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2010年10月19日火曜日

逝きし世の面影

「逝きし世の面影(渡辺京二)」


「こんな素晴らしい本をなぜ今まで知らなかったのか」と愕然としました。いやはや、何ともいえずショックでした。前に、ここで小泉八雲の文章を紹介しました。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/09/blog-post_09.html




そこで、僕は次のように書きました。


泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、激しい近代化の波の中で失われゆく明治日本の気骨と抒情を、深い愛惜の念で綴った次のような文章を1893年に残している。」


大変お恥ずかしい間違いですが、小泉八雲が深い愛惜を感じていたのは、「明治」ではなく「江戸」でしたね。明治になって喪われた「江戸」を彼は綴ったのでした。


 さて、この本の作者は小泉が慨嘆したものを「文明の喪失」として、それは明治になって滅びてしまったとしています。そしてそれを幕末期に相次いで来日した多くの外国人の記録から、僕らの祖先が築いてきた「文明」の様相を紡いでいます。幕末期に来日した外国人の多くは、日本の社会の驚くべき特質を欠き残していました。その清潔さ、陽気さ、奔放さ、そして「絵のように美しい風景等・・・。今の僕らには想像する事さえ困難なように思えます。


 日本における近代登山の開拓者ウェストンの文章です。


「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることは決してあるまい」


 アメリカの初代領事ハリスの通訳として来日し1年以上の長期に渡って日本を観察したヒュースケンは、


「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾りけのなさを私は讃美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」


と記しています。一方のハリス自身も、


「厳粛な反省―変化の前兆―疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」


と、日本の今後を予見するような文章を残しています。


 作者はこう述べています。


「私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ、ひとつの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかも知れぬ記録を通じてこそ、古い日本の文明の奇妙な特性がいきいきと浮かんで来るのだと私はいいたい。そしてされに、われわれの近代の意味は、そのような文明の実態とその解体の実相をつかむことなしには、けっして解き明かせないだろうといいたい」




 今日はこれまで。





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