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2011年3月20日日曜日

東北・関東で大地震 その9

 地震の影響ですが、いろいろ初めて目にするものが多いこのごろです。先週からガソリンスタンドの大行列を目にすることが多くなりましたが、2,3日前には開店前のガソリンスタンドの大行列を初めて目にしました。1kmはある車列でした。開店を待つ人は、正確な開店時間と、ガソリンの入荷時刻の情報を知っていて並んでいるのかどうか・・・。

近所のガソリンスタンドでは

「会員のみ給油できます」

という看板を多く目にします。会員以外は給油できないということ。皆が困っている時に、会員のみ対象のサービスを提供し、それ以外の人を締め出すというのは僕にはどうも納得できない。

「会員以外でも、会員になってくれれば同様のサービスを受けられます」

ならばわかるのですが、実際はどうなっているのか?

僕ならば、そんなことをしているスタンドには今後も行きたくありません。消費者が困っているときに助けるのが商売の王道であろうと思うからです。


つくづく思うのは、消費者の身勝手なこと。なぜ買い占め、買いだめに走るのかが僕にはわからない。なぜそんな行動にでるのでしょう?関東を襲うかもしれない地震への備え?僕にはそうは思えない。要するに、停電だ、ガソリンの欠乏だという不便なことから、自分だけは逃れたいという心理でしょうね。そんな人間が被災者への「祈り」だとか「哀悼の意」だとか、はたまた「頑張ってください」などと言うのは、単なる「偽善」でしょう。要するに「エゴ」ですな・・・。

不自由この上ない避難所での暮らしを余儀なくされている多くの人びとが、自らの境遇を甘受し、秩序と規律ある生活を築く努力をしている姿とは、まるで対極にある行動です。

僕は、買い占めやら買いだめやらに走る人びとの心理を無碍に否定するつもりはありません。小さな赤ん坊やら、介護を必要とする高齢者を抱える家庭が、その生活に必須なものの欠乏を心配するのは、極めて当然であろうと思うからです。

ただ、問題はその2つの姿の徹底的な違い。一方は「義(ただ)しく」もう一方は「義しくない」ということ、僕はそれを考えざるにはいられない。

便、不便でなく、ましてや損得勘定でもない、「義」か「不義」かという事が僕にはとても大事なことだと思えます。

今日はこれまで。




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