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2011年4月30日土曜日

3.11 再び

本日(29日)の読売新聞に御厨貴が寄稿していました。冒頭以下の文章から始まります。
東日本大震災を境に、日本の長い「戦後」は終わり、今や「災後」時代にはいった。
これを呼んで僕はつくづくと考えました。ひとつの視点として、「戦後」は自衛隊が忌み嫌われた社会でした。阪神大震災の時の自衛隊の救助活動の遅れは忘れてはいないでしょう。あれは首長の判断が遅れたからです。遅れの原因は首長の反自衛隊というイデオロギーです。しかも、県の災害対策本部へ自衛隊が行くときには、「制服を着てこないでくれ」とかいう始末。米軍の支援も断ってもいますね。あの時は社会党の村山富一が総理でした。それまで一貫して「自衛隊は違憲」と主張してきた政党でした。

今回の震災ではどうですか。地震発生後1時間も経たないうちに各県の首長は自衛隊へ災害支援の要請を出し、政府は米軍支援はもちろんのこと、世界各国からの援助を受け入れています。そして、なによりも阪神大震災当時と異なることは、自衛隊が堂々と迷彩の戦闘服で会議に出席し、テレビのインタビューも受けていることです。

ようやく、この国が忌み嫌ってきた「自衛隊」が、普通の国家のように信頼される組織として認知されだしたということでしょう。「戦後」を「反」自衛隊の時代とするならば(あながちそれは極論とは思えない)、「災後」は「反」反自衛隊の時代となったとみることができます。極めて普通の国家の姿です。

思えば戦後教育は個人の尊重のみを重視し、その個人の来歴(つまりは伝統やら歴史ということ)と、その個人の集合体たる社会、つまりは「公」とうものをないがしろにし、平和教育だ人権教育だという空疎な言葉を乱用して公を守るためには個が犠牲になることもあるという当然のことから、一切目を塞いできました。しかしながら、今回の震災では、今なお懸命の作業を続ける東電職員や、消防、警察、自衛隊の人びとの「公」のために身を挺する使命感が、多くの人を感動させかつ勇気づけている。 これは「公」という観念に対する献身に、「個」を超えた価値を多くのひとが認めているからにほかなりません。

その人びとの心の奥底では、とっくに「戦後」は終わっていたのかも知れません。 それが今回の震災で始めて顕在化したのです。蓋に閉じ込められていた水蒸気が、蓋が開けられたのを機に拡散したようなものです。それに気付かぬは、三流、四流の政治家と、今なお「反権力」という意味のわからない観念に縛りつけられているマスコミのような気がします。

今日はこれまで

2011年4月29日金曜日

天皇陛下

天皇、皇后両陛下が被災地である宮城県へ行かれ、避難所でそこで暮らす罹災した方々にやさしくお声をおかけになっているとか・・・。宮城だけでなく、岩手、福島へもご訪問なさるそうで、何とも恐悦至極の極みです。

恐れ多くも天皇陛下ですので、この国の総理に向けられた怒号があるはずもなく、特に御年配の方々にとっては非常に大きな喜びであるとともに、これ以上はない励ましの意味もあると考えられます。

日本には、天皇という権力とは無縁の日本の象徴と権威の源としての存在があって本当に良かったと思います。

週刊誌の見出し記事によれば、これまでの被災地訪問で、被災者があぐらをかいたままだったとか、携帯で写真を撮っていただとか、不敬にあたるのではないかと思えるようなこともありますがね。また、帽子をかぶったまま陛下と会話する人もいて、さすがにいただけないと思いましたが、ああいうのは注意したほうがいいと思うけど。結構な年の人でしたよ。礼儀を知らないのは年齢に関係ないですね。

僕なんか、想像するにおそらくお顔をまともに見られないのではないかと思いますね。

今日はこれまで。










2011年4月28日木曜日

現代の小泉八雲・・・

読売オンラインの記事(4月27日)によれば、コロンビア大学名誉教授にして、著名な日本文学者ドナルド・キーンが、日本に帰化することを表明したそうです。御歳88歳のご老人。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000429-yom-soci

キーン氏は「災難を前に、『日本国民と共に何かをしたい』と思った。自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった」と決意へ至る思いを強 調。「日本は震災後、さらに立派な国になると信じる。明るい気持ちで日本へ移る」と語った。9月までに東京・北区の住まいに移るという。
現代によみがえる小泉八雲のようですね。彼は「日本という女性と結婚した 」と言っています。僕は単純に「うれしい」と思うばかりです。そして、人生の不思議さを考えざるを得ません。彼はアメリカの対日戦の戦略「Know your Enemy」の中で(下記参照)、日本語のできる語学将兵として養成されたわけですが、それが戦争終了後も、今度は日本の文学研究者として彼のその後の人生を決めることになるわけで、彼が人生の終の棲家を日本に求めるなど、まことに不思議な縁であったとしか言いようがありません。

「Know your Enemy(汝の敵を知れ)」
http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/12/know-your-enemy.html

一体日本の何が、日本人の何が、彼をして人生の最後を日本人として迎えたいと決意せしめたのか、きっとそれはここで何度も述べてきたベルツ博士の感慨「日本人とは驚嘆すべき国民である」というものであったと思います。



今日はこれまで。


2011年4月27日水曜日

コンクリートが命を守った・・・

「コンクリートから人へ」

とかいう標語を民主党が使ってますね。正しくは「ました」かな。もうこんなことは言わないでしょう。津波で甚大な被害を出した岩手県沿岸ですが、普代村という村は高さ15mもの防潮堤が津波の被害から村を守ったのだとか・・・。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/284074.html

当時の村長の大英断ですな。40年に渡って村長を務めたらしいですよ。今その村長の墓前には多くの花が手向けられているとか。何でも相当な反対もあったらしいです。「そんな高さのものは無駄だ」とかね。ところが、その村長は過去の津波の経験から、何としても村を守りたいと考え、そのためには絶対に高さ15mが必要だと頑として譲らなかったといいます。対して、周辺の自治体は「景観を損ねる」とかいってその高さのものを作らなかったらしい。

100年に1度とか、1000年に1度とかいうことは、今から100年後、1000年後ではなく今この瞬間、明日にでも起こりえることです。 そのために備えた設備がその高さの防潮堤だったわけですね。

もう民主党もそんな冒頭のようなふざけた標語は使うのはよした方がいいよ。「人」を守るには「コンクリート」が必要なのです。















2011年4月26日火曜日

ゴーストタウン

その開設の頃から見ていた「DASH村」が実は福島県浪江町にあったらしく、計画避難区域に含まれているということを、昨日の鉄腕DASHで知りま した。あの村は福島のいわき近辺らしいということは知っていたのですが、原発の避難区域に含まれていたとは・・・。結構楽しみに見ていたシリーズでした し、地元の様々な「職人」がでてくるので、非常にためになった。娘もがっかりしてました。

避難区域に置き去りにされた家畜もいよいよ殺処分になるらしいですね。何とも言葉がありません。むごいことです。

津波ですべてが流され、今は瓦礫の山となった地域でも、そこには思い出を探そう、または新しい一歩を歩みだそうと、歩き回る人びとの姿がありますが、原発の避難区域ではまさしくゴーストタウンのごとく、一切の人影はみえない不気味な様相です。ほんとに恐ろしい・・・。

原発の影響で避難している人びとの1日も早い帰宅を願わずにはいられません。

今日はこれまで。







2011年4月25日月曜日

痩せ我慢

昨日(24日)の日経記事によれば、政府は第1次の補正予算案の中で、ODAを大幅に減額することを決定したらしいです。この震災の影響で、2011年度に、海外から受けた援助額は日本が世界第1位になるらしいです。驚くほかありません。日本への援助を申し出た国の中には、アフリカやアジアの発展途上国も含まれているとのこと。

「日本から受けた恩を今こそかえすべき」

という心持でしょうか。

今現在日本のODAの額は世界第5位らしいですが、それをさらに減額して国内の復興財源に充てようというのでしょう。この記事を書いた記者氏は、「今こそ痩せ我慢を」としてODAの額を減らすべきではないと主張しています。こんな時だからこそ、かわらず発展途上国への援助を行うべきだというのです。なるほど、いいことをいうなぁと感心しました。

この記者氏、返す刀で巨額の子ども手当をもらい続け、巨額の追徴課税金を即座に収めた鳩山前総理に対して、「義援金を送ったのだろうか」と文章を締めくくっていました。それも当然の思いでしょう。僕も前にここで書きました。

件の前総理は、この記事を読んでどう思うでしょうか?

今日はこれまで。





2011年4月24日日曜日

関東大震災後には・・・

以前、「昭和の終わり」と題して、永井荷風の詠んだ歌を紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/02/blog-post_10.html

彼は震災後に、 

江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ

と、こう詠んだのですが、彼の有名な「断腸亭日記」には次のような記述があります。

大正十二年十月三日。快晴。(中略)銀座に出で烏森を過ぎ愛宕下より江戸見阪を登る。阪上に立つて来路を顧みれば一望唯渺茫たる焦土にして房総の山影を遮るものなければ近く手に取るが如し。帝都荒廃の光景哀れといふも愚なり。されどつらつら明治以降大正現代の帝都を見れば所謂山師の玄関に異らず愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば灰燼となりしとて決して惜しむに及ばず。近年世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし有様を顧みればこの度の災禍は実に天罰なりと謂ふべし

この日記を引用した元本である「昭和精神史」の著者桶谷秀昭によれば、「彼の日記にみられる、風俗や国家、社会の動向にたいする、しばしば激烈な憤懣や痛罵は、荷風の規範が発する声であって、思想的関心からのものではない」のだそうですが、関東大震災を「天罰」と言っていますね。この頃、同じ「天罰」という言葉を使ったのが渋沢栄一だったらしいです。

石原慎太郎が震災直後にその言葉を使い、猛烈な批判を浴びて直ちに撤回、謝罪をしましたが、僕は彼がその言葉を選択し、使用したという心持は何となくわかる気がします。おそらくここで紹介した荷風と同じようなものだったのではないでしょうか。あくまでも思想的な意味でです。

 世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし

ということに加え、石原をして「天罰」と使わしめたものは、国家意識やら規範の希薄、大衆迎合に堕した政治の状況等、国家社会への関心からでしょう。

荷風の美的関心とは次元が異なりますね。どちらがいいということではありません。ただその立脚点が異なるということを言いたいだけです。

今日はこれまで。

 

2011年4月23日土曜日

正気ではない・・・

日経19日の記事です。僕は、正直日経は気が狂ったと思いました。このデフレの経済状況下にあって、自由貿易の恩恵を述べ立ててTPPへの参加を急げとは、一体いかなる考えによるものなのか。

 

経済復興のためにもTPP参加を急げ


2011/4/19付

東日本大震災の影響で、日本にとって長期的に重要な経済政策への取り組みが先送りされている。その典型が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加問題だ。6月までに政府として判断を下す予定だったが、検討作業は止まったままだ。

日本は自由貿易の中で生きていく国である。その立場は、震災が起きても変わらない。むしろ経済復興のために、世界とのつながりを一段と深めなければならない局面だ。

僕は、正直日経は気が狂ったと思いました。このデフレの経済状況下にあって、自由貿易の恩恵を述べ立ててTPPへの参加を急げとは、一体いかなる考えによるものなのか。おそらくきちんと考えたわけではなく、ただ単に「自由貿易」という言葉だけで物事を考えているに過ぎないことがわかりました。続く記事にこうあるからです。
 

その韓国は、既に米国や欧州連合(EU)と自由貿易協定(FTA)交渉を終えている。米欧との協定がない日本より、関税などの面で有利な立場だ。世界の企業が部品の調達先の見直しを進める中で、日本の地位が奪われかねない。

FTAはTPPのように例外なき自由化を求めておらず、関税品目を設けることが可能です。その点で例外を一切認めない全くTPPとは異なります。どの国でも、国内産業保護のための保護貿易(関税)と自由貿易を節度をもって運用しているので、そのふたつは相反するものではありません。日経は、まるで対立するかのような書き方です。

それに、百歩譲って米欧とのFTAならいざ知らず、米国以外は日本への圧倒的な一次産品の輸出国だらけのTPP加盟交渉国との、自由貿易下でのメリットをぜひとも教えてくれ。


大津波に襲われた地域の農業を再建するうえで、農地の集約など生産性を高める仕組みが欠かせない。政策次第で、自由化に耐えられる強い農業を東北に築くことができる。菅政権が設立した復興構想会議は、そのための道筋を議論してほしい。 


日経は、

政策次第で、自由化に耐えられる強い農業を東北に築くことができる

いいます。本当でしょうか?ただ希望的な可能性を言っているだけにすぎないのではないかと僕などは思ってしまう。もしそうならなかったらどうするんだ?日本の農業は壊滅するぞ。
大体、このデフレ下で海外からさらに低価格の製品が入ってきたら、デフレ圧力はさらに増すのではないか?それでもなお「自由貿易」という言葉を使う意味は何だ?自由貿易がすべての恩恵を生む万能薬だと思っているとしか思えない。でも、それは真実なのか?

今日はこれまで。
 

2011年4月22日金曜日

言葉も出ない・・・

あきれ果てて言葉も出ない・・・。

何のことかと言いますと、菅総理が原発からの避難所を訪れて、そこで生活を余儀なくされている人から怒号を浴びせられたというニュースを見ての感想です。

全くアホかと思います。今、この時期にのこのこ避難所を訪問したら、住民から怒号を浴びるのは極めて当然のことです。最低最悪のパフォーマンスですね。訪問をやめさせることを進言する側近はいなかったのでしょうか。いや、おそらくは止める人がいても、自分の立ち位置がわからず、誠意をもって説明すればわかってくれるという、あまりにも子どもっぽい考えが、彼を縛っていたため、側近の声を聞く耳を持たなかったのかも知れません。もちろん、誠意を見せるのは大切です。ただ、それも時と場合と、「人」によりますね。もう数々の失政を騒ぎたてられる彼では、それを見せ、わかってもらえるには相当なことをしなければなりません。まあ、罵声を浴びせられなかったことだけを喜びなさい。

現地を訪問するよりもあなたにはもっとやるべきことがたくさんある!

ホントにこんなアホな人間を総理に頂くとは…。

あきれ果てて言葉も出ない。

今日はこれまで。






2011年4月21日木曜日

No Music No Life

毎日このブログを更新することを自らに課していたら、ひとつ気がつくことがありました。本日は年が明けてから111日目です。この右横、ブログアーカイブの数字で明らかです。もう111日も経過したのですね。ホントに早いわ・・・。

先日、深夜の運転中にラジオからユーミンの「春よ来い」が流れていました。ちょうどその数日前、「桜」で連想する歌を人に尋ねて、返ってきた答えにその歌が含まれていました。改めてその歌を聴き、実に心に染みました。歌詞、メロディともにです。あれは名曲ですな・・・。

そういえば、ここのところほとんど音楽を聴かなくなったことに気が付きました。口ずさんだりはしてますが、音楽を流しながら何かをするということすらしなくなったことに気が付いたのです。

ユーミンを聴いて、またしみじみと思いました。No Music No Life・・・。

音楽のある生活を再び!


今日はこれまで。









2011年4月20日水曜日

勿体ない話

またまた新聞記事の話。今日は日経最終面「文化」からです。

4月17日日曜日ですが、中野三敏という日本文学研究者、九州大名誉教授の書かれたものです。同氏は江戸時代の洒落本や戯作本の研究者者です

彼はこう言います。

「日本の夜明けだ」という坂本竜馬の決め台詞から透けて見えるのは、それまでの日本の社会は真っ暗闇であり、それはそのまま江戸時代が暗黒の時代だったということの裏返しともなる。明治以降、それが江戸時代のイメージとしてすっかり定着し、それは戦後いっそうに強固なものになってしまった。そのため、江戸研究の世界が近代社会から何がしかの要請を受けるなどろいう事態は、殆ど起こり得ないのが常態であった。

ところが、その風向きは平成になって徐々に変わってきたというのです。

いわば、”近代”という言葉の持つ値打ちが、あらゆる局面で極端に下がり始めた。それどころか近代の歪みやひずみの指摘こそが社会の急務となり、その正当な方法として、従来最も非近代的と烙印を押されてきた江戸時代にこそ、何かのヒントがある筈とされるようになったように思う。

そして、次のように続けます。

江戸三百年の平和は、間違いなくそれ以前から蓄積された日本文化の凡てを熟成させ、あらゆる領域で江戸モデルの文明を結実させたと言える。

彼がいうには、総数で百万点にも上る江戸時代の洒落本、戯作本の僅か1%程度しか活字化されておらず、しかもその1%も明治以後の「近代」という視点から評価されたものだとすれば、残りの99%にこそ大事なものが埋まっている筈だと。

僕は、彼の言う洒落本、戯作本がいかなるものなのか、そしてそれを読める能力もありませんが、彼は、草書体の漢字とくずし字の仮名を読める能力さえあれば、99%の残りはそのまま宝の山となるというのだ。今はその99%がごみ同然になっているので、題して「勿体ない」・・・。

僕にはとても興味深い、筆者のいう「和本リテラシー」ですが、僕が大なる賛辞を彼にささげたいと思うのは、江戸時代の見直し、それも「近代」からさかのぼった視点ではないそれにあります。

日本史の時代区分として、弥生時代から古代国家の形成に至る過程を「古代化」と称する人がいます(佐原真)。同様に、戦国時代から江戸時代の初めまでを「近代化」とし、それ以後を「近代」と区分する人もいます(尾藤正英)。大雑把にわけると、日本の歴史は戦国時代を挟んで古代と近代の2つに分けられるというのです。

内藤湖南という戦前を代表する歴史学者が、日本の歴史を「応仁の乱前と乱後では、まるで外国ほども様相が異なる」と述べてており、また日本語の言葉としての歴史でも古代語と近代語に分けられるのが戦国時代らしいので、その意味からも「古代」「近代」の2つの区分が妥当なような気がしています。

このように捉え直すならば、江戸時代は「近代」という枠組みに入るわけで、ただ「西洋化」していないそれのひとつのモデルとなりえるのではないかと思います。

今日はこれまで。

2011年4月19日火曜日

東北・関東で大地震 番外編その9(絆)

「今年の漢字はもう『絆』で決まりだね」

と、女房が突然言いました。うん、まさしくその通りになると思います。

日曜日(17日)のニュースですが、長渕剛が、被災地とともに救援活動にあたる自衛隊の松島基地へ慰問したとか・・・。

テレビの映像でみると、なんとも感動的なミニライブでした。彼は立ち並ぶ自衛隊員に向かってこう言ってましたよ。

「皆さんの中に日本がある。皆さんは日本の誇りだ。そして僕自身の誇りでもある。」

正直、驚きました。今から41年前にもこんなようなことを言った人間がいたのをご存じですか?

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢見た。

そう、三島由紀夫の檄文の一節です。この両者、言っていることはほぼ同じですね。三島の場合は、自らの観念の中に作り出した自衛隊への願望ではあるのでしょうが、長渕の場合は、観念の世界ではなく、実際に被災地で汗水流して献身する隊員の姿を見てのことです。

1,500人の隊員は、肩を組みながら「乾杯」を長渕とともに合唱し、中にはうっすらと涙ぐむ隊員の姿もありました。気持ちはわかります。傍からみる僕でさえうるうると来ましたからね・・・。

被災地へ炊き出しへいく著名人は多いですが、自衛隊へ慰問へ行くという長渕は実にエライ!もっと彼を見習って、どんどん行ってあげるべきでしょうね。原発処理に奮闘する人びとのところへも是非とも行ってほしい。健康被害におびえながらもほかの大多数のため、いや日本のために日夜奮闘する現場の人びとと、国やら東電やらのまずい対応は全く別のことですのでね。

今日はこれまで。


2011年4月18日月曜日

東北・関東で大地震 番外編その8(募金26万円)

昨日(17日)の読売新聞の記事です。

西太平洋の島国・パプアニューギニアでは、貧しい山あい村落で東日本大震災への募金運動が拡大し、これまでに2,000人以上から義援金約8,000キナ(約26万円)が集まった。児童100人分の年間教育費に相当する額だ

同記事によると、同地に住む日本人がラジオで被災状況を伝えたことがきっかけで始まったという。地元の住民は数百世帯に1台しかないテレビで震災のニュースを見て、その惨状に心を痛めているといいます。

そして、

被災した子どもを預かりたい
水を届けたい

という支援の声が、件の日本人のもとへ殺到したと記事にありました。

いやはや、何とも微笑ましいというか、ありがたいというか、ちょっとその記事を読んだ心象を表現する言葉が見つかりません。本当に善意で「こどもを預かる」と口にしたのでしょうね。でも、想像するに、現地の暮らしは避難所で「電気」も「水道」も不通となった中で暮らす人びとよりも原始的なはず。それを考えると、「人間」という種はどこまで環境に慣れ、それに適応していくものなのかについて考えてしまいます。

文明人が当然として受けとめている生活様式、それがもろくも失われてしまったことへの、喪失感やらなにやらの感傷は、パプアニューギニアで暮らす人びとにとっては、「?」でしかないと思います。

いや、とにかく今回の事態は、日本一国のみならず世界中の人びとからも注視されている世界史的な出来事なのだということをあらためて実感しました。

今日はこれまで。

2011年4月17日日曜日

米軍へARIGATO

本日(17日)の読売新聞に、被災者が宮城の海岸でマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表したという記事が出ていました。

仙台空港を復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が明らかにしたことです。

米軍は史上最大、空前絶後の支援作戦を発動し、規模を縮小したといはいえ、今なお自衛隊と共同で支援を行っています。とくに、当初のその作戦司令官は在日米軍トップであったのが、ほどなく格上げされ、太平洋艦隊の司令長官となったこと。米軍の本気度と、その支援規模の大きさがわかるとういうもの。福島原発では放射線事故の専門家集団である海兵隊の部隊も投入を控えているようです。

その司令が次のように話したらしい。

驚いたのは、自分たちも被災しながら日夜復旧の努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に言いたい。

しつこく繰り返すようですが、これなどほんとに「逝きし世の面影」で描かれたかつての日本の文明に驚いた外国人の言葉と同じです。

「東北」というのは、この国の歴史にとって特別な意味のある地域。そこで暮らす人びとが見せた、昔と変わらぬ姿を、その地域を「特別」なものにしてしまった「中央」とその「権力」の周縁に住む人びとは再現することができるのでしょうか。

今日はこれまで。





2011年4月16日土曜日

いつの間にか・・・

桜が散ってしまって、花吹雪の残骸のみが道に敷き詰められているようになってしまいました。
昨日、一昨日と気温がかなり高くなり、昨日は半そでで過ごしました。

もう20年近く前のことですが、GW前に会社へ半そでで出勤したところ、

「今から半そでで夏になったらどうすんだ」

と上司に言われたことを覚えています。今では、GW前に半そでは何の違和感もありません。つい先週までは暖房をつけていたのに、今は窓が開け放たれ、春のにおいを部屋の中にまで入れ込んでいます。日本の「四季」という明確な区別は既になくなりつつあることを感じます。

新聞は、未だに震災の大きな傷跡に紙面を割いていますが、最近頻発する余震には慣れっこになってしまっています。ただ、ひとつ異なることは原発を真っ先に考えるようになったことです。死者・行方不明者の総数は25,000人を超えました。阪神大震災の時とは違い、初動の救助体制が批判されることはなかったですが、原発問題にかかりっきりになり、生き残った人びとへの対応が後手に回ったことが批判されています。

そろそろ、政府のこれまでの対応が批判の俎上に上り始めたように思います。石原慎太郎は、民主党を「未熟」な集団と言いましたが、僕もまったくその通りだと思います。「政治主導」と言い募った挙句、官僚らをないがしろにした結果が今の混乱を招いたことも否定できません。

この国のトップである総理に必要なことは、現地視察へ何度も行くことではなく、様々な状況に対して決断して、進むべき方向性を指し示すことです。リーダーシップということの意味を履き違えているとしか思えません。読売新聞によると、政府は消防、警察、自衛隊に対し、「何人救助したか報告しろ」という指示を出していたとか・・・。政府の得点にしようとしたことは明らかです。そんな数字に何の意味があるというのか。官僚組織にとってみれば余計な事務作業でしょう。

僕は自民党政権だったら、もっとましな対応ができた、できているとも思えないです。所詮はこの国の「民意」なるものが選んだ政治家の集団ですので、政治家の体たらくはそのまま民意がそうだということになります。

買い占めに奔走し、根拠のない放射能汚染に神経質になる・・・。この、単に消費者であってそこに一片の「公徳心」のないような人びとが選んだ政治家に今以上の何を求めようとするのでしょうか。

そして、震災によってうやむやになっていますが、この国の総理が外国人から政治献金を受けていたということ、その追及をぜひともやってほしいと思います。前原氏はそれが原因で外務大臣を辞したわけですからね。もし総理へのそれが事実なら、当然のごとく辞めざるを得ません。

今日はこれまで



2011年4月15日金曜日

愚劣 醜悪 身勝手

最初にお詫びを。

昨日の記事「蓮舫」の字が間違ってましたね。「れんぼう」と入力したら「連坊」と出てきたので、その時点で何か違うなぁとは気づいていましたが・・・正しくは「蓮舫(れんほう)」でした。訂正しておきます。昨日こっそり修正しておきました。

さて、昨日のヤフーのニュース記事です。


「子供が心配」福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2千件超

川崎市の阿部孝夫市長が東日本大震災で被災した福島県を訪問し、がれきなどの災害廃棄物処理の協力を申し出たことに対し、2000件を超える苦情が市に寄せられていることが13日、明らかになった。(産経新聞)

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/2011sanrikuoki_eq_fukushima/


この記事を読んで、何ともすごい人間がいるものだと思いました。その数も何と2000人を超えているというのだから驚きです。タイトルにそれらの人びとを形容する言葉を書きましたが、他に形容する言葉が見つかりません。

今なお被災地で不便な暮らしをする人びと、原発の避難区域に指定され、住むところを失って移住する人びとの心痛・・・。さらにいえば、大震災後の世界から称賛された東北人の心性、振舞いと比べてみれば、そこには筆舌に尽くしがたい大きな差があります。

一体、このギャップは何なのでしょう?それに苦情を寄せる人びとは、今現在原発の処理にあたっている人びと、東電社員やその関係者、または警察、消防、自衛隊の決死の覚悟について何ほどかの「感謝」の気持ちすらもっていないのでしょうか。仮に持っているとして、それでもなおその苦情を寄せるのなら、「他人は危険な目に遭っても、自分だけはごめんだ」という、実に身勝手なことと同じことですね。

なんか、憤慨するとかではなくてたまらなく悲しくなるわ・・・。

今日はこれまで。





2011年4月14日木曜日

そういえば蓮舫が・・・

事業仕分けで俎上に上った「スーパー堤防」。

「200年に1度の大洪水を想定してのものが、今の進捗ぺースだと完成まで400年かかる」

とまあ、こんな理由で一刀両断に廃止されてしまいました。彼女の頭の中には「カネ」のことしかなかったことが明白ですね。アホか!

おそらく、これからは復活の議論が当然のごとく出てきますね。当時の議論で抜けていたのは、治水対策はどうあるべきか、どのように国民の生命・財産を守るのか、それについてスーパー堤防なるものの効果はあるのか否かという、極めて重要なことでした。

それをものの見事に「無駄」の象徴として切り捨てたのですからね・・・。人命・財産を「カネ」との秤にかけたわけだ。

あまりにも思いあがった妄想でしょう。ホント、そろそろ自分の発言の責任をとって即刻辞任するがよい。

今日はこれまで。

2011年4月13日水曜日

小泉純一郎という男

ついこの間から、日経「私の履歴書」はジョージ・W・ブッシュとなりました。

これまでのところ、大して面白い内容はありませんが、12日火曜日には当時の小泉純一郎首相とのエピソードが出ていました。

今日はその小泉純一郎氏の話を・・・。

彼が総理だったころの支持率の高さに対して、僕は非常に違和感があった。彼を批判する声は少なくなかったが、その理由の大半は「紋切り型」「ワンフレーズ政治家」とかいうもので、言葉を駆使して条理を尽くして説明すべき政治家が、いつもキャッチフレーズしか口にしないというものだったと思います。

僕にとって、そんなことは大した問題ではなく、僕は彼の件で忘れられないことは、海部内閣時代だったかな、彼が郵政民営化を声高に主張しているにも関わらず、時の総務省長官に就任したときの彼の主張でした。

日本の青年の血は一滴たりとも海外では流させない!

彼は、例の調子でこう絶叫していたのです。 要するに自衛隊の海外派兵はまかりならんという主張だったのです。確か、カンボジアでのPKO派遣を巡って国論を二分する議論の真っ最中です。当時の僕は、日本人以外の青年の血は流れてもいいのか?とその身勝手な主張に大いに憤慨していました。

ところが、彼は総理に就任して、自衛隊を初めて海外へ送り、左翼のいう「自衛隊の海外派兵」への道を開いたのです。彼が前言を撤回したのか、僕は寡聞にして知りません。

自分の言動が間違っていたなら、それを言わなかったことにするのではなく、きちんと反省の弁を述べるべきでしょう。それがないまま、アメリカとの同盟強化だ、個人的な友情関係だとか言われても全く信用する気にはなりませんでした。

その挙句が「規制緩和」と「構造改革」で、この国の労働慣習までぶち壊してしまって、長い長い不況を抜け出せぬ状態で、世界の経済成長の流れからひとりおいてきぼりをくった始末・・・。

これは、前に書きましたね。「凋落する日本」と題して。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/02/blog-post_19.html


もう政界を引退しましたが、僕は彼がどうも好きになれない。そして、僕の好きになれぬ政治家に向けられる世間の人気とのギャップに今でも戸惑ってしまう。

今日はこれまで。


2011年4月12日火曜日

ある市議候補と・・・

統一地方選前半が終わりました。

地元市議会の新人、民主党公認候補にこのブログをちょこっと紹介しました。

「民主党の悪口をたくさん書いてますが・・・。」との前置きに、

「いろいろなご批判はきちんと受け止めて」という模範回答でした。


その後、ふと思ったのですが、僕がなす民主党への批判は、批判ではないのです。もっと根深いものへの違和感なのです。いうならば思想、世界観、人間観の相違なのです。したがって、たとえ彼がいった「きちんと受け止める」ことをしたとしても、どうなるものでもないのです。

「生まれ育った地域のために一生懸命働きます」として政治家を目指す、その志やよし!しかし、問題はその手段であって、その自分の志を実現するために自らが選んだ政党が「民主党」だったという時点で、僕の評価はマイナスですね。

今の世の中、真正「保守」などどこにもないのかも知れませんが、民主党は保守政党ではありませんね、まちがいなく。今生きている人間がこの社会を理想的に設計できるなどという考えを抱いているとしか思えません。いわば、社会民主主義政党です。ぼくにいわせれば、そんな考えは妄想でしかない。

それはまさしく国家観、社会観、人間観の相違ですので、決して主義主張は交わることはない。

そういえば、彼にはこんなことも言いました。

「政治なんてものは人間の生活のほんの一部分でしかないのに、政治・政治と騒ぐ奴の気がしれない。民主主義教育などという言葉があるが、たかだか政治の一形態にしかすぎないものを、教育という人間をつくるものに冠することを、誰も不思議に思わないのが不思議だ・・・」

彼がどう受け止めたかはわかりません。

残念ながら、彼は落選してしまったようです。


今日はこれまで。


2011年4月11日月曜日

東北・関東で大地震 番外編その7(1か月)

 今日は、毎日新聞4月7日の「余禄」からご紹介したいと思います。

我々文芸家にとって第一の打撃は、文芸ということが生死存亡の境においては、骨董書画などと同じように、無用の贅沢品であることを、マザマザと知ったことである。


これは、関東大震災で被災して、寝食に不自由した菊池寛が記した言葉だそうです。菊池寛は、文芸春秋社の創始者、芥川賞、直木賞を始めたことででも知られています。

確かに、生きるか死ぬかの瀬戸際では文芸は無用の贅沢品であるのでしょう。

一方で、「余禄」は文末に芥川龍之介がその同じ時期に記した言葉を紹介しています。

芸術は生活の過剰だそうである・・・しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ・・・過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。

芥川龍之介の文筆家としての矜持ですね。

震災後、1か月を経過したのに未だに被害の全貌は明らかにされず、行方不明者も多くいます。そして、膨大な数の避難所暮らしをしている人びと・・・。

それを思えば、浮かれることなど控えなくてはならないと思うことは当然のことですが、今一度考えてほしいのは、生活の過剰を作らねばならないといった芥川の言葉です。生活の過剰とは、なにも物的なものだけを言っているわけではありますまい。日常を日常あらしめるものは、やはり精神の働きが必要だろうと思うからです。

面白きこともなき世を面白く

と詠う高杉晋作の後を継いだ下の句は

住みなすものはこころなりけり


でした。


いたずらに下を向くばかりでなく、ときには上を向いて大笑しよう。そして、自らの心の中に「過剰」を作り出そう。

今日はこれまで。


2011年4月10日日曜日

3.11(さんてんいちいち)

先月の災害、政府が「東日本大震災」と名付けたところの未曾有の事態は、「3.11」と奇しくも、アメリカの同時多発テロと同じ日付となり、その世界に与えた衝撃は同じようなものとなったと感じています。

「想定外」という言葉が乱用されてます。

これ、実は嘘ですね。「コストがかかるからそこまではできなかった」という言い訳です。要するに1000年に一度の津波を想定しては防災を考えなかった、そこにはコストという貨幣価値が人命よりも勝っていたことを表しています。それをまざまざと見せつけられたことが今回の災害だったと思います。

言っておきますが、僕は人命が何よりも勝る価値とは思っていませんが、それがたかだか「カネ」と比べられることには、思想的に考えても「否」と言わざるを得ません。

この災害、そしてそれに身を処した日本人たちの、思想史的な総括が是非とも必要だと思います。

今日はこれまで。



2011年4月9日土曜日

桜に託するもの その2

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

この在原業平の歌は有名ですね。


桜も満開になってきたようです。折口信夫ではないですが、僕も「桜」には悲しいイメージがあります。この国に大東亜戦争の歴史があるからです。その悲劇は、僕の心の中で「桜」の花に投影されるからです。

同じ花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため

「同期の桜」という軍歌の歌詞にこうあります。軍歌といえば、士気を鼓舞するものなのに、この物悲しい歌詞と、それを奏でる曲の悲しさは一体どういうことなのでしょう・・・。




敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花

本居宣長のこの有名な歌ですが、これは、逆しらな「漢意(からごころ)」を排し、すべてにつけて自ずからなる「大和心」を尊んだ宣長が、それを桜に託したものです。

さくらさくら今咲き誇る
刹那に散りゆく運命としって

最近の歌謡の歌詞にもこうあります。


最後にもう一つ。西行の歌を

願わくば花のもとにてわれ死なん その如月の望月のころ


今日はこれまで。

2011年4月8日金曜日

孫正義という人物

ちょっと古い話になってしまいます。

孫正義が個人資産100億円を震災孤児のために使ってほしいと寄付し、そのうえ半永久的に役員報酬の全額を寄付することを表明したとか・・・。
正直、涙が出るほど感激しました。売名行為でできる金額ではありません。

本当に本当にすごい!

彼が率いるソフトバンクを応援したくなった人はかなりいるのではないでしょうか?

考えると、ソフトバンクという会社は今でこそ、通信キャリアの会社として知らぬ人はいませんが、15年ほど前までは、一体何の会社なのかよくわからないような会社でした。僕のイメージではPCソフトの解説本を売っているような、そんな感じの会社でしたが、YahooBBの「無料モデム」の配布によって一躍急成長したような会社です。

こういうのが「戦略」というのです。モデムの無料配布をやっていたころは、ほとんどがその商法を批判的に見ていました。ところが今はどうですか。携帯キャリアの一角として、しかも球団までも持つ会社にまでなりました。最初は皆が「そんなバカな」といい、それが成功すると「なるほど」と皆納得するもの、それが「戦略」です。これ何度も書いているな・・・。

こういう、孫氏のやってきたことは、決して「戦略」の教科書ではでてこないものだし、そもそも教科書に書けることは「戦略」とは呼ばない・・・。

孫氏が思いつきと決断と実行力が結実したものともいえるでしょう。戦略というのは、強いて言うなら経営者の頭の中にあるものです。


日経や政府は不用意にその言葉を使うことを慎んだほうがいい。



そういえば、脱税の追徴金、数億円を即座に支払った目の虚ろな人は、即座に10億円くらい寄付したんだろうな・・・。

少し前、黙って寄付をするタイガーマスク=伊達直人が現れました。漫画の中でタイガーマスクが寄付するのが、「みなしごハウス」という名前でしたね。むべなるかなと思いますが、肉親の愛情に恵まれず、施設で育つ子どもたちの大学へ進学率は、一般家庭で暮らす子どもたちと比べて低いのです。学力の差もあるのかもしれません。塾へはいけませんからね。でも、もっとも大きな理由は経済的な理由です。

経済力によって、学問への道が閉ざされるような社会では断じてあってほしくないと思います。かつては、「篤志家」というのがいて、学力優秀ながら貧しくて上級学校へ進学できないこどもの学費を出してくれるような人が日本全国にいたのですがね・・・。孫氏はそういう、この国にかつて多くいた日本人の替わりを務めてくれているようなものですね。


今日はこれまで。







2011年4月7日木曜日

31,690人

少し前に「数」というタイトルで書きました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/03/blog-post_30.html

今日はその続きかもしれません。


タイトルの数字は、平成22年の日本の自殺者数です。

10年以上に渡って3万人を超えているんだとか・・・。しかも、人口10万人当たりでみた自殺率では、G8、OECD加盟国の中で断トツの1位、世界全体でみても第4位という高水準らしいです。

「死をもって償う」という心性や、さらには「切腹」というものが儀式化した日本と、他の世界各国との「死生観」を比較することはあまり意味を成さないと思いますが、この3万人という数字は非常に大きな数字だと思います。一昔前、交通事故の死者数が1万人を超えていたころは、毎年「日清戦争」の戦死者数よりも多い人が交通事故で亡くなっていると思っていたのですが、自殺者数はその3倍ですからね。

2003年に始まったアメリカの対イラク戦争の戦死者数総計、丸7年経過しているわけですが、その数は33,000人なんですよ(出所:http://www.antiwar.com/casualties/)。ほぼそれと同じ人が毎年この国では命を落としていることになります。何とも驚くほかありません。

ちなみに、この公式な戦死者数ですがトリックがあります。これはあくまでも軍人の死者数なのです。戦場に軍人以外の民間人がいるわけがないと思うかも知れませんが、実はアメリカ軍にはそういった後方支援を民間の会社に業務委託しているのです。たとえば、食事を作ったり、食料を輸送したり、基地周辺を警備したりということですが、この業務委託先の戦死者はその統計には含まれないのです。なぜなら軍人ではないから。

今回の震災の死者・行方不明者の多さにはホントに愕然としてしまいます。一瞬のうちの出来事ですからね・・・。

今日はこれまで。

2011年4月6日水曜日

東北・関東で大地震 番外編その6(ともだち作戦)

ともだち作戦

という語感で、僕はどうも「20世紀少年」を思い出してしまいます。「Operation Friend」ではなく、「Tomodachi」という日本語を使っているのですよね。

史上空前の日米協力体制が敷かれているのだとか。沖縄駐留の海兵隊も瓦捜索活動だけでなく、礫の撤去やら、後片付けの掃除やらまでしてくれているようで、本当にありがたいことです。

「米軍兵士の集団を見たときには涙が出てきた」

と、被災して孤島になってしまった島の住民が感想を述べたことが読売新聞に出ていましたが、まさしくその通りに感じたのだと思います。

自分が困っている時にどれだけ手を差し伸べてくれるかどうか、それが友達だと思います。その意味で、米軍の作戦名は非常にいいなぁと感じています。もちろん、米軍の真意にはもっと冷静で、計算されたものがあるとは思いますがね。

世界中から寄せられた寄付金やらメッセージやら、本当にありがたいことだと思います。

今日はこれまで。



2011年4月5日火曜日

東北・関東で大地震 番外編その5(後藤新平)

「大風呂敷」

彼を語るとき、必ずこの言葉が付けられます。


彼の名前は「後藤新平」。関東大震災後の東京の復興を成し遂げた人物で、彼の構想したプランは、100年先を見越した壮大なものでした。

昭和58年に、昭和天皇は記者会見で「後藤の計画通りなら、戦災の被害は非常に軽かったと思うと残念でなりません」と、後藤の計画を褒め称えたほどです。

児玉源太郎に請われて赴いた台湾でも、その後の満州でも、彼の成し遂げた都市づくりは、今もなおその足跡を残します。

彼は、関東大震災後に内務大臣として入閣し、「帝都復興の議」を9月6日に提出。帝都復興院総裁も兼務し、壮大な都市建設にとりかかろうとします。

しかし、彼の綿密な調査に基づいた計画は、予算の制約もあってすべてを実現することができませんでしたが、東京に今なおそお名称をのこす「昭和通り」などは、彼の描いた都市計画の一端です。

彼は、またこれはと見込んだ人間に対しては、惜しみない援助を与えた人でした。正力松太郎などは、後藤から「返さなくてもよい」と言われたお金を使って読売新聞を再建しますが、後藤が正力に与えたお金は、自宅を担保にした無理な借金だったといいます。

そんな後藤は次のような言葉を残しています。

カネを残すのは下、事業を残すのは注、人を残すのが上。


 
 東北地方の復興には、後藤のような人物が何としても必要だと思いますが、残念ながら後藤ほどの人物は、この国からはいなくなってしまってしまって久しい。




 今日はこれまで。

2011年4月4日月曜日

バザー終わりました

昨日、無事にチャリティーバザーが終了しました。土曜日の暖かさとは一転して底冷えのする寒さの中、約1,500人の方々にご来場いただき、売り上げと募金総額で20万円超という結果!これに青果・果実部門の収益が加わります。

2週間に満たない準備期間の割には、かなりの結果を残せたと思います。計画から準備までずっと関わって、協力してくれた人たちに感謝します。

ありがとうございました。


しかし、確かに商品の提供協力を広く呼び掛けはしましたが、ここぞとばかりにホントの不用品を持ってくる家庭の多いことにはがっかりしました。仕方ないことなのでしょうか・・・。

マー君には2日間にわたって手伝って頂きましたよ。野菜売りを手伝ってもらいました。

ホントにお疲れさまでした。


今日はこれまで。

2011年4月3日日曜日

東北・関東で大地震 番外編その4 (原発)

 原子力大国フランスが、福島原発の処理に乗り出しました。

このまま日本政府の手に委ねていては、自国のみならず欧州全体で「放射能汚染」に対する危険性が喧伝されることを恐れたからでしょう。アメリカとて同様です。

「何やってんだ、日本政府!!!」

というのが彼らの本音。これが、日本のような技術力に秀でた経済大国以外の事故ならば世界の危機感はこれほどまでにはならなかったでしょう。

今後、世界中のメディアは、原発事故に対する日本政府の無策無能ぶりを書き立てると思います。要するに

「日本政府の対応がまずいからこうなったんだ。原子力自体は安全だ」

と言わんがためです。

それをごもっともと拝聴する前に、そういう裏をきちんと知った方がいいでしょうね。彼らには彼らの国益があると・・・。


今日はこれまで。

2011年4月2日土曜日

東北・関東で大地震 番外編その3 (自粛の嵐)

 何でもかんでも自粛、自粛と少々行きすぎのような気がすると思うのは、僕ばかりではないでしょうね。大体、深夜の消費電力は供給不足でも何でもないのに、なぜ深夜に街灯を消す必要があるのか意味がわかりません・・・。節電した電力を、次の日に回せるのならともかく、そんなことは不可能でしょう。未だ通電していない被災地があるから、それに遠慮してるのか?僕もナイターの開催は論外だとは思いますけどね。消費電力のピークを迎える19時前後にかかりますからね。



さてその昔、夏目漱石は、明治天皇ご不例による「川開き」中止や「歌舞音曲御遠慮」という政府の処置を、自身の日記に極めて厳しい口調で書きつけていた。曰く、

天子未だ崩せず川開きを禁ずるの必要なし。細民是が為に困るもの多からん。当局者の没常識驚くべし。演劇其他の興業もの停止とか停止せぬとかにて騒ぐあり有様也。

と書き出した後に、そんなことに政府が口出しするべきではないといい、もし本当に心の底から遠慮したいと思っているのなら、それぞれが勝手に中止すればいいとして、その後に

然らずして当局の権を恐れ、野次馬の高声を恐れて、当然の営業を休むとせば表向きは如何にも皇室に対して礼篤く情け深きに似たれども其実は皇室を恨んで不平を内に蓄ふるに異ならず。


と続けています。


今回の大震災後の自粛ムードは、決して「お上」の要請したことではありませんが、その代わりにそれを暗に広めているのがマスコミでしょうね。自分で自分を縛っている・・・。

そして、「被災地を思ったら贅沢なんて・・・」と勝手に自粛してしまう心根。その気持ちはわからんでもないですが、戦争中の「ほしがりません勝つまでは」という標語と同じですね。

僕らが消費を抑えていたら、日本の国は全体が沈む。まさか、被災地を恨むことにはならないでしょうけど、そのはけ口が鵜の目鷹の目で自粛ムードを破る番組や催しを見つけて抗議をするということになるんじゃないでしょうか。

早く、このムードを打破して、明るく、静かに騒ぐ知恵を出そう。

今日はこれまで。



2011年4月1日金曜日

東北・関東で大地震 番外編その2


 以前、「白河以北一山百文」という記事を書きました。



今回の災害の様子をみると、再びその地理的・歴史的区分を考えざるにはいられません。

「裏日本」という言葉があります。太平洋側の「表」に対して、日本海側の「裏」ということです。明治維新後の近代化へ整備も表が優先され、裏は常に二の次でした。鉄道網の敷設をみると、その差は明らかです。当然、それは近代化=産業化への遅れを意味します。


戊辰戦争で朝敵となった会津藩(=福島県)は、その汚名をすすぐことこそが願いでした。昭和天皇の皇后にかつての会津藩主松平容保の孫娘が選ばれてご成婚されたときには、会津の人々は日清・日露の戦勝よりも喜んだといわれています。

「これで逆賊の汚名が晴れた!」


 天はなぜ、今再び、白河以北にこのような試練を与えたのか?また、「表」、「都」との差をつけんがためか・・・。

昨日の読売新聞には、覚えたばかりのひらがなを使って、いまだ行方不明の母親に手紙を書く4歳の少女の記事が出ていました。涙なくしては読めるものではありませんでした。その少女を一人残し、両親も弟も行方不明なのだとか・・・。そして、父親の携帯電話を「かかってくるかもしれない」と言って、握り締めて離さないそうです・・・。

最近の新聞は、人前では読めませんね。涙が出てくるものばかりです。

同じく、読売新聞の編集手帳では、3月11日以降の日本人はそれまでとは変わった、と書いていました。
「人の痛みと悲しみ」に涙することが多くなったと・・・。

義援金も総額で700億円を超えたとか。そのうち海外からの義援金も120臆円あるらしいです。

1日も早く、被災地の復興が成し遂げられ、全世界に対しての「応援ありがとう」というメッセージを送ることができるように願わずにはいられません。

今日はこれまで。