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2011年4月5日火曜日

東北・関東で大地震 番外編その5(後藤新平)

「大風呂敷」

彼を語るとき、必ずこの言葉が付けられます。


彼の名前は「後藤新平」。関東大震災後の東京の復興を成し遂げた人物で、彼の構想したプランは、100年先を見越した壮大なものでした。

昭和58年に、昭和天皇は記者会見で「後藤の計画通りなら、戦災の被害は非常に軽かったと思うと残念でなりません」と、後藤の計画を褒め称えたほどです。

児玉源太郎に請われて赴いた台湾でも、その後の満州でも、彼の成し遂げた都市づくりは、今もなおその足跡を残します。

彼は、関東大震災後に内務大臣として入閣し、「帝都復興の議」を9月6日に提出。帝都復興院総裁も兼務し、壮大な都市建設にとりかかろうとします。

しかし、彼の綿密な調査に基づいた計画は、予算の制約もあってすべてを実現することができませんでしたが、東京に今なおそお名称をのこす「昭和通り」などは、彼の描いた都市計画の一端です。

彼は、またこれはと見込んだ人間に対しては、惜しみない援助を与えた人でした。正力松太郎などは、後藤から「返さなくてもよい」と言われたお金を使って読売新聞を再建しますが、後藤が正力に与えたお金は、自宅を担保にした無理な借金だったといいます。

そんな後藤は次のような言葉を残しています。

カネを残すのは下、事業を残すのは注、人を残すのが上。


 
 東北地方の復興には、後藤のような人物が何としても必要だと思いますが、残念ながら後藤ほどの人物は、この国からはいなくなってしまってしまって久しい。




 今日はこれまで。

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