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2011年3月18日金曜日

東北・関東で大地震 その7 

挽歌(ばんか)

中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌をいうところから〕

(1)人の死を悼む詩歌。挽詩。哀悼(あいとう)歌。

(2)万葉集で、相聞(そうもん)・雑歌(ぞうか)とともに三大部立ての一。人の死を悲しみ悼む歌。古今集以後の「哀傷」にあたる。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

出所:はてなキーワード http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C8%D4%B2%CE




万葉集には、聖徳太子が竜田山(奈良県生駒郡)で死者を見て悲傷して詠んだという一首があります。

家にあらば妹が手枕(ま)かむ草枕旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ

古代のこの国では、旅人というのは吉凶のどちらかを運んでくるものでした。村人からは異人として確たる援助も受けられぬまま、旅の途中に死んでしまった旅人は、「死」そのものが穢れであったために、村人にもそしてそれを目にする旅人にも「恐れ」の対象でもありました。ですから、その旅人の魂が異郷の地で荒ぶることのないよう、「鎮め」が必要だったのです。そういう「鎮め」の歌は、行路死人歌」と呼ばれます。これは旅人だけにとどまらず、不慮の災難で非業の死を遂げた人びとにも手向けられました。聖徳太子という「聖(ひじり)」が詠んだこの歌が、その歌の基本の形となっていきます。




今回の災害で、一体何人の人びとの命が喪われてしまったのか、未だ正確な数がわかりません。うずたかく積みあがった瓦礫の下で人知れず眠るひと、未だ波に洗われているひと、大海にただようひと、そのすべてに、「鎮め」の挽歌が必要です。それは、死者だけでなく生者の悲しみをも鎮めるものであるべきです。


柿本人麻呂、家具山の屍を見て、悲しみて作る歌
 くさまくら旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か国忘れたる家待たまくに


備後の国神島の浜いて、調使首の、屍を見て作れる歌

・・・・恐(かしこ)きや 神の渡の 重波(しきなみ)の 寄する浜辺に 高山を 隔(へだて)に置きて
沖つ藻を 枕にまきて 心(うら)もなく 臥(こや)せる君は 母父(おもちち)
の愛子(まなご)にもあるらむ 若草の妻もあるらむ 家問へど 家道もいはず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰が言(こと)をいたはしみかも とゐ波の 恐(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ


反歌

母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
家人の待つらむものをつれもなく荒磯(ありそ)を枕(ま)きて伏せる君かも
沖つ藻に臥せる君を今日今日と来むと待つらむ妻し悲しも
浦波の来寄する浜につれもなく臥せる君が家路しらずも


今日は祈りましょう。

死者の魂を鎮め、生きる人びとがたとえ一筋でもいい光明を感じ取ってくれるように・・・。

今日はこれまで。





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