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2010年9月21日火曜日

彼岸過迄

 この3連休はいかがお過ごしでしたか?暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったのものですね。朝晩は涼しくなってきてホッとしています。


 タイトルは、夏目漱石の著作にあります。このタイトルに深い意味はなく、単に正月から始めて彼岸過ぎまで書く予定だからこう名付けたようです。






「僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥いるにきまっているという理由を、臆面もなく聴衆の前に曝露した。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏ですましていた昔が羨ましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもありはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退いた。」


 作中の一節です。この学者は漱石自身のことです。彼は、「上滑り」にならないかわりに「神経衰弱」に陥っていますしね、実際に。赤で強調したところは、おこがましい言い方ですが、最近の僕の塞ぎの原因にもなっています。




 
 哲学者の木田元という人が、今の「私の履歴書」に書いています。彼はハイデッガーの「存在と時間」を理解したいがために、農業専門学校から東北大学へ入学し直したと出ていました。僕はその著者ハイデッガーもその著作も名前だけは知っていますが、中身は読んだことがありません。今は昔と違い読みやすい翻訳書もでているのでしょうけど、とても読める自信がありません。「超約」的な簡易本があれば、読んでみたいかといえば、それは読む気にはなれません。やはり原書に近い形で読まなければ、きちんと理解したことにならないという頑なな気持ちがあるからです。その気持ちは、例えば高い山の上にあるp霊験あらたかな社寺に願をかけに行くのに、ロープウエーではなく自分の足を使って登っていかなければ御利益がないと思うような気持と一緒です。


 池上彰のいう「わかりやすい」というのは、そう考える僕にとって「敵」のようなものです。大体「わかりやすい」というのが、そんなに「美徳」になるものなのか、僕にはそれが「わかり」ません・・・。


 今日はこれまで。


 
 

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