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2010年9月17日金曜日

運ばれきしもの・・・Tradition

ここのところ、めっきりと涼しくなりました。
人は勝手なもので、暑い時は寒い時を憧れ、寒い時は暑い時を懐かしく思う。
無いものねだりからははなれられないのかも知れません。


 30回の三と一の会で、僕は「女房と池上彰のことでよく口論になる」と云いました。口論のきっかけは池上晃の歴史認識で、「嘘」を「事実」としてまき散らす言説に僕が「テレビを消せ」と言うからです。世の中、嘘が平気で事実としてまかり通ることが多いと感じています。このブログでも江戸時代の貧農史観が本当か?ということを事実をもとに否定したことを紹介しました。


http://3and1-ryo.blogspot.com/2010/09/blog-post_14.html

 今なお人口に膾炙する全国の名産品と言うのは、享保期の徳川吉宗の時代に確立されていました。享保期というのは、稲作生産力が飛躍的に増大した時代でもあったようです。日本の農法というのは、明治30年に「明治農法」として確立され、それまでの在来農法とは一線を画し、生産力を増大させた近代農法とされているようなのですが、享保期から明治30年までの生産力と、明治30年から昭和初年までの生産力を比較すると、それほど変わっていないそうです。つまり、江戸中期以降の在来農法の水準の高さがうかがえるのです。


 「慶安の触書」。覚えていますか?徳川家光の頃、江戸初期に全国の農民に対して出された法令です。これも学校では農民の生活の一から十まですべて規定し、支配者の都合のいいように農民の生活を支配したものと僕は教えられました。これ、「嘘」です。


 この法令の意味、というか法の背景には、「この法令どおり生活をしていれば、百姓たち身代はよくなり、米や雑穀やお金もたくさん持てるようになる。そうして子々孫々までが豊かに暮らし、妻子を養う事ができる。そのためにの条件はただ一つ、年貢を納めることで、規定の年貢さえ納めれば、後は勝手気ままに暮らしてもよい」というものがあったわけです。


 話はずれますが、世界史で「ハムラビ法典」というものを習ったと思います。「目には目を歯には歯を」というものです。僕はつい最近まで、この法典を「なんて残酷な」と、中学時代に習った時の印象そのままに受け取っていました。ところが、この法典の背景は「目をつぶされただけなのに相手の命までを奪ってはいけない」「目をつぶされたら目をつぶし返すだけにしなくてはならない」という事にあったそうで、僕の最初の印象とは全く異なるものでした。


 「慶安の触書」もそれと同じく、その背景を知れば全く別のものになります。






 さて、今日のタイトル「運ばれきしもの」は、世界に冠たる日本の鉄道の定時運行についてが題材です。これ、西原さんがCCPMのプレゼンでその一部を紹介してます。


日本の鉄道一列車当たりの遅れは、新幹線が0.3分、在来線が1.0分。前者の95%と後者の87%が定刻通り発車しています(1999のデータ)。遅延は1分未満です。イギリス、フランス、イタリアでも概ね90%の定時運転率があるそうで、数字だけをみると、「世界に冠たる」という形容詞は付けられそうにありません。


 しかし、日本の統計では1分以上遅れた列車は全て「遅れ」としてカウントされていますが、外国の統計では10分や15分の遅れは「遅れ」と見なされていません。
フランスのTGVは91.8%の定時運転率を掲げていますが、「14分以上遅れなかった列車の割合」となっており、13分遅れた場合でも定時運転と見なされています。イギリス、イタリアでもほぼ同様で、日本のように「1分以上を遅れ」と見なしている国はどこにもないのです。


 日本の鉄道がこのように正確無比とさえいえる定時運転率をはじき出しているのは、コンピューターが発達し、巨大なシステムをコンピューターによって制御し出すようになった現代からではありません。少なくとも、大正初頭にはその運行がかなり正確になっていたようです。昭和初頭には、今と変わらぬほどの定時運転を常態化させていたようです。


 「『1分違わず』正確に運航する鉄道を富士山の山頂にたとえるならば、その広大な裾野にあたるものが、鉄道以前の日本社会に醸成されていたはずなのである」


 著者はこう述べあと、その裾野を形作ったものとして以下の3つを挙げています。


1.時鐘システム


 「たいへいの ねむりをさます じょうきせん たったしはいで よるもねられず」
1853年のペリー来航時の川柳ですが、眠れなかったのは船上にいるペリーもでした。陸上から聞こえてくる鐘の音があったからです。当時は町のあちこちに時の鐘があり、そこで暮らす人々に時を告げていたのです(12回/日かな)。つまり、人々は鐘の音を聞いて生活するという習慣があったということです。ペリーは、それが時を告げる音だとは知らなかったので、アメリカにはそれがありませんでした。アメリカだけでなく、ヨーロッパも同様です。日本だけがその時報システム(全国に時鐘の数は3~5万)があったと云われています。
 
 江戸時代の豪農や庄屋の記録には、日付だけでなく時刻までも記録されているそうです。農民も普請等で駆りだされる時には「朝五つに集合」とか言われてたらしいので、全国民に時刻感覚は醸成されていたはずだとしています。


2.参勤交代
 江戸幕府の権力維持のためのこの制度が、巨大プロジェクトを運営し、遂行する能力を培ったとしています。旅程、即ち工程管理も綿密でなければなりません。他藩と宿が重複しないよう調整もしなければならない。江戸に入る期限は決まっていたので、バックワードで計画を組んだはずです。様々な制約の中でいかにそれを成し遂げるかということを毎年繰り返すわけですから、列車運行という巨大で複雑なシステム運用にも多いに役だったはずだと。



 また、「江戸」という巨大消費地(生産地ではない)は、日本全国からの物資や働き手の流入を前提にして維持、発展することができたわけであり、そのことがまた交通の発展を促す原動力にもなったとしている。「下らない」という言葉の語源がそれを表していますね。全ては江戸を指向していたわけです。


3.旅の一般化
 江戸時代後期には庶民に至るまで「旅」というものが一般化していたからだとしています。交通のメリットを十分に知っていたと。庶民の長旅は、伊勢参宮を中心とする社寺参詣、名所旧跡めぐり、湯治の旅。お伊勢参りをした後に上方見物をして帰るというのは、庶民の旅の典型的なパターンだったらしいです。




 これは、まさしく父祖から受け継いだ日本人のDNAでしょうね。インプリントされたものでしょう。この「運ばれきしもの」が無い限りは、いかに完璧なシステムを築き上げようとも日本の定時運行は絶対に不可能でしょう。誰もが意図したものではないのに、結果的に後世にまで運ばれてきたもの・・・。それが伝統・・・。


 
 ここまで書いてきて、「フリードリッヒ・ハイエク」を思い起こしました。彼は、こんなことを言っていました。


「『フェア・プレイ』は、ルールブックに書き込むことはできないが、それが破られた時には誰もが容易にそれを指摘できる」


それは、言葉で定義し切れないものであるが、感覚として社会が持っているものであるとし、そして、その「感覚」こそが社会を秩序作る重要な要素であると。


この「感覚」こそ、冒頭に掲げた「運ばれきしもの」に他ならないような気がします。


 ハイエクは、こうも言っています。


「われわれは、人類の未来を計画的に作り出せるという幻想をふり捨てなければならない。これはこうした問題の研究に40年間を捧げてきた私の最終的な結論である」


この言葉には


「常に国家をこの世の地獄たらしめたものは、まさしく人が極楽たらしめようとしたところのものであった」


といったヘルダーリンと相通ずるものがありますね。ハイエクについては、また書きます。


今日はこれまで。

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