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2010年10月9日土曜日

「競争の作法」

 僕は経済学の本を読むのが好きなのです。とはいえ、新書レベルの簡単なものですがね。今日は、7月に買った「競争の作法―いかに働き、投資するか(齊藤誠著)」が非常に面白かったので、それを紹介します。


 著者は一橋大学大学院の経済学の教授です。リーマンショック後の日本経済の停滞は、実はリーマンショックが原因ではなく、それは単なる後押しに過ぎなかったとし、かくも脆弱な経済状況の原因は、「戦後最長の好景気」にあり、競争原理ときちんと向き合おうとしてこなかったことにあるということを、データを用いて述べているものです。


 新聞報道とデータによる実際の姿がいかにかけ離れているかが、Webで閲覧できる基礎データから丹念に検証しています。例えば、日比谷に「派遣村」ができて、「派遣切り」というものが紙上を賑わした時、そこに踊る文面は「失業率6年振りに5%台」「過去最大の上昇幅」でした。しかし、2009年の失業率5.1%は、2001年の5.0%と大差なく、続く2002年の5.4%、2003年の5.3%よりも低い水準でした。そうると、あの未曽有の雇用不安という状況は一体なんだったのかわからなくなります。


 


 実は2002年1月から2007年10月までの69か月間は、戦後最大の景気回復期であったんですよね。これはその実感に乏しかったということで、時の経済財政担当大臣(与謝野馨)が「かげろう景気」と命名しましたが、実際新聞報道にいう「景気拡大」は仕事上でも、それ以外でも僕にはほとんど実感できませんでした。僕はタクシーに乗ると、決まって運転手さんに「景気はどうですか?」と尋ねるのですが、その頃も「景気回復なんて嘘ですね」という声ばかりであったということを記憶してます。
 
 「実感の乏しい」というのは事実で、その間実質GDPは505兆円から561兆円へと56兆円、11.1%成長したのですが、実質家計消費は291兆円から310兆円へと19兆円、6.5%しか拡大しなかったのです。景気拡大を支えたは、純輸出と設備投資で、当時の円安、デフレという二つの効果によって輸出は19兆円、急拡大する輸出を支える生産増強で民間設備投資は18兆円拡大しました。輸出攻勢による拡大でした。円安とデフレにより日本製品はアメリカ製品に対し2割も安い価格で競争ができたからです。企業は何の努力もせずに価格競争力を手にいれたことになります。そうして、荒稼ぎした収益は賃金に反映されず、株主にも還元されませんでした。ひたすら設備投資へと向けられたからです。


 一般のサラリーマン、公務員も含む勤労者世帯に限って景気回復期の動向をみてみると衝撃です。2002年と2007年を比べると、その消費水準指数は1.7%減少しているのです。これが戦後最長の景気回復と呼ばれた正体だと著者は明らかにしています。そうして、それが日本経済の致命的な欠陥であり、リーマンショックがなくとも近い将来に破綻したはずだと。つまりリーマンショックはそれのほんの少しの後押しをしたにすぎないと・・・。






 1999年から2000年頃だったと思いますが、当時データ整理やら何やらでよく大学生をアルバイトで使っていました。その彼ら、彼女らの中で、少なくない人が「就職はあきらめました」と言っていたことを憶えてます。


 著者によれば、1997年から2002年にかけて日本経済はこれまで経験したことのない雇用調整に直面したと言います。日本経済は国際的な競争力を獲得するために無理やりに労働コストを引き下げようとし、その結果少数の貧困が悲惨をきわめることとなったと。そしてデータで実証します。


 1997年から2002年にかけて、失業者は230万人から359万人へと129万増加し、失業率は3.4%から5.4%に増加。その内訳は1997年時点の正規雇用者3812万人の8.6%、326万人を解雇し、そのうちの254万人は非正規雇用者として雇い入れられた。残りの72万人が失業者となる。さらに、新たに労働市場に参入した若年労働者の失業者数はその間52万人増加した。その合計が129万人である。失業保険の受給者数は1995年に82万人だったのが、2002年に105万人に増え、生活保護世帯も1997年から2002年にかけて63万世帯から87万世帯に増加した。さらに、1997年に23494人であった自殺者数は、翌年に31755人となり、その後も3万人台で推移している。


 少数の貧困が悲惨をきわめたのは事実のようです。


では、このような厳しい雇用調整によって、5年間で企業はどのくらいの労働コストを節約できたのでしょう。これには衝撃を受けました。その結果の計算上の名目労働コストの減少幅は5.5%ですが、この5年間の物価水準の下落傾向を加味した実質の減少幅は、消費者物価指数の減少幅2.0%で捉えると、5.5%-2.0%で実質3.5%減、企業物価指数の6.7%減で捉えると、5.5%-6.7%で依然として+1.2%増、GDPデフレーターの5.7%で捉えると5.5%-5.7%で-1.2%とほぼ相殺です。雇用者報酬というかたちの金額ベースでみても、名目は279兆円から263兆円へと5.3%減少してますが、実質では273兆円から270兆円へと1.1%しか減少しなかったのです。


 これを示した後、著者は次のようにいいます。


「5年間で節約できた実質労働コストは、1%にすぎなかった。解雇をし、あるいは、低賃金で雇用し、一部の人々に耐え難い困難を強いておきながら、経済全体でみれば、たった1%であった。5年間でこの程度の実質労働コストの削減であれば、ゆるやかなデフレの程度に応じて賃金をわずかに引き下げれば十分に可能であった。すなわち、経営側と労働者側で名目賃金を毎年1%強引き下げることに同意すれば、それでよかったのである。」


 
 これは、要するに他者・弱者への配慮があれば起こらぬ問題ですね。著者は、いくつか示した競争との向き合い方の処方箋を、「経済学ではなく、個々人の道徳心、あるいはモラルに属する問題なのかもしれない」といい、「社会科学者として、個々人のモラルに訴えて社会問題を解決しようとするアプローチは禁じ手」と自らを戒めていますが、僕は全くそうは思わず、むしろ積極的に自らの領域を侵犯してモノを言うべきだろうと思っています。そんな自戒は不要であると言いたいですね。


 江戸時代の改革者はそろって経済学者でもあったわけですが、皆一様に「道徳心」の涵養を先ず第一に挙げていますし、経済を支える社会の仕組み、それを成り立たせているものは、まさしくモラル抜きでは語れないでしょう・・・。もっと勇気をもって、自信をもって自らの学問領域を飛び出してほしいと思います。


 
 興味をもたれましたら、是非とも一読を。


 今日はこれまで。

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