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2011年3月8日火曜日

NHK番組 「中島飛行機」から

3月6日にNHKで

証言記録 市民たちの戦争「軍用機工場の戦い~群馬・中島飛行機~」


 というものが放映されました。中島飛行機というのは、現在の富士重工の前進です。戦後間もないころ、爆撃機「銀河」の尾輪を使ってスクーターを製造して食いつないだのです。以下、番組の紹介です。



群馬県太田市に、かつて日本最大の軍用機メーカー「中島飛行機」の工場があった。太平洋戦争下、工場は大幅な軍用機増産を迫られる。しかし、熟練工は次々と徴兵され、現場を支えたのは学徒や幼い少年工たちだった。戦争末期にはアメリカ軍の爆撃目標とされ、工場は壊滅状態となる。過酷な労働、空襲の惨劇、さらに深みへとはまりこむ現場の実態を、当時の工員や学徒らの証言で記録。軍用機工場の人々が体験した戦争を伝える。 


出所:NHKネットクラブ(http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110306-21-23401&pf=f
 


 僕の父親は、学徒勤労令により昭和19年12月から昭和20年8月まで同じく群馬県にあった中島飛行機の小泉工場で働いていました。父親のもとへは、同級生からその番組の情報がもたらされたそうで、彼はその番組をみていました。


 ちなみに、その工場へは学習院大学からの勤労学徒もきており、兵士不合格となった学生が来ていたわけですが、その中に若き三島由紀夫もいました。父親は学習院が来ていたことは知らなかったそうですが、父親の同級生の中にはそれを知っていた人もいたそうです。


 さて、番組をみる前から大方の検討は付いていましたが、父親曰く「こんなレアな証言だけを集めたか、もしくは誘導尋問だろう」と・・・。とにかく、かつてのことを悔いるだけ、もしくは自らを傷つけて労働をさぼったという卑怯なふるまいを悪びれずに誇らしく語る。実体験者である父親は「所詮NHKだ」と半ばあきれ顔でしたね・・・。


 父親は、その工場での勤労経験を「毎日腹が減っていた」とは語りますが、悲惨で過酷だったなどと口にしたことは一切ありません。


 その番組の酷さの一端を紹介しますと、工場には「特別防護隊」(だったかな?名称不確か)というものが編成され、工場が空襲にあったときにも逃げることが許されずに多くの死者を出したらしいのですが、要するにこれは工場を守るための自衛の消防団みたいなもので、それが使命ですから一般の労働者とともに避難することはできないでしょう。当然のことです。それが「避難することは許されずに多くが死んだ」と語られてしまえば、彼らに課された「消防」という使命を抜きにして非人道的な行為だったとなってしまいます。考え方においては火災現場においては一般人ではなく、消防士にけが人がでるとの同じことでしょう。


 もっとも許せなかったのは、番組では「キ115」と紹介された「剣(つるぎ)」という特攻専用の機体を設計した人物、90歳を超えた人物に為したNHKの質問です。


 ちょっと説明します。「剣」というのは、ベニヤとトタン板でつくられた飛行機とは呼べない飛行機で、離陸するとすぐに前輪を落下させるのです。つまり飛び立ったら二度と戻ってこれない「特攻専用機」なのです。僕はこれが実戦に使用されたかどうかはわかりませんが、おそらく実戦での使用はなかったのではないかと思いますが、番組ではそうはいわず、総生産機数のみを言っていました。


 この設計者への質問というのが、


「この飛行機を作って今から思うことは何ですか?」


というものでした。記者が期待する回答は「設計者として申し訳ない」という言葉だったと思います。二度と戻ってこられぬ飛行機を作った設計者が、それを悔いて「申し訳なかったと絶句して涙を流す」こんな絵が撮れたらNHKとしてはしてやったりだったと思います。


 しかし、このご老人はそうは答えませんでした。概略、次のようなものだったと思います。


「飛行機をつくる人も、飛行機に乗って戦う人も、飛行機を設計する私も、与えられた使命に一生懸命だった。それが最善の道だと思っていた。今でもそれはかわらない。私が仮に、『あんなものを作って申し訳ない』等というのは、戦っている人、それを作った人たちに不遜だと思っている。私はそんなことは言いたくない」


何と素晴らしい回答でしょう。彼は自身に与えられた仕事を全力で成し遂げたわけです。なぜならそれが自身の使命であり、ひいてはそれが日本が勝つために必要だと思ったからです。それが当時の日本人として極めてまっとうな事であったのです。


その記者の為した質問がいかに「不遜」かおわかりでしょう。自らはそこにいないという前提で、いわば自らを高みにおいた立場での質問なのです。それは、当時の日本で必死に自らの使命と向き合っていた人々を愚弄するもの以外何ものでもないと僕は思います。当時を知らず、今の世の中を生きるだけの人が、当時真剣に時代と向き合って生きた人を批判する権利なぞあるのだろうか。


そのご老人のその言葉が、その番組での唯一の救いでした。


 こんな偏向番組制作会社に、視聴料を支払っている自分がどうにも許せない・・・。


 今日はこれまで。

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