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2011年3月22日火曜日

陰翳礼賛再び

 以前、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/12/blog-post_24.html

反近代という範疇でご紹介したつもりですが、我が家では計画停電が既に4回ほど実施され、うち2回ほどは夜だったので、懐中電灯とろうそくの灯りのお世話になりました。テーブルの上にたくさんろうそくを並べて、娘は宿題をしてました。子どもにとっては楽しいのでしょうね。

ゆらゆらとゆらめく炎を見ながら、僕はその本のことをまた考えていました。


「電気」というのは、僕らにとって「電灯」と同義語なのです。だから皆さんも「灯りをつけて」とは言わずに「電気つけて」と言うでしょう・・・。「電気=灯り」なのです。

失って、不便になってつくづくわかることがありますね。普段電気の恩恵などほとんど考えたこともないのに、停電が実施されるようになって初めてそのありがたさを実感しました。我が家は2年前にオール電化にしたので、電気が止まるとホントに困ります。ちなみに、我が家の給湯システムは当初は灯油でした。次いでガスに変え、そして現在の電気。それぞれ燃料の高騰リスクを避けての買い換えでしたが、オール電化にするときに計画的な「停電」ということは全く想定していませんでした。

確かなことは言えませんが、今後新たな原発を建設することは相当に難しいでしょうね。となると、もう一度考え直さなければなりません、国の電力をどう賄うのかを・・・。言っておきますが、僕は原発反対者ではありませんし、これからも電力需要を賄うのにう必要であろうとは思っていますが、現実問題としては新たな建設は難しいだろうと考えているだけです。

僕はやみくもにエネルギー消費を抑えた社会を礼賛するつもりはありません。そんな社会にはもう戻れないだろうとも思っています。ただ今回のことで今までの生活を見直す必要はあるのだろうなとは思います、あくまでも個人の生活としてですが・・・。

「天災」というのは、「天が与えた災い」と読めば、僕はよくできた言葉だと思います。おそらく、古来地震だ津波だと大きな災害に見まわれたこの国では、そういった出来事をその言葉にすることによって慰めを得ていたのではないかと思います。「仕方がない」と・・・。ただ、しかしこれはあきらめではない、甘受、忍受の精神だと思います。

今日はこれまで。

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