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2010年10月5日火曜日

まるで魔女狩り・・・小沢一郎を巡る喧騒

 昨日、10月4日に小沢一郎が強制起訴になったそうです。
それを巡るマスコミの報道には非常に違和感を感じます。今日はその辺りのことを書いてみます。




 これまで、検察が2度に渡って十分に調べたにもかかわらず、小沢一郎を有罪にできる確証をみつけることはできませんでした。つまり、起訴しても有罪にはできないということですね。だから不起訴となったわけです。強制起訴しても新たな証拠が見るかる可能性があるのでしょうか。証拠がなければ有罪にはできず、法的に彼の責任はないということになります。


 「秘書がやったこと。私の預かり知ることではない」


小沢一郎の言い分ですね。極めて常識的に考えて秘書が勝手に4億ものカネを動かせるわけがありません。したがって、彼はクロです。世の中もそう思っているのでしょう。


 しかし、問題はその確証がないこと。確証がなければ無罪にするしかないわけです。どんなに怪しくても。


この情況を苦々しく、かつ何とか正そうと思っている人の為すべき事は新たな立法措置にむけて動く事ですね。これが法治国家のあるべき姿でしょう。仕方ないとはいえ、無罪は無罪。それをよってたかって小沢一郎を叩くのは魔女狩りのようではないですか。ここでも何度も述べている様に僕自身は、小沢一郎を好きではありません。評価もしません。しかしながら、小沢一郎を叩くマスコミ、世論の単なる憂さ晴らしのような感情論には違和感を覚えざるを得ない・・・。


これでは隣の大国と一緒です。


 もうひとつ。責任には法的な責任以外にも道義的な責任というものがありますね。小沢一郎の不遜な物言いが僕には我慢できないのが、彼には法的な責任のことしか眼中にないように思えるからです。道義的な責任は間違いなくありますね、彼にも。自分の資金団体がなした刑事事件で、かつての秘書が2人も起訴されているわけですから。その長である彼にその責任がないわけがない。ただ、それはあくまでも法的な責任とは異なるものです。どうも、法的なそれと道義的なそれとをごっちゃにして騒いでいるような気がします。きちんと「仕分け」することが必要だと思います。


 僕は道義的な責任は個人の問題であって周囲が騒ぐべきことではないように思います。彼に道義的な責任をとれと声高に叫ぶ人には、「自分の行いを胸に手をあてて考えてみたら・・・」と問いかけたいですな。そうして、何らやましいこともなく、恥じることの一つもない人だけが小沢一郎にそれを問うことができる資格があると。そうでないなら、もう少し静かに遠慮しがちに彼を責めるべきだと僕は思います。


 「自分にできないことやないものを政治家に要求し、それができないからと言って罵倒し、嘲り、引きずり倒そうとしている」


何の資格があってそんなことができると思っているのか、僕には理解不能です。




 話は変わりますが、東京MXテレビで毎週土曜日に西部邁の番組があります。youtubeでも視聴できます。民主党の代表選前ですが、ゲストに西部とは思想的には正反対の佐高真が出演しました。佐高は菅直人とは30年近い友人だとかで、西部は佐高に「菅直人とはいかなる人物か」と質問しました。それに答えた佐高は、


「酒を飲んでる時でも政治の話しかしない
 玄関を開けるとすぐに出口がみえる
 そんな人間です」


と言っていました。大笑した後すぐに悲しく、かつ空恐ろしくなりました。そのような人物が総理大臣ですからね。


その番組で佐高は、ともにマイナス評価だけれども「菅か小沢か」と問われれば、「小沢がまし」とも言ってましたね。西部は小沢を全く評価してません。「小沢一郎は背広を着たごろつきである」とかいう本を出しましたしね。しかし、西部は菅直人とは面識もなく、いかなる人物か知らないそうで、そうして冒頭の質問となったわけです。西部は菅直人が小沢より酷いとは思えないらしく、納得のできないようでしたが、佐高が西部にこう問いました。


「西部さん、小泉(純一郎)と小沢ではどっちを選びますか?」


西部答えて、「そりゃあ、小沢の方がましですよ」


佐高さらに言う、「そうでしょ、そうしたら菅を知っていたら、間違いなく小沢の方がましとなりますよ」


ようやく、西部も自らの認識の間違いを納得したようでした。


 今日はこれまで。
 



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