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2010年10月25日月曜日

神風・印度・442部隊・オランダ

 本日、10月25日は神風特別攻撃隊「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」が初出撃した日です。昭和19年(1944年)の事ですので、66年前の出来事です。


この隊名は本居宣長の詠んだ


「敷島の大和心を人とはば
 朝日に匂ふ山桜花」


からとられたものです。十死零生の作戦にたおやかな和歌からその名前をつけるというのが、何とも言えず僕には哀しいのですが、初出撃したフィリピンマバラカット基地跡には、フィリピン人が建立した「神風特別攻撃隊出撃の地」という碑が今でもあるそうです。






 さて、印度との同盟強化を書いた23日には、印度首相の来日を知りませんでした。


同国のシン首相が昨日から来日しているようですね。この人ですねかつて日本の国会で感動的な演説をした人は。見事にマスコミには無視されましたが・・・。印度の独立に際して、かつての大日本帝国を「恩」と感じてくれていたのです、あの国は。大変に有難い事です。


 印度独立の父と言われたチャンドラ・ボースをドイツから潜水艦を使って日本に連れてきたことがあります。昭和17年か18年だったと思います。どこだかの洋上でドイツの潜水艦から日本の潜水艦に移乗させたと記憶してますが・・・記憶が曖昧です。


 自由印度国民軍だったかな、英国植民地を解放した際に捕虜となった印度兵を組織した軍隊ですが、チャンドラ・ボースはそのトップとなり、昭和19年3月のインパール作戦では、日本軍とともに英国と戦いました。


 
 中国無視して印度へ行こう!




 
 今年の年賀状でアメリカの日系人部隊のことを書きました。



第二次大戦時。米国は日系人だけで編成した部隊を対ドイツ戦に投入しました。その部隊は、米国の歴史上最も多くの勲章をもらった部隊として、今なほ米国の歴史に燦然と輝いています。同じ米国軍でありながら、「ジャップ」と蔑まれ、差別されながらも彼らをして奮い立たせたものは、「私たちは日本男児として名を汚すことは断じてしない」という、強烈な自意識でした。『若者たちの戦場』という本の中で同部隊の活躍を描いたドロシー・マツオ女史は、彼らを勇猛な戦闘集団に駆り立てたものを「家名」「恥」「恩」「義」「親孝行」などに象徴される「日本人の文化」だと指摘しています。「日本人ここにあり」という強烈な自意識こそが、彼らの行動原理だったのです。」

 米国国防総省が指定した独立戦争後の米陸軍史上の10大重要戦闘の中に独軍に包囲された部隊の救出作戦があります。これを担ったのが442聯隊で、彼等の活躍は後世に冠たる輝きを残しています。彼等は、不可能と思われる任務を犠牲を厭わずに成し遂げ、勇名を轟かし、そのため投入された戦線は非常に過酷な所ばかりであったようです。これには、人種差別の面もあったことは否めません。

 立ち読みレベルで申し訳ないのですが、時の東条英機首相が、「祖国アメリカのために、日本人として恥じぬよう戦え」と彼らに言ったとか・・・。何と、すがすがしい言いようではないですか。

11月にその部隊の活躍を描いたドキュメンタリー映画が日本でも公開されるらしいですね。


 インドネシアの対オランダ独立戦争の時、約3000名の旧日本兵が残留してインドネシア兵とともに戦いました。インドネシア軍の中に一人のオランダ人がいたそうで、インドネシア独立のために祖国に弓を引いたのです。かなり後、2~30年後ですかね、そのオランダ人が祖国で死にたいと、オランダ政府に入国を求めたらしいですが、オランダ政府は拒否したらしいです。残酷とみるか、国家としてそのくらいの非情は当然とみるかは意見が分かれると思いますが、オランダとしてはたった一つ残っていた植民地を日本に奪われた恨みが骨髄に達していたと思います。戦犯裁判でも、起訴された戦犯の中で死刑になった割合は、オランダが日本を裁いた法廷が一番多かったと記憶しています(ちょっと不確かですが)。

 今年のワールドカップの対オランダ戦。僕は「戦犯の恨みを晴らせ」と密かに思ってました。おそらくそんな風に見ていたのは日本中で僕くらいのものかも知れません。

 今日はこれまで。



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