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2011年3月17日木曜日

東北・関東で大地震 その6

地震から7日目。奇跡的に命を取り留めた人たちには、今度は飢えと寒さという二重苦が襲っています。避難所から家族を捜して連日瓦礫の山を歩く人の様子がテレビに映し出されています。

「私とこの孫だけをのこしてくれました」

インタビューに答えた年配の女性は、このように答えていました。「のこしてくれた」と・・・。

市井の一庶民であろう「普通」の年配の婦人の口から出た、この何ともいいようのない言葉。残念にも、悔しくも、他の肉親の命は奪われたが、幸いにも、「天」あるいは「神」「仏」は自分とその孫を地上に「のこして」くれたと、感謝しているようです。決して不運を嘆くでもなく、誰を怨むでもない、その運命を甘受するかのような、そんな言葉づかいに頭がさがります。

これぞ、日本人の心性なのでしょう。ホントに素晴らしいと思います。





被災日本人のマナー、米紙が称賛

読売新聞 3月15日(火)15時47分配信
【ロサンゼルス=西島太郎】米ロサンゼルス・タイムズ紙は13日、東日本巨大地震を取材中の特派員電を掲載、「非の打ち所のないマナーは、まったく損なわれていない」という見出しで、巨大な災害に見舞われたにもかかわらず、思いやりを忘れない日本人たちを称賛した。

記事は、足をけがして救急搬送をされた年配の女性が、痛みがあるにもかかわらず、迷惑をわびた上で、ほかの被災者を案じる様子などを紹介した。

 読売オンラインの記事です。


 今日は、彼らが驚嘆し、賞賛する日本人の秩序、それを維持するための礼儀正しさと、他者への思いやりについての分析を、再び外国人から語ってもらいます。


 エドウィン・アーノルドは、1889年(明治22年)に来日し、麻布に家を借りて娘と住み、91年1月に離日しました。彼の語るところはこうです。

都会や駅や村や田舎道で、あなたがたの国のふつうの人びとと接してみて、私がどんなに微妙なよろこびを感じたか、とてもうまく言い表せません。どんなところでも、私は、以前知っていたのよりずっと洗練された立ち振舞いを教えられずにはいなかったのです。また、ほんとうの善意からほとばしり、あらゆる道徳訓を超えているあの心のデリカシーに、教えを受けずにはいられませんでした

彼は、日本人の礼儀正しさ、マナーの良さという際立った特徴の本質を見抜いていたと渡辺(「逝きし世の面影」)は言います。アーノルドによれば、それは

この世を住みやすいものにするための社会的合意


だというのです。彼の言葉をもう少し続けます。

日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、「やかましい」人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、もっとも下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけることができないのである。


この国以外世界のどこに、気持ちよく過ごすためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動をかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心―この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか。


生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している


この外国人が、賞賛の限りを尽くしたといっても過言ではない対象は、間違いなく僕らの父祖であり、その父祖の祖先が築き上げてきた社会なのである。冒頭に紹介した「普通」の年配のご婦人、読売オンラインの記事の最後に出てくるこれまた「普通」の年配の女性が示したものは、まさしくアーノルドが述べたこの言葉に出てきます。


渡辺京二は、次のようにいいます。

私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持ちのよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表れていたのは、故なきことではなかったのである。




最後の部分は少々説明がいりますね。幕末から明治にかけて来日した外国人は、皆日本人の印象として、「陽気」「明るい」という形容詞を使っているのです。そして、それは社会の下層で顕著に認められると・・・。その理由を最後に述べたわけです。

ちなみに、このような社会をつくりあげたのは、言うまでもなく僕らが「身分制社会で庶民は貧しく虐げられていた」と教科書で習う江戸時代です。そのいかに間違っているかは、このことだけでも明らかです。虐げられた庶民が、外国人にそのような印象を与えるわけがありません。


明けぬ夜はなく、時の癒さない悲しみはない。

月並みな言葉ですが、ホントに頑張ってください。あなた達の普段と変わらぬ極めて「普通」な振舞いにさえ全世界が注視し、そしてこう思っているはずです。

「日本人とは驚嘆すべき国民である」と・・・。

今日はこれまで。

出所:「逝きし世の面影」渡辺京二著 平凡社ライブラリー


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