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2010年9月10日金曜日

無能な善人と剛腕な悪人、他いろいろ

 タイトルの言葉は、自民党の山本一太参議院議員が民主党の代表選を称した言葉だそうです。本日の日経の寸言に出てました。「究極の選択」だと・・・。


 それを巡る最近の記事は、目を見張ることばかりです。例えば小沢一郎が勝ったら鳩山由紀夫の入閣とか・・・。彼は沖縄の基地移転問題をごちゃごちゃにし、日米関係まで危うくした責任者なのに、一体どういう了件なのでしょう。入閣させるなら北海道・沖縄の選任担当大臣にさせて、きっちりと最後まで責任を持たせたらいいと思うのですが。


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 経済ジャーナリストの多くは、好況の時は「政府の役割を小さくして市場にまかせろ」「規制緩和」だと言うくせに、不況になると「財政出動」「不況対策」だと政府の役割を増大させるようなことを言うのは支離滅裂ではないでしょうか。


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 菅総理が絶叫している「国の成長戦略」。僕にとって引っかかる言葉である「戦略」の使い方からすれば、たかだか自らの任期でのそれなら、「戦略」ではなく「計画」でしょうね。そもそも国に「成長」という分野がわかるのか、というのが素朴な疑問です。


 三品和弘曰く「経営は10年にして成らず」。これをかみしめれば、「種をまき、育成し、収穫する」これには10年かかるということでしょう。また一番の問題であり、多くの経営者が頭を悩ましているのが「どこに」種をまくかでしょう。それが外れれば、育成し、収穫する頃には二束三文となっている場合も多数あります。失敗を直ちに悟り、軌道修正できればいいのですが、それまでそのサイクルにかけたお金、人材等のコストを思えば、容易には後戻りできない。愚かと言われつつも無謀な白兵突撃を採用し続けた帝国陸軍と同じ轍です。


 「今撤兵したら、これまでそのために死んでいった英霊に申し訳が立たぬ」


かつての大日本帝国が中国大陸から撤兵しなかった理由のひとつは、「今事業中止したら、これまでかけたコストはどうなる」と、新規事業を続けてしまう理由と同様です。


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 今から20年程前、つまりこの国の経済がバブルであった頃、「政治三流経済一流」とよく言われてました。今では信じられませんが、当時の大蔵省の銀行局長(?)が、米国議会で「日本の金融行政」に関して講演をしたこともあったほどです。その頃の日本の都市銀行の扱い額が世界ランキングの上位を独占してたころです。


 トヨタと日産。この二大自動車メーカーの企業体力に大きく差のついたことが明らかになったのはバブル崩壊後。本業以外には手を出さなかったトヨタと、有価証券を買いまくった日産、その差によるものです(だったと思います)。


 山一証券の倒産と並んで世間を驚愕させたのが北海道の拓殖銀行の破綻。これもあぶく銭を追い求めた末路で、北海道内の拓殖銀行の後始末をつけたのが、一地方銀行に過ぎない北洋銀行。ここの頭取は学徒兵の特攻隊であった人物で、自らのその人生体験を自らに律することの柱とし、本業以外を堅く戒め、堅実経営を続けていたそうです。その人にも僕は「徳」を感じてしまいますね。


 もはや、「経済一流」等という人は皆無でしょう。


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 「日本で一番大切にしたい会社」。かなり売れましたねこの本。ここに描かれている会社の特徴は「損得」よりも優先させる「何か」を持っていることだと思います。それが結果的に良好な企業成績に結びついているに過ぎないのではないでしょうか。


 そう考えると、「徳」のある経営(例えば従業員を大切にしているとか、地域に貢献しているとか)をしているにも関わらず、それが企業業績に結び付いていない多くの会社も当然あるわけで、それは仕方のないことなのでしょうね。もちろん「企業」は「存続する事」が第一義的な使命ですから、その意味ではそれが危ういというのはその使命を果たし切れていないということになるのでしょうが、他に体現できている「何か」があればそれも評価して良いとは思います。


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 「努力は報われないということを初めて知った」と、ある著者はかなり売れている本の中で書いていましたが、僕はこの人「アホか」と思いました。幼いころから長ずるまでに、本でも映画でもいいのですが、そういうことを学ばなかったのかと・・・。
さらに恐ろしいと思うのは、そんな当たり前とうか、あほくさいことが書きつづられている本が売れているということ。世の中にはそういう人間が沢山いることが僕には不気味です。教養とか、そういうレベルではないですね。人間、あるいは人生というものに対する考え方の幅の狭さ・・・。そういえば、まーくんが言ってました。「新卒採用の学生のレベルが下がっている」と・・・。これからはもっともっと低下していくでしょうね。


 世の中は処世術ばやりです。売れている本を見て下さい。処世術とは、与えられた現実に対処するだけのものでしか過ぎません。今最も欠けているのは、人生、人間の不条理を知りつつ、尚自らの理想の生き方、暮らしぶりをみつけようという思想だと僕は思っています。「何になりたいか」と問えば、一様に職業の事しか答えません。大切なのは「どんな人間になりたいか」ということに答える姿勢であり、そのために学ぶことでしょう。


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 さて、冒頭で述べたことへ戻ります。


代表選で戦う二人の候補者は、ともに政策を語るのみであり国家観を語りません。最も注目されているのが具体的な経済政策、彼らの言葉を借りれば成長戦略らしいのですが、国家は経済だけで成り立つものではないでしょう。誤解を恐れずにいえば、外交もそれに関わる安全保障も、日本という国家が存続していくための「手段」でしかありません。やはりここにも「術」偏重のきらいがあるように思えます。世界の中でこの国が生きる道、果たすべき役割、そしてそれを担う国民はどういう日本人であるべきなのか、そういった「観」でも「ビジョン」でも語ってほしいと思います。あまりにも内向きな議論ばかりです。例えば日米関係が単に二国間の関係だけではなく、広くアジア全体の安全保障と密接に関わっているということを知らないのでしょうか。大軍拡国中国の脅威に対して、強固な日米関係というのがどれほど周辺国の安全を担保しているのかについて考えが及ばないのでしょうか。僕には不思議でなりません。


 自らの立ち位置を正確に把握していないのでしょうね。そういえば、かなり前「新党さきがけ」という政党がありました。目のうつろな御仁とともに、自民党を飛び出した人たちの政党で、細川内閣時の与党でした。この代表が武村正義(?)とかいう人でしたが、その頃彼が著した本の題名が「小さくともキラリと光る国日本」でした。小沢一郎が自民党時代に「日本改造計画」を出した頃と同時代です。僕は、武村なる人(この人は細川内閣で大蔵大臣)のセンスを「あほ」かと疑いました。この人のいう「小さい」というのは単に国土のことだけなのだろうと・・・。当時は断トツでGNP世界第2位の日本が、「小さい」わけがない。本の中身までは知りませんが、この人も日本という国の世界での立ち位置、影響力が全くわからない人でした。


 政治家ともあろう人が、そういうことに考えが及ばないというのは、僕はある種の犯罪だと思うのですが。


いろいろ書きなぐりましたが、今日はこれまで。




 
 


 
 

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