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2011年3月16日水曜日

東北・関東で大地震 その5

海外のメディアが伝える日本人のこの未曾有の大災害への処し方への賞賛は、同じ日本人として僕なんかは非常に胸が熱くなります。阪神大震災の時にも同様の賛辞を送られていましたし、古くは、というよりその嚆矢は、幕末から明治の初めにかけて来日した多くの外国人による賞賛だったと思います。正確に言うと、戦国時代にこの国に布教に来たイエズス会の神父たちが、僕らの父祖の社会に対して、驚くべき眼をもって眺めていた記述をみることができますが・・・。フランシスコ・ザビエルは、「この国は我が魂のよろこびだ」と書いています(記憶曖昧)。

14日月曜日にここで紹介しましたね、その海外メディアの報道は、まるで渡辺京二著「逝きし世の面影」を読んでいるかのようだと。





今日は、その本からいくつかの外国人の言葉を紹介します。僕らの父祖が持っていた美徳が今もそのまま多くの日本人に受け継がれていることを皆さんは知ると思います。

大森貝塚を発見したことで知られるエドワード・モースは、

自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人が生まれながらに持っている

と述べた後、それは

恵まれた階級の人々ばかりではなく、もっとも貧しい人々も持っている特質

だと言っています。モースは、隅田川の川開きに集まる群衆の秩序正しさにも驚嘆の言葉を残しています。

日本人の際立った秩序については、他の証言もあります。明治7年に来日したディアス・コバルビアスは次のように言います。

日本人に関して一番興味深いことは、彼らが慎み深く、本質的に従順で秩序正しい民族であるといことである。天皇と女御の間に最初の女の子が誕生した時に取り行われた祝祭行事や、大久保大使が台湾問題で、日本が中国に要求した賠償金を手にして帰還したさいに開催された祝祭、その他にも多くの機会を通して、横浜、神奈川といった人口六万から七万の都市で、国民が、喧嘩も酔っ払いも何の混乱もなく、照明と花火と、動物に変装した人々の奇怪な無言劇などを楽しむのを目撃する機会にめぐまれた。どの祭り場でも、通りで酔っ払いに会ったことがなかった。


モースによれば、日本人の「挙動の礼儀正しさ、他人の感情についての思いやり」は日本人の生まれながらの善徳であると思われています。

ちょっと褒めすぎのような気がします・・・。

ベルツは、自分の家が灰燼に帰すほどの災難を受けてもそれを平然と受け流し、悲しみに暮れるでも、やけになるでもなく、その後にすぐに家を建て始める日本人を称して「驚嘆すべき国民」と述べたのですが、これについて渡辺京二は次のようにいいます。

この時代の日本人は、死や災害を今日のわれわれからすれば怪しからぬと見えるほど平然と受けとめ、それを茶化すことさえできる人びとだった。ベルソールがハンセン氏病者に対する人びとの冷淡と見たものは、実は己れ自身の不運を沈着寡黙に受けとめるこうした諦念の、別な形でのあらわれだったのである。いわば人間はまだ、自分自身を見つめてはいなかった。彼の目は自分がその一員にすぎぬ森羅万象を見つめていたのだった。そして彼らの情けは、けっして家族や知人の範囲に閉じられてはいなかった。フレイザーが言っている。家事のさいに「一般には、罹災者にたいして皆がたいへん親切にしますし、その地域全体が、家を奪われた人々を保護するために自分たちの家を開放します」。一八八七(明治二十)年に来日し、東京大学史学科で十五年教壇にたって、日本近代史学の基礎を築いたリースは、火事の際の「同じ地区の住民たちの思いやりのある援助」について触れ、「これが実はドイツの小都市とそっくりなのである」と述べている。「してみると、東京は(その人口百五十万に達するものの)本当に『大都市』と呼べるものなのか、疑問に思える」。つまり、リースによれば、東京の住民は隣人の運命に冷淡な大都会の住民ではなく、地域社会の連帯感によって結ばれた共同体のメンバーだったのである。


 ここで紹介した数々の外国人の心象に映じた逝きし世の日本人たちの何ほどかを、まちがいなく僕らは民族の奥底に持っているといえるでしょう。今回の災害でも見られた日本人の美徳は、間違いなく遠い過去から運ばれきしもので、そしてそれは時代を超えて日本人以外の人間の心を強くl揺さぶるものだということです。

被災した方々の健やかなることを願い、そして今なお困難なh救助活動に当たる方々の献身に敬意を表します。

今日はこれまで。
注)本日の出所「逝きし世の面影」渡辺京二著 平凡社ライブラリー





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