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2011年4月30日土曜日

3.11 再び

本日(29日)の読売新聞に御厨貴が寄稿していました。冒頭以下の文章から始まります。
東日本大震災を境に、日本の長い「戦後」は終わり、今や「災後」時代にはいった。
これを呼んで僕はつくづくと考えました。ひとつの視点として、「戦後」は自衛隊が忌み嫌われた社会でした。阪神大震災の時の自衛隊の救助活動の遅れは忘れてはいないでしょう。あれは首長の判断が遅れたからです。遅れの原因は首長の反自衛隊というイデオロギーです。しかも、県の災害対策本部へ自衛隊が行くときには、「制服を着てこないでくれ」とかいう始末。米軍の支援も断ってもいますね。あの時は社会党の村山富一が総理でした。それまで一貫して「自衛隊は違憲」と主張してきた政党でした。

今回の震災ではどうですか。地震発生後1時間も経たないうちに各県の首長は自衛隊へ災害支援の要請を出し、政府は米軍支援はもちろんのこと、世界各国からの援助を受け入れています。そして、なによりも阪神大震災当時と異なることは、自衛隊が堂々と迷彩の戦闘服で会議に出席し、テレビのインタビューも受けていることです。

ようやく、この国が忌み嫌ってきた「自衛隊」が、普通の国家のように信頼される組織として認知されだしたということでしょう。「戦後」を「反」自衛隊の時代とするならば(あながちそれは極論とは思えない)、「災後」は「反」反自衛隊の時代となったとみることができます。極めて普通の国家の姿です。

思えば戦後教育は個人の尊重のみを重視し、その個人の来歴(つまりは伝統やら歴史ということ)と、その個人の集合体たる社会、つまりは「公」とうものをないがしろにし、平和教育だ人権教育だという空疎な言葉を乱用して公を守るためには個が犠牲になることもあるという当然のことから、一切目を塞いできました。しかしながら、今回の震災では、今なお懸命の作業を続ける東電職員や、消防、警察、自衛隊の人びとの「公」のために身を挺する使命感が、多くの人を感動させかつ勇気づけている。 これは「公」という観念に対する献身に、「個」を超えた価値を多くのひとが認めているからにほかなりません。

その人びとの心の奥底では、とっくに「戦後」は終わっていたのかも知れません。 それが今回の震災で始めて顕在化したのです。蓋に閉じ込められていた水蒸気が、蓋が開けられたのを機に拡散したようなものです。それに気付かぬは、三流、四流の政治家と、今なお「反権力」という意味のわからない観念に縛りつけられているマスコミのような気がします。

今日はこれまで

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