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2011年4月11日月曜日

東北・関東で大地震 番外編その7(1か月)

 今日は、毎日新聞4月7日の「余禄」からご紹介したいと思います。

我々文芸家にとって第一の打撃は、文芸ということが生死存亡の境においては、骨董書画などと同じように、無用の贅沢品であることを、マザマザと知ったことである。


これは、関東大震災で被災して、寝食に不自由した菊池寛が記した言葉だそうです。菊池寛は、文芸春秋社の創始者、芥川賞、直木賞を始めたことででも知られています。

確かに、生きるか死ぬかの瀬戸際では文芸は無用の贅沢品であるのでしょう。

一方で、「余禄」は文末に芥川龍之介がその同じ時期に記した言葉を紹介しています。

芸術は生活の過剰だそうである・・・しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ・・・過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。

芥川龍之介の文筆家としての矜持ですね。

震災後、1か月を経過したのに未だに被害の全貌は明らかにされず、行方不明者も多くいます。そして、膨大な数の避難所暮らしをしている人びと・・・。

それを思えば、浮かれることなど控えなくてはならないと思うことは当然のことですが、今一度考えてほしいのは、生活の過剰を作らねばならないといった芥川の言葉です。生活の過剰とは、なにも物的なものだけを言っているわけではありますまい。日常を日常あらしめるものは、やはり精神の働きが必要だろうと思うからです。

面白きこともなき世を面白く

と詠う高杉晋作の後を継いだ下の句は

住みなすものはこころなりけり


でした。


いたずらに下を向くばかりでなく、ときには上を向いて大笑しよう。そして、自らの心の中に「過剰」を作り出そう。

今日はこれまで。


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