の時には海軍側からのたび重なる蹶起への依頼を断り続けます。「時期尚早」というのが陸軍青年将校らの言い分でした。


 


 つい最近物置を整理していて、初めての「東京見物」を題材とした僕の作文が出てきました。昭和46年当時のものです。東京タワーにのぼり、「きどうたいとがくせい」の騒ぎを父親に尋ねています。そういえば、そんな記憶がかすかにあるような気もします。


 2.26事件に連座し、無期懲役刑を受けた山口一太郎という陸軍大尉がいます。彼は蹶起将校らからは「別格」と呼ばれ、「蹶起」という直接行動には与しないが、後輩である蹶起将校らに理解を示していた「革新将校」の一人でした。


 戦後、山口は反政府デモを繰り広げる学生らの数を目にして、次のようにつぶやきます。


「これだけの一般人が我々に味方してくれていたら、あの事件は一挙になった」


事実、その可能性はあったのかもしれませんが、これは後知恵だと僕は思います。彼らは「軍人」でしたから、「衆をたのんで」事を起こすなどとはただの一度も考えた事はなかったと思います。「軍」こそが社会の腐敗堕落を糺すことができると思っていたからです。


 2.26事件の裁判においては、減刑運動は起こりませんでした。軍は法律を曲げてまで非公開の軍事法廷を開いたからです。また、将校らに勝手に連れだされた兵士たちの親が大騒ぎもしました。軍は徴兵制の危機を感じ取ります。都合のいい時だけ彼らを利用し、おだてあげ、都合が悪くなって彼らを切り捨てたのです。実行犯に対し極刑をなしただけを「粛軍」と称し、以降事あるごとに国の政治を左右するようになっていくのは周知の事実。






 国が「亡びる」というより、国運が傾くとか、国力が衰えると言い換えると、この国は見事ににその要件を満たしていますね。何も経済という社会の下部構造だけの事を問題にしているのではありませんよ。本来その上の乗っかって居るべき上部構造、即ち人々の生きかたや暮らし方、会話のマナーやルール、その総体としての文化や文明というもの、そんなもの霧散霧消してしまっているように僕には思えるからです。


これまでは経済だけは「一流」と呼ばれていたので、その「つけ」を払わずに済んでいただけだと思いますが、今や一気にそれを払わなければならないような状況に陥っているように思えます。稀薄な家族関係の記事は記憶に新しいですね。肉親が死んでも、年金目当てでそれを申告しない。「行旅死亡人」として扱われる、引き取り手のいない孤独な死者は、年間の交通事故死者数をはるかに超える。社会の最低単位である家族の状況ですら、このように寒々としています。


 尖閣の漁船衝突事件に関わる問題では「日中関係の重要性を鑑み」と言われ、重要性の中身はただ単に「経済的なつながり」だという。TPPの交渉開始については、「農業生産額と製造業生産額の多寡」あるいは「雇用人口の多寡」だけが問題となる。要するに「カネ」のことしかないのですね、この国は。






 「日本では宗教教育のかわりに武士道がある」


新渡戸の生きた時代にはこれが通用したのかもしれません。しかし、戦後の日本はそれを否定した。その代りに何をもってきたのでしょう。「平和教育」?もうアホくさくて嫌になります・・・。


前にも書きました。「命」が大事と教えたいのなら、人間とそれ以外の差をきちんと教えるべきです。そうでないなら、すべての殺生を禁じることを教えなければならない。それができないのなら、「人間は他の命あるモノを食べなければならない」、その罪深さを教えて、すべての自然に対して謙虚に向き合う事を教えるべきだと思います。そして「人間とは何か」をきちんと考えさせる・・・。


 このままでは「エコノミックアニマル」だけが大量に住む国になってしまうかも知れません。


もしそんなことになったら日本は亡びる・・・。
 
 今日はこれまで。



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