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2010年10月16日土曜日

チリという国

 あの世紀の救出劇で、チリという国家は一躍有名になりました。


それまでその国に対しては殆どの人がイメージできなかったのではないでしょうか。僕はといえば、「チリワイン」の白が安くておいしいということ、そして「市場対国家」という本の中で特異な経済政策をとってきた国ということ知っていたくらいで、たまに料理屋でチリワインがあろうものなら、即座にそれを注文し、そのチリワインをなぜ今僕らが飲むことができるかという、うんちくを女の子に披露してました。もう10年前の事ですがね。


 チリは南米諸国の中で市場経済への転換のさきがけとなった国でした。


 第二次大戦後、南米諸国の多くは国家統制型の経済政策をとっており、市場は国家により統制されていました。チリも同様です。チリでは1970年に社会主義政権が誕生し、大規模な国有化と価格統制政策をとるようになります。東欧型経済を目論んでいたようです。その結果チリ経済は混乱し、軍によるクーデターが起こってその政権が倒れます。以後軍事独裁政権となります。


 軍事独裁政権には経済に関する知識も智恵もありませんでした。国の安全保障の確立と左派の弾圧以外に、みるべき政策もありません。しかし、危機的な経済状況を何とかしなければならない。そこで白羽の矢が立てられたのは、アメリカのシカゴ大学に留学経験のある通称「シカゴボーイズ」と呼ばれる人々。経済思想は著名なミルトン・フリードマン、レッセフェールの旗手です。軍事独裁政権下で一連の改革が次々となされ、国有企業の数は1973年の500社から、1980年には25社にまで削減され、国の役割は最小限にまで減らされて行きます。猛烈な反対もあった事でしょうが、それを軍事独裁政権の力がそれを封じ込めたわけです。


 1980年代初頭、中南米諸国の多くはその経済政策の失敗から債務危機に陥ります。チリも同様です。軍事独裁政権は、その危機に対し、金融機関の国有化等の経済政策の軌道修正を図ります。「シカゴ流の社会主義」と世界に揶揄されたそうです。しかし、1985年には再び第二の「シカゴボーイズ」が経済政策を担うようになるのです。この第二世代は第一世代の「シカゴ流」ほど純粋培養ではなく、自由放任だけでない様々な政策を実行していきます。そして、その後数年でチリは中南米諸国を代表する市場改革の成功例となっていくわけです。経済成長率は高まり、インフレ率は低下し、輸出は伸びて輸出先も広がっていきました。


 そうして、チリワインが日本の飲食店で飲めるようになったというわけです。


 20年前の出来事ですが、皆さんもこのうんちくを是非とも使って下さい。ただし、それに興味を持つことができるような女の子の前でなければなりませんよ。


 今日はこれまで。

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