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2011年3月25日金曜日

偲ぶよすが・・・無常ということ

 確かなことは言えませんが、昔の日本人は誕生日を祝うということがなかったらしい。おそらくその習慣が始まったのは戦後のことでしょう。誕生日よりも命日の方が重要で、より生活に密着していたといいます。そのせいかどうか、僕の父親は自分の両親(僕の祖父母)の誕生日を知りません。

津波に流された自宅の跡地や、瓦礫の下から自らの思い出を探そうとしている多くの人がいることを新聞で知りました。捜索に当たった自衛隊員や、警察、消防の人たちも、その過程で見つかったアルバム等を持ち帰り、1か所に集めてその持ち主を見つけようとしているんだとか。

「家族との思い出まで流されてしまった」

と、家を失っただけでなく、家族や親族、友人たちまで失った人たちは、そう悲痛な声をあげています。アルバムの中の写真は、確かに在りし日を偲ぶよすがになります。しかしながら、明治以前の人たちには思い出を「写真」におさめることなどなかったわけですので、上記のような言葉づかいはまったく想像もつかないと思います。

「だって、お前、思い出は心の中にあるんだろうが・・・」

とでもいい返すかもしれませんね。もしかしたら、彼らの日常の言葉遣いに「思い出」という単語はなかったかもしれませんよ。少なくとも江戸時代には・・・。どうもそんな想像をしてしまいます。過去も、未来もなんら特別なものではなく、ただ「今」しかなかったのが近代以前のこの国の人びとの心性だったと思います。正確にいうと、「今」と「死後」かな・・・。当時の彼らの心性の根っこにあったものは「無常」ということでしょうね。形あるものは必ず壊れ、人はいつか死ぬということを身にしみてというか、当然のこととしてうけとめていたように思います。無常を知る者は真の自由人かもしれません。囚われるものがないからです。


さて、僕はその言葉遣いには何の違和感もないし、その言葉の裏にある絞りだすかのような悲痛な苦しみもよくわかる気がします。が、しかしあくまでもそれは、形あるものにとらわれて過ぎているような気がしないでもない。写真や映像がなくても、僕らはきっと上手に思い出すことができると思うし、それがあるためにかえって上手に思い出すことができなくなっていることもあるのでないかとも思う。





思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。

とは小林秀雄の「無常といふこと」にある一節です。

今日はこれまで。

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