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2011年3月31日木曜日

桜に託するもの

これは、「桜花(おうか)」と名付けられた特攻兵器です。ほとんどの人は知らないでしょうね。先端に1トン爆弾を積み、爆撃機に吊り下げられて敵地まで運ばれ、目標とする敵艦船に近づいてから放たれ、ロケット推進によって敵艦めがけてまっしぐら・・・これごと体当たりする兵器です。昭和20年4月の沖縄戦で使われました。

親機から放たれれば音速を超えて飛びますので、おそらく相当な戦果を挙げることができたと思いますが、残念ながら親機が低速ですぐに敵戦闘機に捕捉されたので、親機に吊り下げされたままともに撃墜されることが多く、ほとんどめぼしい成果を上げることができませんでした。

しかしながら、この特攻兵器に乗って命を散らした若者が多くいたことは事実です。

米軍はこの兵器に「BAKA BOMB」と名前を付けたといいます。僕らが今、イスラムの原理主義者たちが行う自爆行為を、狂信的で理解不能と思うようなことを、末期の大日本帝国は国民に強要し、その国民は、それを強要とも思わずに「死処を与えてくれた」と感じ、受容していったのです。

そんな狂信的な兵器の名前が「桜花」なのです。このギャップとは一体何なのか?日本人の精神性を考えると実に不思議です。アメリカ人文化人類学者ルース・ベネディクトが名付けた「菊と刀」はまさしく、この日本人の精神のフォルムを実に端的に表していると感心します。



戦後間もないころ、柳田国男が折口信夫に向かってこんなことを言ったそうです。

日本人は、戦の場で潔く死ぬことを誇りとして、死を恐れない。ちょうど桜の花が一夜に美しく散るように、命を散らすのを民族の誇りとしてきたようなところがあって、こんどの戦争でもしきりに桜をいろんな引き合いに出して、若者たちに命を惜しむなということを言って励ましたり、いましめたりした。しかしよく考えると、これほど命を軽く考える民族は世界でもあまり類がないように思われる。それは昔はあったのかもしれないけれど、そういう死生観を持った民族はいち早く滅び果ててしまったのではないだろうか。海にへだてられた日本人だけが辛うじて残ったとして、これから一体こういう民族はどうなるのだろう。

聞かれた折口は何も答えず、ふたりでじっと黙って考え込んだといいます。

釈超空という名前でも知られる折口ですが、彼は戦後「桜はさみしい花だ」といって、桜の季節になると心がふさいでたまらない様子であったといいます。折口も柳田同様の気持ちを持っていました。

よく知られるように、万葉集では桜よりも梅や萩の花の方が多く詠われています。古今集の時代になってようやく桜が、それらを上回るようになるのです。平安の頃からですね。

そうして、今のぼくらに通ずる桜が体現するはかなさ、潔さが人びとに広く伝わったのは、悲劇を詠った平家物語の大流行によってです。




僕の地元には桜の時期になると桜祭りが開催され、近隣からも多くの人が訪れる桜の名所があります。今年は、震災の影響で中止とすることが早々と決定されました。今は花の下でのドンチャン騒ぎよりも、静かに花の下で過ごすほうがふさわしいのでしょうか・・。

おそらく、被災した人びとにとっての今年の桜は、従来のそれとは異なる心象を与えることでしょう。願わくば、その心象が人びとのこころを鎮めるものであってほしいと願うばかりです。

今日はこれまで。


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