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2010年8月5日木曜日

僕の国家観とマッカーサー証言

 本日の日経記事によれば、任期わずか6日間の参議院の当選議員に1か月分の歳費が出るのはおかしいとの声に、日割りで支給するという案が出されたそうですが、驚くことにすんなりとは決められなかったようです。当選新人議員の中には、「前の衆院選では任期2日で1カ月分が出たのに不公平ではないか」という声もあがったそうです!なんというあさましさなのでしょうか?そういう人間は実名を出してほしいと思います。「修身治国平天下」という言葉を知らないのでしょうね?そんな人間にこの国のことをとやかく言ってほしくないと思うのは、僕だけではないでしょう・・・。
 結局、今国会で成立したのは、「自主返納できる」ということになり、日割り計算を法案化することは次回の国会に持ち越されたそうです。大マスコミ様には、誰が自主返納し、誰が自主返納しなかったかを実名で報道してほしいと思います。




 さて、本題。


 今日は僕の考えている国家観みたいなものと、それに関連したマッカーサーの証言を紹介してみたいと思います。


 参院選の後にも思ったのですが、この国の政治家に限らず、言論一般は非常に内向きになっているような気がしています。外に関わり合う程の余裕が国内にないからでしょうか?景気は先行き不透明、国家財政は破綻しそう等々の内憂は、外へ向けての思考の回路を閉ざしているかのようです。そんな中で僕はこれからの日本はどのような国家であるべきなのかを、漠然とですが次のように思っています。


 私欲の為に弓矢は取らぬ。
 ただ筋目を持っていずこへも力を貸す」

 この上杉謙信の言葉は以前、ここでも紹介しましたが、僕はこの国はこうであるべきだろうと思っています。世界中のあらゆる困っている国々に援助の手を差し伸べる。軍事力の行使すらタブー視はしない。いうならば「道義国家」こそが、この国の理想像だと思っています。誤解のないように言っておきますが、「軍事力の行使」はある種の警察力の発動の一種だと考えて下さい。例えば、デンマークはアフガンへ兵力を派遣してます。非常に少数ですがね。「テロ根絶」は国際社会の務めだと思っているからです。僕は、日本もそうあるべきだと思っているのです。その基準は「筋目」、即ち「道義」でしょう。必要な国には医療も、食糧も、物資だけでなく人間もどんどん派遣して助けてあげればいいのです。国連が介入する紛争地域での停戦監視団には、どんどん自衛隊を出すべきでしょう。グラミン銀行みたいなものも、日本政府が出資して多くの貧しい国に作ってやればいい。そしてこの国の学校教育は、初等教育時から「道義」という、ようするに道徳観念を教えればいいのです。「人の役にたちなさない」と。僕は、教育というもの、特に初等教育においては、どんな国であるべきなのか、どんな国民であるべきなのかということが定まっていなければならないと思っています。

 この国に生きる1.2億人は、自国市場だけでその生存を賄えないのは、昭和初年からかわっていません。かつては、主食であるコメの自給率も低く、国外から輸入せざるを得ませんでしたから。海外から食糧を輸入するだけでなく、「一番」であるはずの「ものづくり」ですら、材料が輸入できなければ形にすらならないじゃないですか。ということは、世界が平和で経済・貿易に対する協調主義が世界のコンセンサスにないと息の根をとめられてしまうのです。かつてあった「貿易・関税に対する一般協定」通称GATTは、第二次大戦前の各国の保護主義的な経済政策が戦争の惨禍をもたらしたとする反省からつくられたのですよ。だから、世界の平和を担保するため、もうひとつは困っている国、人々を助けるという、道義に立脚した外交政策が、日本には必要だろうと思っています。もちろん、困っている国、人々を助ける裏には「資源外交」もあります。将来の資源を確保するためでもあります。

 さて、ここまで来てようやくマッカーサーの証言についてです。朝鮮戦争時、中国北部(かつての満州国)への進行と、原爆投下を進言して、トルーマン大統領に首をきられた彼は、帰国後米国議会の上院軍事外交合同委員会で次のように証言します。

「潜在的に日本の擁する労働力は量的に質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。(中略)これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし、彼らには手を加えるべき原料を得ることができませんでした。日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」

 もう少し説明しますと、マッカーサーは、日本の経済的事情から、あの戦争は自衛戦争だったと証言したのですが、もうひとつ重要なことがあります。彼は、朝鮮戦争で怒涛のように押し寄せてきた中国軍を完全に押し返し、半島全体を共産主義から守るにためには、半島の根っこである中国東北部、かつての満州国の領土にまでおしださないと、安全が担保されないと軍事上の必要を認識したわけです。ちなみに、満州を日本が領有したのも、当時は日本の領土だった朝鮮半島をロシアから守るためというのがその理由の一つです。

 マッカーサーの証言した当時の日本の姿と、今の日本に大きな違いはあるでしょうか?本質的には何も変わっていません。変ったのは日本をとりまく世界の方です。ならば、このせっかく変わってくれた世界の、戦争の無い状態を未来永劫続けていくために、そして、世界が保護主義に走ることなく、自他共存できる経済環境の存続と発展にあらゆる努力をこの国はすべきだだと思いませんか?それは「核廃絶」を願うなどということとは全くの無縁のことです。



 

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