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2011年8月8日月曜日

66回目の終戦記念日を思う その3

昭和20年の今頃、というより沖縄が陥落した6月以降というのは、日本軍は大規模な戦闘を行う力もなく、ただ敵の圧迫をしのぐだけということが軍の任務であったと思います。もはや断末魔・・・。

それでも、陸海軍の特攻部隊は散発的に出撃していました。一度の攻撃が3~4機のみとかね、そんなもんです。何の戦果を期待するでもなく、惰性で続けられていただけかも知れません。

太平洋の沿岸部では、来るべき米軍の上陸に備えて築城工事が進められていたはずです。そして本来なら「兵士不適格」とされた人までも駆り出され、頭数だけは揃えたものの全員に行き渡る銃もなく、そんな、およそ近代の軍の姿ではない日本軍が、「一億総特攻」を叫んでいた・・・。

我が家の前の家、そこのご主人の従兄弟は確か8月15日に特攻、戦死したと聞きました。それも、本来の搭乗割りは16日以降だったらしいのが、15日に出撃するはずだった人が急性盲腸にかかり、その替わりに出撃したらしいのです。

その巡り会わせにはなんとも言葉がありません。運、不運という言葉では憚られるような気がします。


そんな、効し難い大きな力で翻弄された圧倒的多数の人々が今のこの国の有様をどうみるか・・・

僕はそんなことを考えてます。

今日はこれまで。

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