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2011年3月5日土曜日

日経社説(3月4日付け)から

昨日の日経の社説「世界で競える個性豊かな『人』づくりを」には笑ってしまいました。そして、それは徐々に「仮にも日本のクオリティペーパーともいえるものが、こんなレベルの社説か・・・」と悲しくなってきました。

今、日本の教育は転機を迎えている。刻々と変化するグローバル経済の奔流のなかで、世界のさまざまな才能と堂々と競い合える人材はそだっているのであろうか。


記事にはこうあります。言っておきますが教育の目的は古代ギリシャの時代から、現在までを貫くたったひとつのものだと僕は思います。それは、「善き若者」であってほしいという大人の願いから生まれたものです。人間という種がその社会を成立させるための最低限のものを「教育」という中で為そうとしているのです。したがって、教育の目的は刻々と変化するグローバル経済の奔流のなかで、世界のさまざまな才能と堂々と競い合える」ことでは断じてありません。そんなものはあくまでも「善さ」を追い求めた結果に過ぎない。

知識の習得を重んじ、均質な人材育成で集団の力を高めるモデルは、もう通用しない


なのだそうですが、それならばなぜ「日本製」というものが未だに価値があるのか?均質でレベルの高い人材が作りこむ製品だから、それが強みとなり品質が高まり、そこに価値がうまれているのではないのか?

変革を阻む惰性にこそ問題の本質がある。横並び人材の大量生産を脱し、「個の力」をうまく引き出す方向に路線を変えなければならない。


おっしゃることはその通り。ならばまずは日本経済新聞社から「変革を阻む惰性」を脱し、各社横並びの新入社員募集をやめ、かつ条件から、学歴も年齢制限も撤廃したらどうでしょう。

記事で言う「個の力」は噴飯ものです。

ひとつは、「情報を集めて問題の所在を見つける発見力」、次いで「発見した問題を独創的に解決し、新しい価値をつくり出す想像力」、最後に「自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力」なのだそうです。そうして、それを社会的価値にするための道具としてITの技能や、使える英語力が必要だと言っています。

おそらく、この筆者は「名経営者」と呼ばれる人から、その優れた資質を拾い集めたのですよ。したがって、あくまでもその人の資質であって、これを「個の能力」などと一般化はできないでしょう。今の教育システムはそれをすべて阻害しているといいたいのでしょうけどね。

記事の言うことを間に受ければ、MBAを取得すれば、または日経が大好きな「優れた戦略」があれば、その経営者の為すことに間違いはないというようにも受け取れてしまいます。だって、その3つの力があれば、世界と伍して戦えると言っているのですからね。

そんなわけないだろ・・・。


そういう薄っぺらい解釈しかできず、人間存在の価値とか、人生の意味とか、そういう形而上の事を考えることすらできない人間が、この国には今うようよいるのですよ。そんな人間に何ほどかの技能を与えたって「個の力」なんぞ身につくわけがないだろう。


一昨年TOCICOを東京でやった時、ICOの事務局長が連れてきた彼女の教え子の大学生(皆アメリカ人)をみて、小笠原さんが「彼らはなぜ一人一人キャラがたっているんでしょうね?日本の大学生にはそんな奴まずいないですけど」と僕に話しかけてみました。彼は「キャラが立つ」という言い方をしましたが、おそらく「個の力」の差というのは、そんなところに明確に透けて見えるものだと思います。日本は完全に負けてますね。

ただ、これは日本の大学生の責任ではなく、社会全体の持つ空気、社会の意思みたいなものが大きく関係していると思います。ですから、現状を脱しようと考えるのなら、「個性をのばす」とかいうことではないのですよ。

それを「発見」できないこの執筆者は、自身の書いた「個の力」のうち、最初の一つを欠いていることになりますな。

今日はこれまで。

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