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2011年4月24日日曜日

関東大震災後には・・・

以前、「昭和の終わり」と題して、永井荷風の詠んだ歌を紹介しました。

http://3and1-ryo.blogspot.com/2011/02/blog-post_10.html

彼は震災後に、 

江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ

と、こう詠んだのですが、彼の有名な「断腸亭日記」には次のような記述があります。

大正十二年十月三日。快晴。(中略)銀座に出で烏森を過ぎ愛宕下より江戸見阪を登る。阪上に立つて来路を顧みれば一望唯渺茫たる焦土にして房総の山影を遮るものなければ近く手に取るが如し。帝都荒廃の光景哀れといふも愚なり。されどつらつら明治以降大正現代の帝都を見れば所謂山師の玄関に異らず愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば灰燼となりしとて決して惜しむに及ばず。近年世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし有様を顧みればこの度の災禍は実に天罰なりと謂ふべし

この日記を引用した元本である「昭和精神史」の著者桶谷秀昭によれば、「彼の日記にみられる、風俗や国家、社会の動向にたいする、しばしば激烈な憤懣や痛罵は、荷風の規範が発する声であって、思想的関心からのものではない」のだそうですが、関東大震災を「天罰」と言っていますね。この頃、同じ「天罰」という言葉を使ったのが渋沢栄一だったらしいです。

石原慎太郎が震災直後にその言葉を使い、猛烈な批判を浴びて直ちに撤回、謝罪をしましたが、僕は彼がその言葉を選択し、使用したという心持は何となくわかる気がします。おそらくここで紹介した荷風と同じようなものだったのではないでしょうか。あくまでも思想的な意味でです。

 世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし

ということに加え、石原をして「天罰」と使わしめたものは、国家意識やら規範の希薄、大衆迎合に堕した政治の状況等、国家社会への関心からでしょう。

荷風の美的関心とは次元が異なりますね。どちらがいいということではありません。ただその立脚点が異なるということを言いたいだけです。

今日はこれまで。

 

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