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2011年8月15日月曜日

66回目の終戦記念日を思う その7

ちょうど66年前の朝日新聞の社説にはこうある。

被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家の再建を目指した大東亜宣言の真髄も、また我国軍独自の特攻隊精神の発揮も、ともに大東亜戦争の経過中における栄誉ある収穫といふべきであり、これらの精神こそは大戦の結末の如何にかかはらず、双つながら、永遠に特筆せらるべき我が国民性の美果としなければならない。


日本の新聞の論調が、「あれは恥ずべき戦争」とその意見を変えるのは、その約1ヵ月後、GHQの検閲が本格的に始められてからである。このあたりの経緯は江藤淳の「忘れたこと忘れさせられたこと」に詳しい。

さて、僕はこの社説のどこか間違っているのかを探すことはできない。戦争には必ず大義があり、その実現において、それとは裏腹のことが行われていたとしても、その大義自身までも否定することはないとも思う。

非常に簡単なこと。ヒトラーの戦争に「アジア」は関係ないが、僕らの戦争に「西欧」はいた。「西欧のアジア」から「西欧の」という言葉をとるための戦争だったと大まかにはいえる。


考へてみれば、あの戦争で、日本人の大部分はつひに”敵”といふ意識を抱かなかったのではなないか。自分らが戦ってゐる相手は”敵”ではなく、何か打ち克ちがたい巨大な自然であるかのやうな潜在意識に動かされてゐたのではないか。孤島に最後の一兵まで戦って玉砕した兵士も、捨身必死の特攻隊の壮烈な行為も、敵を打ち砕く意図によるよりも、運命への従順な屈従のままに、ひたすら死ぬことを願った自殺行為であったのではないか。


文芸評論家桶谷秀昭は「昭和精神史」の中でこう書く。あの戦争に向き合った日本人をこれ以上に的確に表現したものを僕はしらない。




「戦後」はいつになったら終わるのか。

この国が、僕らの父祖の戦った「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの言いなりどおりに言い換え、天皇陛下がこの日に靖国神社へ行くこともできずにいる限りは、「戦後」は永遠に続くと僕は思っている。

今日はこれまで。



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