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2010年9月6日月曜日

民主代表選の裏の裏?

 読売新聞社による調査によると、次の代表に菅首相がふさわしいと思う人は66%、小沢一郎前幹事長は18%だったらしいです。


 悪役小沢一郎と戦う、庶民派首相という対立構図が完全に出来上がっていますね。これが、民主党の目論んだ作戦であったとしたら、すごいと思いますがどうでしょう。つまり、菅直人(民主党政権)の支持率を上げるために、わざと対立軸、それもこれ以上ないという悪役イメージの小沢一郎を持ってきて、それによって菅直人の人気を上げることを狙ったとすれば、その目論みは今の所大成功ではありませんか!


 「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」という故事があります。中国での聖人君子である堯(ぎょう)が、自らの政治がうまくいっているかどうかに疑問を抱き町へ出たら、一人の老人が「撃壌」という遊びに興じながら、あまりの面白さに自らのお腹を叩きながら(=鼓腹)、歌を歌っていたのを聞きました。その歌の内容は、「政治などおいらの暮らしに何の関係もない。日が出て働き、日が暮れて寝る。それだけのことだ」というもので、堯はそれを聞いて自らの政治がうまく行き、国がきちんと治まっていることを安心するといった故事です。


 「タックスペイヤー」という言葉があります。税金を支払う人間として、きちんと政治に関わろうというような意味合いで使われる事が多いですが、僕はその言葉が好きではありません。正確にいうと、その言葉が使われるであろう場面の議論なり、空気なりに違和感を感じるからです。理由は、今述べた「鼓腹撃壌」の故事にあります。


 国家の運営、否、市でも村でもいいのですが、その運営は単純なことではありません。そのすべてに自らがタックスペイヤーとしての責任を持てなど、不可能なことです。また、そんな世の中は真っ平御免だと思っています。


 政治への無関心がネガティブなイメージで語られることが多いですが、逆に考えればそれだけ曲がりなりにも政治がうまく行われてることの証左でもあると考えられます。例えば若者の政治への無関心、投票という行動に表れるその意識の低さよりも、僕は人間観、国家観というものの欠如の方がよほど恐ろしいことだと思います。


 
 

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