さて、今日の話題。
昭和45年(1970)11月25日。本日は憂国忌です。「憂国」忌とはいい響きですね。
三島由紀夫は「やがて日本はなくなろう。残るのは東洋の片隅に残る経済団体のみ」のようなことを書き残していますが、今の日本はまさしくそうなっていますね。彼は明確にこの国の将来を見通していたことになります。
「生命尊重のみで魂は死んでもいいのか。生命尊重以上の価値なくして何のための軍隊だ」
これは彼の檄文の一節ですが、僕は四半世紀前に知ったこの檄文を今でも諳んじています。
「今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国日本だ。」
と続くわけです。
今もテレビでよく目にする三輪明宏は、三島と親交がありました。三輪は当時は丸山明宏という名前でしたが、ある時パーティーの席上で
「三島さんの後ろに刀を下げた血みどろの人が立っている!」
と言ったそうです(そんなことをよく言えたなと思いますが)。
すると三島は「大塩か?(大塩平八郎)」と尋ね、三輪が「違う」と返すと
「磯部か?」とさらに問い、三輪が「そう、その人」と答えたといいます。
「磯部」とは、磯部浅一。2・26事件で刑死した者の一人で、獄中で天皇を呪詛する言葉を残す人です。
「天皇陛下、何と云う御失政ですか!皇祖皇宗に御謝りなされませ」と・・・。
この磯部の絶叫を元にしたのが「英霊の声」で、三島自身、「何かに憑依されたように無意識で何枚も原稿を仕上げたことがある」と残しています。きっと磯部の霊が憑依したに違いありません。
三島由紀夫が少年の頃に書いた小説は、驚くほど大人び、かつ流麗な文体で驚きます。
「夭折」という言葉ありますが、あのような文章を書ける少年が、年老いるなどとても想像が出来ないように思います。彼の結末を知っているからという後知恵かもしれませんが、どうも「夭折」を予感させるような気がする文章なのです。
三島の最後の作品は「豊饒の海」4部作で、輪廻転生の物語です。
「きっと会う、また。滝の下で」
という言葉を親友本多に残し、1巻「春の雪」で主人公は死にます。その主人公の生まれ変わりが2~4巻にまで出てくる話です。
三島は自身の輪廻転生を思い描いていたでしょうか。
「七生報国」(七たび生まれ変わって国に報いん)
今日はこれまで。
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