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2011年3月1日火曜日

226へ その6 崩壊

2月29日。

早朝から、彼らを取り囲む包囲軍の動きが慌ただしくなる。いよいよ攻撃、皇軍相撃つ事態の予感させる。

包囲側は奉勅命令を盾に、最後の説得を試みる。

磯部は闘志満々。

「相撃は革命の鉄則だ!」

しかし、若い少尉たちの一角から磯部の夢が崩れていった。

「兵に逆賊の汚名をかぶせるわけにはいかない」

一つの部隊が原隊へ復帰すると、堰を切ったように続々と彼らの部隊は帰順する。

一人安藤輝三のみは、断固として兵を退くことを肯んぜず、彼の率いる第六中隊も烈々たる闘志を包囲軍に対して燃やしていた。



香田さん、帰りたいなら勝手に帰ってくれ!止めはせん。ただし、俺の六中隊は最後まで踏みとどまって闘うぞ。陛下の大御心に我々は尊王軍であることが解るまで頑張るのだ。今俺たちがそんな弱気になったら、部下たちはどうなるんだ!逆賊の汚名を着せたまま死なせるのか!俺はそんなことはできない!昭和聖代の陛下を後世の物笑いにしない歴史をつくるために断乎闘うんだ。





磯部もここにきて、ようやく兵を帰すことにする。


『オイ安藤、下士兵を帰さう、貴様はコレ程の立派な部下をもっているのだ。騎虎の勢一戦せずば止まる事が出来まいけれども、兵を帰してやらふ』とあふり落ちる涙を払ひもせで云へば、彼はコウ然として『諸君、僕は今回の蹶起には最後迄不サンセイだった。然るに遂ひに蹶起したのはどこ迄もやり通ほすと云ふ決心が出来たからだ。僕は今何人(ママ)も信ずることが出来ぬ。僕は僕自身の決心を貫徹する』と云ふ。同志は交々意見を述べる。安藤は『少し疲れているから休ましてくれ』と云ひて休む。
安藤再び起き上り、『戒厳司令部に云って包囲をといてもらおう。包囲をといて呉れねば兵は帰せぬ』と云ふ。そこで余等は、石原大佐に会見を求めようと考へ、柴大尉?に連絡を依頼する。間もなく戒厳司令部の一参謀(少佐)が来り、石原大佐の言なりとして『今となっては自決するかダッ出するか二つに一つしかない』と伝へる。同志一同此の言を聞きて切歯憤激云ふところを知らず。
歩三大隊長伊集院?少佐来り。『安藤、兵が可(ママ)相だから兵だけ(ママ)帰してやれ』と云へば、安藤は憤然として『私は兵が可(ママ)相だからヤッタのです。大隊長がそんなことを云ふをシャクに触ります』と、不明の上官に鋭い反撃を加へ、突然怒号して『オイッ、俺は自決する。さして呉れ』とピストルをさぐる。余はあわてて制止したが、彼の意はひるがへらない。『死なして呉れ、オイ磯部、俺は弱い男なんだ、今でないと死ねなくなるから死なして呉れ。俺は負けることは大嫌ひだ。裁かれることはいやだ、幕僚共に裁かれる前に自ら裁くのだ。死なしてくれ』と制止の余を振り放たんとする。悲劇、大悲劇、兵も泣く、下士も泣く、同志も泣く、涙の洪水の中に身をもだえる群衆の波。
大隊長も亦『俺も自決する。安藤の様な立派な奴を死なせねばならんのが残念だ』と云ひつつ号泣する。『中隊長が自決なさるなら、中隊全員御供を致しませ』と、曹長が安藤に抱きついて泣く。『オイ前島上等兵?御前が嘗て中隊長を叱ってくれた事がある。中隊長殿いつ蹶起するのです。このままでおいたら農村は何時迄たってもすくへませんと云ってねぇ。農村は救へないなあ。俺が死んだらお前達は堂込(?)曹長と○○曹長と(ママ)たすけて、どうしても維新をやりとげよ。二人の曹長は立派な人間だ。いいかいいか』『曹長、君達は僕に最後迄ついて来てくれた、有難う。あとをたのむ』と云へば、群がる兵士達が『中隊長殿、死なないで下さい』と泣き叫ぶ。余はこの将兵一体、鉄石の如き団結を目のあたりにみて同志将兵の偉大さに打たれる。
『オイ安藤ッ、死ぬるのはやめろ、人間はなあ、自分が死にたいと思っても神が許さぬ時には死ねないのだ。自分でも死にたくなくても時機が来たら死なねばならなくなる。こんなにたくさんの人が皆なして止めているに死ねるものか。又、これだけ尊び慕ふ部下の前で貴様が死んだら一体、あとはどうなるのだ』と余は羽ガヒジメにしている両腕を少しくゆるめてさとす。幾度も幾度も自決を思ひとどまらせようとしたら、漸く自決しないと云ふので、余はヤクしている両腕をといてやる。
兵は一同に集まって中隊長に殉じようと準備しているらしい様子。死出の歌であらふ、中隊を称へる吾等の六中隊の軍歌が起る」
(磯部浅一『行動記』前掲書)


この日午後2時までに、彼らのこの挙はすべてが終わる。そして夕方には彼らの手に冷たい手錠がかけられる。


75年前の出来事。

 今日はこれまで。

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